技術って何だ

あまり大層なことではありませんが、私ごときでも分かることや気付いたことを記事にしてみます。

昨日の記事では、専門家の出現によって技術レベルが向上したという話をしました。
これはつまり、専門家を養うだけどの余裕を作れる社会で技術は発達し、それによって生まれた余裕によって、さらに技術は発達するということを示します。

仕事は、何かしらの方法を用いて価値を生み出すわけですが、人力では限界があるので、利用できるリソースは大きいに越したことはありません。

例えば、仕事の動力源です。

そもそもは、全て人力なので、いかにその効率を向上させるかという手段として技術が発達しました。農業では、鍬とか鋤とかの道具の誕生です。
この場合、仕事量の限界は人間の体力です。

その後、人間以外の動力としての動物の利用が始まります。
しかし、動物では話が通じないし、繊細な作業ができないので、より使い勝手の良い動力源である人間(つまり奴隷)の大量利用を経て、自然エネルギーである水力や風力の利用、蒸気機関をはじめとする人工動力が発明されます。

で、それら全てに技術が用いられているというか、それらこそが目的を達するための「技術」と呼ばれる「手段」です。人類は、それによって生産性を向上して、余裕を増大し、それによって技術を向上するというサイクルを回してきたのです。

そんなふうに、技術の誕生の経緯などは大変興味深いのですが、農業の誕生以前はどうなのでしょうか。
実は、そこには衝撃的な技術がありました。

それは「土器」です。

これは衝撃的なテクノロジーです。
現代で、土器の誕生に匹敵するテクノロジーがあるのか?と問われたら、答えに窮します。
それくらい凄い。まさにゲームチェンジャーです。
…と、そう思っています。

何が凄いって、土器の誕生以前は、煮炊きができなかったのです。
これ、どういうことか分かりますか?

土器が誕生する前は、穀物は食べられるものとしてカウントされていなかったはずで、それが食料に変わったということです。
そして穀物は保存が利きます。
ということは大幅に、というか爆発的に食料の面での余裕が生まれたはずです。
もちろん調理することによって栄養価が上がったりもしたでしょう。

食料は人間のエネルギー源ですので、当然ながらアウトプットの量、つまり仕事の量が増大して、余裕が生まれます。
そしてその余裕が技術の発展に繋がったことは間違いないはず。

世界最古の土器は縄文時代のものだと言われています。
確かに縄文の土器は凄いです。現物を見ると分かりますが、想像以上に精巧で緻密で、工夫がされています。
あんなものは暇がないと作れない…というのは言い方が悪いですが、生活に余裕がないと作れないはずです。
土器の誕生によってできた余裕は、あの複雑な土器の製作などに充てられていたのかもしれません。

しかし、徐々にその余裕は他のことに使われるようになっていく。

1万5千年も続いた縄文時代には戦争がなくて、稲作が本格化して土器の形状が簡素化した弥生時代には戦争の痕跡があるのはそういうことかもしれません。

何事もトレードオフがあるってことですね。