勇気の先にあるもの

初盆は、実家で待機していて
お客さんが焼香に来てくれて、出迎える
という日々を過ごしています。

お客さんは、親戚をはじめ
色々な人が来るわけです。
それはもう、年齢も職業も。

で、昔話やら近況やら
仕事の話やらをするわけです。

そんなふうに、何気ない話をしながら
何の脈絡もなく、なぜか改めて思ったのは…

リスクを取ると相応のものが得られる

その経験があればリスクを取りに行くけど
経験が無ければ先にあるものは見えないわけで
その人にとっては単なるリスクにしか見えない。
人は見たいものしか見えませんから。

全く、人の話聞いてんのか?
って感じですが、ちゃんと聞いてますよ。

リスクを「取る」とは言いますが
それは、何かを「捨てる」
ということでもあるわけで

まぁ、大なり小なり覚悟は必要でしょう。
でも、勇気があれば得られるものはあるわけで
何を取るかは自分次第。

ただ、この「捨てる」を簡単にできてしまう人
そもそも、それがデフォルトな人もいるわけで
そんなのも興味深いですね。

リスクの話

なぜ日本の若者が海外に行かないのか?
という話があるようですね。

夢工房では
海外遠征に行くことによっても成長を狙っているので
そもそも海外に行きたくない
というメンバーはいないはず。

日本からの留学生はもちろん
海外旅行に行く日本の若者も減っているようです。

さらに、親元を離れて大学に通う学生も減っています。
これは経済的に仕方ない場合もあるのかもしれませんが。

仕事選びにおいては
実家から職場に通えないと嫌で
海外勤務なんかはもってのほか
そんなケースが増えているようです。

ざっくり言ってしまうと
そういうのはリスク回避のためでしょうね。

海外旅行なんかの場合は…

言葉が通じないかもしれないくて、思い通りのことができないかもしれないどころか、嫌な思いもするかもしれない。
お金がかかるので費用面のリスクがあるし、果たして投資した金額に見合う経験や、将来のゲインが得られるのか。
病気になるかもしれないし、事故や事件に遭って怪我をするかもしれない。

とまぁ色々あって、そもそも面倒くさいし、よく分からないことだらけ。
結局「普通でいいじゃん」となってしまう。
というところかな。

普通のことしかしなければ
普通にはなれるだろうけど
そもそも「普通」って何なのだ?
という話は何度もしているので恐縮ですが。

「普通」こそがリスクなのか
「普通」から外れることがリスクなのか

メシのタネの知識は
学校に行けばノーリスクで得られる
なのになぜリスクを冒さなければならないのか
「普通」に学校で学んで「普通」に就職すればいいじゃないか
なんて思うかもしれない。

けれど、知識だけではメシは食えないし
学校に行くのがノーリスクなわけではない。

つづく