盛り上がる前には沈むのは必然

若者に対する社会からのニーズって何でしょう?
つまり若者達の使命って何だ?
ってことになると思いますが。

この後の社会を支えていくことですよね。
社会の未来に貢献することでしょう?

若者は自身の志を形にしたい
ってところかな。

彼らがどんな未来をつくるのか
その期待値に対してチャンスが与えられる。
就活なんかは分かりやすい例です。

大学などは
そのための準備期間ということになりますね。

彼らが望むのは
誰かが望む未来?
思いもよらないような未来?

いずれにせよ
社会は若者にチャンスを与える必要があります。
どんなチャンスかは本人次第だし
与える側次第。

誰かが望む未来を形にしたいということであれば
それは自分以外の誰かが想像できることを実現したいということ。
であれば
チャンスを提供する側も理解しやすいですね。

それに対して
思いもよらない未来
これは理解できる人が少ないし
トライするにもリスクが大きい。
でも、うまくいけば
独自性とか希少性という面では
大きな価値が創造されるということになりますし
チャレンジする姿勢は
自身のその後はもちろん
周囲にも影響をもたらします。

ただし
いずれにせよ問題があります。
社会が望むことと
本人が目指すこととの間に
大きなギャップというか
勘違いがある。
さらに
それが埋められようとされていない。

もちろん
社会からのニーズや
学生本人が思うことの
差異やレベルは様々なので一括りにはできませんが
ここではそういうことが言いたいのではないのです。

いわゆる社会人だって学生だって
会社だって学校だって
同じ社会に存在しているのに
あまりに意思疎通ができていないじゃないか
ということです。

それこそ
親は社会人で子供は学生だったりするし
アルバイトしている学生は会社で仕事をしているでしょう?
なんでこんなに接点があるのに分かり合えてないのでしょう?

何を言っているのかピンときませんか?

簡単な例でいうと
そう
やはり就活がわかりやすいですね。

何で就活に臨む学生が
どうしたら良いかわからない状態になったりするのでしょう?

就活前の普通の学生だってそうですよね
夢を実現するために
何をどうすればいいかわからないでしょう?

チャレンジ傾向の学生でも
失敗したり怒られたりを
やたら恐れてたりする場合もあります。

何でそんなことになっているんでしょうね?
だって
世の中には夢を実現している人が実際にいるんですよ。
その人に聞けば良いんじゃないでしょうか?
本だってあるでしょう?
読めば良いんじゃないでしょうか?

やればわかること
やらなければ分からないことって
世の中にはたくさんあって
とにかくやりゃぁ良いのにね。

と、ここまで書いて思いました。
やっぱりそんなシンプルにはいかないかもしれません。

「夢」とか言い始めると
避けて通れないのは
チャレンジと
それに伴うリスクなんですよね。

本人も親も学校も
リスク回避が最重要事項であれば
そりゃ話が難しくなるでしょうね。

豊かな社会になって安定期になると
そこからはリスク回避の動きに入っていくのは
当然なのかもしれません。

なるほどなるほど。

でも、全員じゃないしね。
そういう状態からのリバウンドもあるでしょう。
こういう状態だからこそ見えるものもある。

さぁ、どうしようかな。
楽しくなってくるぞ。

幸福度を上げるために

自分だけのための何かを手に入れて完結…はしない
これでは幸せは得られない
我欲が満たされるだけ
それは慣れるし果てしない

幸福ってなんだ?
というのは結構深い問題で
そう簡単に定義できないかもしれないけど
社会の中で多少なりとも自分が存在する意義があれば
それは幸せなのではないかな

他に喜んでもらわなければ
自分の存在する意義は無い

結局
他人の利益のために奉仕する心が重要なのではないか

自分が幸せになりたければ
他人を幸せにするための行いをすべき
ということになるんでしょうね

なので
自己の成長は
他のため
ということになるのですね

やはり
自分がすべきと思ったことを
一所懸命やるってのは大事なことなんだな


何をすべきかが問題なんだけど
これはもう
とにかく信じたことをやるしかないですよね
考えたって出てくるはずはない
やってなんとかするしかない

なので好きなことをやるのは大事なんだね
好きなことなら
なんとかしようと思うもんね

仏教における三毒

私は特に仏教徒というわけではありません。
どちらかというと神社大好きで御朱印集めなんかしているので
神道の人ですかね。

でも、日本人である限りある程度の影響は受けていると思います。
お釈迦様の教え
ためになるものが多いなぁ
と思いますもの。

お釈迦様が言われた3つの毒

「欲」
「愚痴」
「怒り」

そうですね。
もっともです。

この場合の「欲」は
向上心などの前向き、上向きな欲のことではなく
いわゆる私利私欲、貪欲のような意味合いです。

「愚痴」と「怒り」
これは我々の心を強烈に引きつけて視野を狭めます。
愚痴を言っても怒っても
大抵のものは解決しないものです。

むしろそれによって
ネガティブなループが生成されてしまうことが多い。

「腹の立つことが起きたのだから怒るのは当然だ!」
気持ちは分かります。
でも、その「怒る」というアクションを受け止めた相手は
どういうリアクションを取るでしょう。
その時、何か良いことが起きるでしょうか。
恐らく大抵は良いことは起きません。

多くは、怒りによって間違いを正すとか
そういう使い方をしていると思いますが
思い通りに行かないものです。

一時的には「気が晴れる」ような気がしますが
心の底からスッキリはしないはずです。

「じゃぁ、腹の立つことが起きた時に怒らなかったら何が起きるの?」
ぜひ試してみてください。
一度だけでも良いので。

むしろ「怒る」の逆をやってみてください。
何が起きるでしょうね。

面白いもので
愚痴や怒りは私利私欲に根ざしていることが多いと思います。
「自分」という小さい枠と怒りがセットになっている。
逆に枠を広げて、自分の外を考えると
あまり怒る理由が無くなったりします。

何で自分は怒ってんだろ?
というのを紐解いていくと
欲にまみれた小さい自分が
もがいているのを発見したりします。

まだまだ未熟な自分は
ついついこれらにとらわれてしまいます
学生達の面倒を見ていて
「はっ!」とすることも多いです。
なもんで、今回こんなことを書いているわけです。
自分への戒めでもあります。

学生達は
まさにこれら3つの毒のなかで
日々もがいてますね。

視野を広げて
色々経験を重ねて
無駄をそぎ落として
ストイックにゴールに向かって行って欲しいですね。

そういったことには
結構勇気が必要なものですが
越えていった先には素晴らしい世界が待ってますよ。

そうそう、なのでゴールの設定を忘れてはいけません。
遭難しないようにね。

私はお釈迦様ではないので
彼らを救うことはできません。
でも、ちょとした手助けはできます。

彼我ともに日々精進でございます。