動機は大事

今の自分にできていないことでも偉そうに語りますよ。
やはり理想が無いとね。

怒られたくない
余計な労力を払いたくない
傷付きたくない
失敗したくない

とか

褒められたい
楽したい
得したい
儲けたい 

書いていませんが、これらの全ての前に「自分が」と付きます。

そんな気持ちは誰でもあるでしょう。
逆に、そんな気持ちは一切無いなんてのは嘘っぽいかもしれません。
本当に一切無かったら、いわゆる聖人君子ってことなのでしょうけど。

こういった気持ちも行動の動機の一つとしてはアリかとは思います。
が、これらが動機のほとんどを占めていたらどうでしょう?

自分はともかく、相手はどう思うでしょう?
ちょっと視座を変えて、その「相手」になってみて、冒頭のような気持ちで頭がパンパンになっちゃって行動してる人を見ているとしたら…どう思いますか?

まぁ、そんなことは聞くまでも無いですね。「自己中」は嫌われます。
これを「利己的」というのですが、あまり周囲の役には立ちません。
だって、自分のためのことばかり考えているのだから当然です。

では「自己中」ではなくて、「相手のために」が動機だったらどうでしょう?
そういうのを「利他的」と言います。

相手のためになることは、当然ながら相手からしたら価値があるので、感謝されます。たぶん。
価値を手渡したら、価値のお返しが来るかもしれませんね。
これ、仕事の本質というか、社会活動の基本というか、そういうものだと思います。

でも、そういうのを分かっていても、なかなか理想的な動機で実践できなかったりします。

なぜ?
たぶん、相手のために行動したところで、それが回りまわって自分の利益となる確証が無いから。損しちゃうかもしれないから。
そんな風に、自分の欲得ベースで判断していたりします。

欲得100%では、考えるまでもなくうまくいきそうも無いので、利己的と利他的の間の、限りなく利己的に近く、なおかつ相手に受け入れられそうな着地点を探すことになったりします。

そんな状態で、ユラユラフラフラしながら、「どうしたらうまくいくのだろうか?」なんて悩んでみたりします。

私もそんな風に考えていましたからよく分かります。
今でも完全に脱したわけでは無く、修行中です。

その辺は、利他の方に振り切っちゃえばきっと相手は喜ぶでしょう。
難しいでしょうけど。

で、こんな話をすると、まるで奴隷的で自分が無いような捉え方をしちゃうかもしれませんが、それではダメです。

この「利他的」の前提として、「自分の好きなことや、得意なことで」が付かないと、力を発揮できませんし、持続できません。

それと、もうひとつ。
利己的な動機って、諦めるのが簡単なんですよ。
自分だけの問題だから、いつやめてもいい。
すぐやめちゃうものって、大きな価値にはなりませんよね。

継続は、価値を形作る重要な構成要素の一つです。
そこも大事なところです。