幸福とは何か 2

さてさて、社会人となって仕事をするようになった時の幸福感は何から得るか?というお話しをしましょう。
でも、これは各人の持つ価値観で色々あるので、他人からどうこう言われるものでは無いのかもしれません。
というわけで、「私はこう思いますよ」というお話しで進めさせてもらいます。
多少なりとも参考になれ幸いです。

基本的には仕事から幸福感を得られるのが一番だと思っています。
理由はいくつかありますが、まず一つめ。人生において仕事に費やす時間は膨大なので、そこで言われたことを我慢しながらやるばかりの辛い時間を過ごすことになったら、それはとても幸福な状態とは言えないだろうと思うからです。

「自分では仕事では我慢して、趣味に生きる」という人がいたりします。
別に否定はしませんが、今まで出会った人の中で、趣味の世界でぶち抜けている人の多くは、仕事もできる人でした。
私は趣味の世界と仕事の世界に境界を設けない主義なので、双方で得られたことを双方に活かす、のような感覚でやってきました。
趣味と仕事でやっていることは違ったりしますが、考え方とか取り組みの姿勢など、本質の部分は全く共通だと思っていますので。

もっとも、趣味がクルマやバイクで、仕事がクルマの開発だったりしましたので、共通項が多かったのですよね。
で、今もクルマ関係やってますから、基本的な考え方とか取り組みの姿勢はずっと同じです。

好きなことを仕事にして良かったと本当に思います。
もっとも、そうは言っても仕事の中身が100%好きなことができるかというと、決してそんなことは無くて、アサインされた仕事のうち7割くらいはあまり興味のない内容だったりした気がします。
大事なのは、そういった仕事でも、いかに楽しくやり甲斐を感じられるようにしていくか、ということだと思います。
そんなことをしていると、トータルとしての仕事の満足感はかなり向上て、ハッピーになります。
何事も自分次第ですね。

そして二つめ。
一体何から幸福感を得るか、ということです。

お金?
それは否定しませんが、お金は慣れますし、私はお金のために仕事をして、うまく行くような器用さというか、センスを持ち合わせていません。

そもそも、お金から幸福感を得られるかというと、そんなことは無いと思うのです。
確かにお金があれば、一時的な幸福感というか、ある種の安心感はあると思いますが、ここでちょっと極端なことを考えてみましょう。

もし、凄いお金持ちになったけれど、自分が誰からも必要とされなかったらどうでしょうか。
私はバブル期からバブルがはじけた頃に社会に出ていますので、実際にそういうケースを目にしました。
お金持ちには人が群がってきたりしますが、それは人ではなく、お金に群がってきているだけだったりします。
お金が無くなったら、人はいなくなるし、自分も破綻します。

ただ、お金そのものや、お金持ちを否定したりするつもりはありません。
価値あることをする人には、その価値の対価としてのお金が付いてきます。
その価値となるのは一体何か?それが重要なのです。

でも、実はその価値の正体って、案外シンプルなのだと思っています。

「ありがとう」
です。

どういうことかというと、大変なこと、面倒なこと、難しいこと、そんなことを他人のためにできる、それが価値でしょう。

その価値を他人に手渡して「ありがとう」が帰ってきます。
ここで何が起きているでしょう。

その相手にとって、「必要な人」になっているということです。
それこそが、存在意義とか存在価値とか、そういうことになっているのです。
そういうのって、自分で決められるものではありません。相手が決めることです。

仕事で得られる幸福感とは、価値を発信して、存在意義とか存在価値とかを感じられるってことではないでしょうか。
私はそう思います。

どんなに豊富な知識を持っていようが、どんなに特許や資格を持っていようが、誰も必要としてくれなければ価値はありません。
それを誰のためにどう使うか、です。

ものづくりって、そういうのを身に付けるにはとても良い手段だと思うのです。
結果が分かりやすいですから。

幸福とは何か

教員としては関わった学生達はハッピーになって欲しいわけですが、きっと学生達もハッピーになりたいことでしょう。
そのために大学で学んだりしているわけですから。

しかし、幸福とは一体何か?というのがよく分からなかったりしませんか?
恐らくこれは昔々からの問題です。
人それぞれ異なっていることはもちろん、簡単に定義できなかったりするでしょうから。

ここで、これをChatGPTに聞いたら何て答えるか気になったので、早速やってみましょう。
あらかじめChatGPTにキャラクター設定するとことから始めます。

これをやらないと、ごく一般的な回答になるはずですが、それでは面白くありません。だって、幸福に関しては、昔から多くの哲学者達が悩み抜いてきたネタでしょうから。
で、ちょっと深掘りして欲しいけど、分かりにくいのは困るというわけで、こんな風に入力してみました。

「あなたは哲学者で、哲学に関する知識が乏しい私と会話をします。 なので、私からの問いかけに対しては、できるだけ分かりやすく説明します。 理解しましたか?」

すると、ヤツはこんな風に反応します。

「はい、理解しました。哲学に関する知識が乏しい方に対して、できるだけ分かりやすく説明しますので、どんな質問でもお気軽にどうぞ。」

で、おもむろに「幸福とは何でしょう?」と聞くと、こう答えてきました。

「幸福についての定義は文化や個人によって異なる場合がありますが、一般的に幸福とは満足感や喜び、充足感を感じることを指します。幸福は人々が心理的、感情的、精神的な満足を得ることであり、自己の目標や価値観に基づいて達成感や喜びを感じることも含まれます。また、幸福は健康や安全、社会的関係、生活の質、個人の成長や自己実現といった多くの要素に関連しています。

多くの哲学者や心理学者は幸福について研究を行い、それぞれ異なる視点から定義しています。例えば、ヘーゼンやディナーといった心理学者は、幸福を生理的な快適さや安全さ、人間関係、個人の成長といった要素のバランスと関連付けています。

幸福は物質的な富や成功だけでなく、精神的な充実や意義のある人間関係、自己成長の実現といった内面的な要素にも関係しています。このため、幸福は多面的な概念であり、一人ひとりが自分自身の経験や価値観に基づいて定義することができます。」

ふーん、なるほどなるほど。
だいぶ広範囲な定義になりましたね。

でも、これだと具体性が無くて、どうしたら良いか分かりませんね。
何せAIは一般論で返してきますので、そうなるのは当然。

私が関わっているのは「工学」ですが、そこまでいくと手段を絞りすぎていて、これまたどうしたら良いか分からなくなります。
だって「工学」自体に価値があるわけではなく、価値を生み出す手段の一つに過ぎません。
なので日頃は「ものづくり」とか「仕事」という線で考えることにしています。

というわけで、次回は「幸福を生み出すために、得るためにどうすべきか」ということについて、現在私が考えていることをお話ししましょう。

つづく


諦めないという価値

昨日と今日は学園祭で、卒業生達が遊びに来てくれました。
代々、レーシングカーや模擬惑星探査機の開発に関わっていた卒業生はもちろん、そうでない卒業生達も。
社会に出て頑張ってる彼らに会うと、改めて継続する事の大切さを実感します。

夢工房で学生達が活動し始めてから、世代を重ねながらずいぶんと長い時間が経ちました。
もう20年以上です。
ジタバタやってたらあっという間だったわけですが、よく続いたよなぁ、と思います。

夢工房は、学生達が自主的に頑張ってるわけですが、好きなことを一所懸命やるって大変です。
いくら好きなことでも、突き詰めていけば必ず壁にぶつかるわけでですが、個人的な趣味では無く、学校といえども組織の中でやるからには、やる自由とともに責任も掛かってきますから、簡単に諦めるわけにはいかない。

そういう環境を経験した学生は、社会に出てからも強いです。逞しくやってます。

在学中に壁をいくつも乗り越えた者、乗り越えずに路線変更した者、色々いますが、こういう環境を一度でも経験していれば、実社会でどうしたら良いのかは決めやすいでしょう。腹を括る準備ができるというか何というか。

もちろん20年以上もやっていれば、私だって何度か挫けそうになることもあったりするわけですが、困難な状況でも諦めない学生達が頑張ってくれたお陰で今があるのです。
ありがたいことです。