失敗考

このネタも何度も投稿していますが
継続的なブラッシュアップが必要なシリーズでもあります。
というわけで、行ってみましょう。

失敗は恥ずかしいものだ
この価値観こそが諸悪の根源なのではないか?
なんて思いました。

そもそも失敗は恥ずかしいものだという価値観は
一体どこから来ているのか?

これ、親からですよね。
子供が自ら失敗は恥ずかしいものだなんて思わなくて
恐らく親からの躾けが根底にあるのではないでしょうか。
「恥ずかしいからやめなさい!」
みたいな。

でも、親のせいにしても何も解決しません。
我々の文化の問題なので
もっと元を辿れば祖先まで行ってしまうわけですし
責任なんて追及できません。
不毛なので、そういうのはやめましょう。

何度も言ってますが
失敗を乗り越えることこそが成長なので
最重要なのは失敗しないことではありません。
まして、失敗しないことが成功ではありません。

むしろうまくいかない時は
成功するためにはどうしたら良いかと考えて乗り越える
すなわち成長するチャンスがやってきた
ということなのです。

でも、それには
失敗に対する価値観の上書きが必要で
そのための動機というか
理屈が少々必要でしょう。

まず、失敗したあとに思い悩むのは
無駄なことだと理解することが必要でしょう。

でも、難しいのは
反射的に悩んでしまうことです。
クヨクヨ思い悩むのは
意識的にやっているのではなく
反射で癖で習慣です。

ただ、思い悩むことにもメリットはあります。
それは、やらなくて済むようになること。

思い悩んで
自分に残された最も貴重なリソースである
時間を浪費すれば
自ずと締め切りが迫ってきて
実行不可能になります。

結果として、やらずに済むわけですが
それはすなわち「できない」ってことなので
またまた思い悩むことになって
不健全極まりない。

ネガティブなループにはまる時って
こういう状態だったりしませんか?

過去を思い悩んでもなにも変わりません。
そんなことに「失敗」という名の
貴重な経験を利用するなんて
とてももったいないことなのです。

そういうのは嫌なので何とかしたいと思ったら
何かしらの新しい習慣を手に入れて
価値観の上書きをする必要があります。

ではどうするか?

とてもシンプルなだけに
難しいかもしれません。

失敗という経験を検証・評価して
「次はこうする」
と決めたら
それを元に次のチャレンジのサイクルを回せば良い。
もう「失敗」は用無し。

以上です。

考えるべきは
「次はどうやったら失敗しないで済むだろうか」
ではありません。

「次はどうやったらうまくいくだろうか」
です。

似ているようで全然違います。

失敗しないで済む
は、ネガティブなことが起きないことを願っているだけであって
結果はゼロです。
マイナス側にさえ行かなければ良いわけです。

ポジティブ側を狙っているわけではありませんから
それだけのパワーは必要無いので推進力が小さくて
なかなかうまく行きません。

あと、大事なのはスピード。

考えずに行動するのはどうかと思うけど
考えすぎて時間切れになるのは最悪です。

考えすぎて「やる」時間が無くなってしまったら
結局「できない」ということになるからです。
それに、失敗してもリカバリーができなかったり
そこそこうまくいって
さらにブラッシュアップしたくても
時間が無ければ無理です。

ちょっと考えたらやってみる。
そこで何かしら分かるので
それをヒントに、またやってみる。

こういうのを早いスピードでグルグル回した方が
得るものは多いし
結果としてうまくいきます。

これをやった結果
「もっと考えておけば良かった」
と考えることもあるだろうけど
その経験を元に
次はどれくらい考えるべきかを決めれば良いだけの話です。

とにかく真面目な学生ほど考えすぎて
実行する前に時間切れになるケースが多いので
もったいないことしてるなぁ、と思っています。

逆に、単に「やる」という面倒なことを最小限にしたいがために
考える部分を引き延ばすケースもあって
何やってんだか
という場合もあるんですけどね。

気持ちは良く分かります。
私もそうでしたし
いまだにこういうのは課題だと思ってますから。

続・どうしたらうまくいく?

どうやったらうまくいくのか
ということのヒントは
思いのほか色々転がっているんだけど
それらに気付いて
実行することは難しいのではないかな
と思っています。

さて、「うまくいかないこと」なんてのは
皆さん沢山経験していると思います。
いわゆる「失敗」の経験ですが。

そういうのって
「悪い経験」として認識していて
できれば目を背けたい
思い出したくない
なんてことになりますよね。

失敗は、実体験ですから
超リアルな記憶です。

嫌な失敗なら
それだけ強烈に記憶しているはず。

程度によっては「トラウマ」なんて言ったりもしますね。

アドラー心理学では
「トラウマなんて存在しない!」
なんて言ってますが
それはまた別の機会に。

そういう嫌な記憶から自然と回避するのは
実に正常です。

恐らく生存本能に基づく
ごく当たり前の反応なのだと思います。
条件反射みたいなものでしょう。

そういうものを
未来のために有効利用できるかというと
強いネガティブな感情を伴っている限りは無理ですよね。

でも、感情を切り離してしまえば
「こうするとこうなる」
という単なる経験に過ぎません。

それを未来のために活かすなら
とても有益な経験になるはずです。

が!

条件反射みたいな反応ということになると
これはなかなか厄介ですよ。

思考が介入していない「反射」ですから
コントロールする余地がありません。

なので
失敗を「良い経験」としてハンドリングするためには
感情の切り離しが必要でしょうね。

過去の自分を振り返って
その情景の中にいる自分から幽体離脱して
客観的に出来事を掴んで整理して
活かすべきポイントを明らかにする。

そんなことができたら良いのです。
それで失敗が「良い経験」になります。

私なんかは
比較的嫌な経験が記憶に残らなかったりするタチなので
そういうところに感情が入りにくいのですけどね。

あれ?
記憶に残らないんじゃ経験を活かしようがないじゃん。

むー。
自分の場合は、そこが課題だったのね。