彼らの夢は我々の未来

「学生って、こういうもんだから
まぁ、そんなもんだろう」
とか
「学生なんかにできっこない」

みたいな見方はしたくありません。
というか、大嫌い。

そもそも、そういった見方が
彼らのパフォーマンスを下げてしまうから。

だって、期待もされていないのに
大きなゴールを設定したり実現したり
そんなことはできないでしょう。

それに、期待されていなければ
「やらなくていいんだ」
と思うのが関の山。

なので彼らには期待したい。
彼らこそ我々の未来なのだから。

夢を持つ彼らには
「きっとできるからやってみようぜ!」
と応援したい。

仮にそれが、自分自身にできないことでも
そう言いたい。

ここ、意外と難しいところです。

仮に、先生ができないこと
というか
専門領域外だったりして
想像つかないことを
学生達が「やりたい!」と言ったとする。

どういう反応が返ってくるでしょうか?

恐らく色々な理由付けをした上で
「そんなのできるわけないだろう」
というのが多いのではないかな。
「現実的」な意見として。

いやいや、それはアンタの現実であって
夢を見ている彼らの頭の中では
現実化が始まっているかもしれないでしょう。

だったら彼らの夢は
彼らにとっての現実の一端なわけで
どのような「現実」で
夢まで繋いでいくかは彼ら次第。

そして、それができるかどうかを決めるのは本人であって
少なくとも、やったこともない人間ではない。

そもそも現状ではまだ足りないものがあるから学生やってるわけで
その不充分な状態で彼らの可能性を評価すべきでは無い。

自分の知識を受け渡して
やらせること(だけ)が教育だ

と思っているなら
自分の知識領域以外に飛び出そうとする学生に対して
「無理だ」と制限をかける気持ちの構造は理解できる。

でも、それはやっちゃダメ。

最も大事なのは
自分が心から望んで考え、行動することであって
先生に言われたことを忠実に実行することではない。

技術との付き合い方

「技術」は、そもそもの太古の昔は存在せず
何らかの目的を達するために生まれたわけで
「手段」に過ぎない…

なんて言ったら軽く見過ぎているようだけど
実際その通りです。

要は、ある手段を達成することができるのなら
どんな技術でも良いわけです。

もちろん、高度な目的を達するためには
高度な技術が必要なわけで
そういった経緯で技術は発達してきました。

ちょっと厄介なのは
理系人間の我々は
「技術」が好きなわけで

何かをやるときに
ついつい技術の側から
全体を構成したくなっちゃうのです。

つまり、手段を先に決めがち。

細かいところからやろうとするのは
学校教育の弊害でもあるとは思いますが

手段を先に決めると
それによって為されるゴールが制限されちゃって

ヘタすると目的が手段にコントロールされる
なんてことも起きて

それではまさに本末転倒。

技術の進歩は
実現手段は置いておいて
高いゴールを設定して
「これ、なんとかならねぇかな」
というところから生まれます。

ゴール到達のモチベーションが高ければ
何がなんでも手段を生み出そうとするでしょう。

これに対して
楽をすることがゴールだったりすると…

目標(形上のものであって、すでにゴールではない)を設定して
実現手段は、できるだけ労力が必要無いことを選択する(むしろこっちがゴールだから)けど
無理そうなら目標を手段に合わせて下げちゃったりして
一体、何のために何をやっているのやら…
という状態になります。

ヘタすれば
「それは不可能である」
ということになれば
それこそやる必要が無くなるので
最高に楽になる。

しかもこのロジック
意外なほど蔓延していると思います。

まぁつまり
技術と付き合っていくなら
好きなことに熱中するようなやり方をしないと
ちょっとうまくいきそうもないわけです。

これ、知識とか知能とかじゃなくて
心の問題でしょう?

そう思いませんか?

成長の難しさ

成長の過程において
障害とか困難、失敗などは
あった方が良いのか
無い方が良いのか

いやー、これは結構難しい問題…
でもなくて

障害とか失敗とかは無いとダメ。
成長できないから。

でも、皮肉なことに我々は
本能的にそれらを回避しようとしてしまう。

「本能的に」
ということは
何も考えなければそうするし
繰り返せば習慣になる
ということ。

しかも、それを意識すらせずに行動している。

逆に
考えていれば
それらを成長に利用できるのだけど

理由も無く困難な方に向かう
なんてのは結構難しいものです。

なので、それらに
ぶち当たったり乗り越えたりしたくなる
理由が要ります。

どうしても手に入れたくなるゴールです。

と、ここまで来ると
こりゃ難しい問題だぞ
と感じます。

どういうことかというと

このご時世
そんなゴールは設定できるのか?
ということです。

小さいことだけど結構楽しめたりするもの
そういうものが世の中には溢れています。

どうしても手に入れたくなる
魅力の大きなゴールを手に入れるには

大きな労力
つまりリスクが必要になります。

そして皮肉なことに
人は成功よりも失敗に対して大きく反応してしまう。

失敗の方が強く印象に残るのであれば
チャレンジするときに問題になります。

「どうせうまくいかない」
となりがちだし

失敗するくらいなら
やらない方が良い
とか
この小さいヤツで満足しておこう
とかなりがちです。

そして価値は最小化していく。

一般的には。

さて
何が言いたいかというと

魅力的な大きなゴールを設定して
そのために頑張れるヤツはいるのです。

現にリスクを払いながら
夢工房でやっているような活動をしていたり
スポーツで頑張っている学生は世界中にいます。

そういう連中は一体何なのでしょうね。
彼らはどうしてそういうことができるのでしょう。

恐らく自分でもよく分からないんじゃないかな。

現に行動している彼らに対して疑問を持つことは少ないのですが
そういう連中を増やしていくにはどうしたら良いのでしょうね。

もちろん自発的に
です。

一つ分かっていることは
どうやら我が国においては
今のような社会環境とか
教育のシステムでは無理っぽいぞ
ということです。

全員を…なんてのは無理でしょうけど
もうちょっと増やしたりはできるでしょう。

せめて、全体の2割が大きな夢を持ってくれたら
世の中が変わります。

うーむ
これはとても興味深くて
価値ある問題かもしれない。

現時点で明確なことは
これは知識とか知能で何とかなる問題ではない
ということ。

心の問題でしょう。