ひっくり返すべきもの

どうしたら物事はうまくいくのだろう?

抽象的ですが、色んなことに対して共通して言えることが欲しいので、むしろ具体的でない方が良いのです。
これ、とても大事で大きなテーマです。

「どうしたら」ってのには、色々含まれます。
もちろん知識やスキルも含まれるのですが、これらの上限はメンタルとかマインドとか、心理的なものによる影響が大きいですよね。

もちろん、知識やスキルが心理面に影響を与えることもあるとは思います。
鶏が先か卵が先かのような話になってしまいますが、以下の状態に対して、「まずは知識を…」のような解決は不可能ではないかと思います。
それが可能なら、自粛下のオンライン授業で何とかなっていて、そもそもこんな問題にはなっていないはずですから。

ここまで発展してきたネット社会の便利さの弊害と、コロナ禍による自粛やオンライン化の影響だろう…なんてことを記事にしましたが、この二つの合わせ技の威力は絶大で、かなりガッチリ「受け身」で「守る」という基本姿勢が定着している感があります。

オンライン化された、動かずに画面を見ていれば良い授業は、基本的に受け身で、アクティブに新しいものを作り出すために必要な資質と全く逆なものが身に付いてしまいます。
と書いて気付きましたが、そもそも多くの授業は受け身ですね。それが強化されたと言うべきかもしれません。

それによってどういう傾向になったかというのを、パッと思い付く範囲で挙げてみましょう。もちろん、左側が理想で、右側が結果です。

積極的・消極的

外向的・内向的

未来を想像する・想像しない

視野が広い・視野が狭い

早い・遅い

オンラインの授業などで数年やって身に付いた姿勢は、そう簡単には変わらないのかもしれません。
何せ、この状態でいることは結構楽なんですよね。
なので、無意識に本能的にそっちに向かっちゃう。

本当にどうしたものかと思ってしまうのですが、これが分かっているならひっくり返すだけなのです。
言うのは簡単ですが、一体どうしたら良いものやら。

やはり本人が「こうありたい」と思わないことには、どうにもこうにもなわけですが、そのためにどうするか。
彼らを強く惹きつける力を持った何かが必要でしょう。絶対に。
無意識に、本能的に動いてしまうのを自ら妨げて、方向転換したくなるほどの力が必要です。

もちろん夢工房にはネタはあります。
それをどう使うかが大事なところでしょうね。

正解とか不正解とか 3

善とか悪とか
合っている間違えているとか
そういうのは多くの場合、それはある特定の価値観に基づくものだったりするわけで、ある人にとっての正解は、別のある人にとっては不正解だったりするわけです。

でも、善とか悪とかは決まってるだろうって?

確かに似たような道徳観とか価値観を持っている者同士ならそうかもしれませんね。これも極端な例を出すと分かりやすいですよ。

キリスト教圏の国の人と、イスラム教圏の国の人では善悪の基準すら異なります。教典を固く信じて、生活のみならず、教育や法律などの基準ともする原理主義ともなるとなおさらです。

そんな風に価値観が異なる関係では、一方にとっての常識でも、他方にとっては、「堕落した…」とか「穢れた…」とか「悪魔的」とか、そんなことになります。
これは民主主義と社会主義の国、民主国家と独裁国家でも同じようなことになるでしょう。

これらが相対した場合、互いに相手は「悪」で、自分が「善」です。
相手は間違えていて、自分が正解です。

極端ついでに誤解を恐れずに言っておくと、戦争も善悪の戦いではありません。
確かに国際法を守るとか破るとか、そういう問題は発生することがあるかもしれませんが、双方が自らの正義のために戦っていることがほとんどでしょう。
で、負けた方が「悪」ということになります。
正義が勝つなんてのは、テレビや映画のお話しです。

だいぶ脱線しましたが、こんな風に考えていくと、正解とか不正解とかが明確に決まったものばかりに囲まれている「学校」って、特殊な世界だったりするのではないかな。

ものづくりをしていて、それが新しいもの、世に無いものだったりする場合、そのイメージとかアイデアには、すでに決められた正解も不正解もありません。
原理的にとか、コスト的にとか、そういう判断基準はあるでしょうけど。

正解・不正解ベースでの訓練の成果が発揮されてしまうと、正しいイメージとか正しいアイデアを求め出すわけですが…正解が無いので、確定したりアウトプットしたりできなくなります。

そうそう、知識自体は「引き出し」として大いに有効です。が!それを使う訓練がされないままなら、引き出しは閉じたままで錆び付いて開かなくなりますよ。気をつけましょう。

今のやり方や枠組みは、そう簡単には変わらないでしょうから、夢工房は夢工房のやり方で行くしかありませんね。

「オレが正義だ!」
でやってみて、ダメだったら
「ごめんなさい」
と、やり直せば良いのです。
これをハイスピードで回して、期限内に求めるレベルになればOKでしょう。

ま、言うほど簡単じゃないですけどね。

良い子でいたいキミは真似しない方が良いです。
きっと怒られるから。

今の問題から考える

今、どんな問題があるのか…の一部というか、傾向というか。
学生を見ていて気付いたことなので、彼らが世に出た後に本格的に問題化していくような気がしなくもありません。
もちろんこんなことを書いている自分自身も同じ問題抱えているはずだとも思っています。
結論からいきましょう。

面倒なことができなくなってきています。

一言で「面倒なこと」と表現していますが、これに付随することとか、派生することを考え始めると大変広範囲な話になります。

現在、多くの会社組織で重視されている「報告・連絡・相談」とか「5S」とか、そういったことは遂行が難しくなると思います。

また、未来を想像(創造)するとか、チャレンジするとか、そういうのも難しくなるでしょう。

与えられたことをこなすとか、マニュアルに従うとか、具体的なことや見えることなら何とかなるかもしれませんが、確度は低くなりがちかもしれません。

基本姿勢としては、フォローでありリアクションです。

と、こんなことを、日頃見えることや感じることから考えてみました。

これは端的に言ってしまうと、ここまで発展してきたネット社会の便利さの弊害と、コロナ禍による自粛やオンライン化の影響だろうと思います。
今さら面倒なことなんてできないのですよ。

でもまぁ、こうなっちゃうのは当然だと思いませんか?
そしてこれは自然と形作られて、いつの間にか身に付いたスタンダードなわけで、多くの人が意識していません。
はい、ここが大事なポイントです。

皆が意識していない問題がある。これはチャンスですよ。
こういったことを意識してひっくり返せば何が手に入るでしょうか。

「価値」です。
皆が気付いていないなら、独自性や希少性を伴う競争力ともなります。

ここまで何度か記事にしましたが、価値があるものって、大抵は面倒なことなんですよ。
逆に、面倒なことは価値があるという言い方もできると思います。

面倒なことを好きになるにはどうしたら良いのでしょう?

好きなことの中にある面倒なことをやれば良いでしょう。
好きなことのためなら面倒を面倒と思わないでしょうから。

今回は、こんな内容で話を展開してみましたが、こういうアプローチで、まだまだ色々気付けることや試せることがありそうですよね。

失敗しないように慎重に、最小限の手間で効率よく…と周囲がやってるな、と思ったら、すかさず逆張りです。素早く何度も諦めずに!

そういうやり方もアリだと思います。