チームの力

最近気になっているのは…

世の傾向が個人主義になれば
多くの事を個人の力でやるわけで

極端な話
できることの限界は
個人の力で可能な事になる
ということ。

悩みとかストレスとかの原因は
大抵は人間関係です。

個人主義になれば
人間関係の面倒が無くなって
その辺の負荷は減るのですよね。

でも
組織で仕事をしていても
中身が個人主義だったら
チームのパフォーマンスは低く
組織としてできることは小さい。

それが個人主義の代償です。

超人的なトップがいて
全てを一人で決めて
トップダウンで大勢の優秀な兵隊に落とし込む

そんなやり方ができれば
そのトップがいるうちは良いかもしれません。

でも、日本人には合っていない気がします。

チームの存在理由は
個人ではできない事を集団の力でやること。

組織力の源泉は
スピードとパワーとフレキシビリティ
…と思っているのですが、どうでしょう?
あとは相互の信頼関係ですかね。

だとすると
密に直接的なコミュニケーションを取るのが一番です。
メールやネットミーティングより
速く大量の意思の伝達ができますから。

テクノロジーは便利で役に立ちます。
正確で大量の情報伝達などには向いていますね。

でも、完全な依存は危険で
シーンに合わせた使い分けや併用は大事です。

「あうんの呼吸」なんて
過去のものになっている感がありますが
実は、それができれば最強でしょう。

世の中便利になって
個人でも色々できるようになってきましたが
それでもチームじゃないとできない事はあるわけで
というか、実は世の中そんな事ばかり。

テクノロジーは大事ですが
同時に、そういった基本的なことも大事にしていきたい。

コミュニケーション能力云々と言われますが
そんなものは
高い目標に向かうパワフルなチームに身を置いて
実践で必要とされる環境に曝されれば
手に入るのは当然で

むしろ、それが無い環境で「何とかせい!」
というのは無理な話だと思いませんか?

本当に必要だと思えるのなら
手に入るのですよ。

良い経験の作り方

頑張ればできる!

とか言いますが
誰でもできるのかな?

そんなことはない。
できなかったりもする。
適性などはあるので
「何でも」
というわけにはいかない。

しかし
「こうすればこうなる」
という経験のセットは手に入ります。

その経験を未来において再利用する事はできるので
一発でうまくいかなくても
諦めなければ何とかなる事も多い。

ただし、その経験に対して
ポジティブな印象を持っている必要はあるでしょう。
そうでないと再利用する気になれません。

それなりに中身がある必要もあります。
プロセスとしての質の高さが重要です。
そうでないと再利用しても意味がありません。

そして「できるはず」と思わないと有用な経験にはなりません。
手を抜いたり、「ダメかも」と思って中途半端なやり方をしたら
再利用する価値のある経験は得られないということです。

結果がどうであろうと
再利用できる経験が「良い経験」です。

なので、頑張った結果を無駄な経験にするか
それとも成果に繋がる良い経験にするかは
自分で決めて良いのです。

そんなことを考えていると
ポジティブ思考の人がうまくいって
ネガティブ志向の人がうまくいかないのは
当然だということが分かると思います。

ネガティブ志向の人って完璧主義なのかもしれません。
理想が完璧に実現しないとそれは失敗だ、無駄な経験だ
みたいに考えちゃうのかもしれませんね。
そりゃキツイでしょう。

価値の本質 その2

価値の本質を形づくるものは
きっと色々あるでしょうけど
ここでは
ものをつくる
という方向性で考えてみましょう。

「もの」と、平仮名にしているのは
物体に限定したくないからです。

生み出した「もの」が
もたらす効用によって
得られる感情
それこそが価値の正体です。

それは、安心感だったり、喜びだったり。

それが大きい方が価値が高い
ということです。

では次に
これを夢工房で行っているようなことに限定すると
やはり、性能とかの数値化できるものが価値に繋がりそうです。
とはいえ、数値化できない外観の品質なども重要です。

いずれにせよ
やっていることは、喜びを得ことに繋がるものづくりです。

良いものを作りたい
ということですね。

そう。
「良いもの」が喜びを喚起するわけで
それができるような人になることが
夢工房におけるゴールのひとつです。

「良い」とは一体何でしょう?

相対的なものです。
何かに対して「良い」とか「良くない」とか
そういうことです。

もちろんそこには
数値的な比較が可能な絶対的なものがあったり
主観的な、いわゆる「好み」のようなものがあったりします。

いずれにせよ、比較対象に対する
優位性とか差別化とか
そういうことが「良い」の根源にあります。

※もちろんここで言う「差別化」とは、「人種差別」のようなネガティブな意味ではなく、「他に対する違い」という意味です。

問題は
そういったものを創り出すための
能力とか感性とかを育むための機会が充分にあるのか
ということです。

製品開発をするなら
極めて重要な事です。

皆で同じことを学ぶ授業では
皆が同じものを、同じように教えられ
それを理解するとか知るとか
そういうことがゴールです。

そこには差別化はありません。
他と異なることをする能力は評価されない。

そして、そこには
目に見える答えしか用意されておらず
感性を育む機会はありません。

そういった能力や感性を身に付けるには
やはり、ものを作ること
特にコンペティションが最適だと思っています。
エキサイティングだしね!