電気の時代がやってくる 2024年版

一時はかなり盛り上がったEV(電気自動車)ですが、最近ではだいぶ様子が変わっていましたね。

エネルギー密度にまつわる重量の問題や、コストや充電時間の問題など、基本的なところに関しての問題は当初のまま…それはもう、100年前から変わらないわけですが、ここに来て新たな問題が露呈してきました。
…と思っています。

現状、中国は相変わらずEVでイケイケ状態のようです。
対して、欧米では一頃の盛り上がりが見られません。

そこでは何が起きているのでしょう?

以下は私の予想です。

バッテリーの原料は、いわゆる発展途上国で採掘されます。主にアフリカとか南米ですかね。
人件費が安いので当然です。
その採掘現場でも、色々問題があるようですが、ここでは細かいところに触れるのはやめましょう。

そして、採掘した原料を精製したり、それを使ってバッテリーを生産する国は限られていて、中国が最大のシェアを握っています。

欧米と中国の仲が悪くなれば、バッテリーが思うように使えなくなる可能性があります。

自動車の多くがEVにシフトした状態で、ある日突然、バッテリーの価格が急上昇したり、手に入らなくなったら、それはもう大変なことになります。

いわゆるエネルギー安保の観点から、EVシフトは妥当では無い、という判断は働いているでしょうね。

そういったこと以外にも、世の中は問題だらけなようです。
そして、我々が入手する情報は、今やフェイクなのか正しいのかすら良く分かりません。
そもそも、ひとつの事象に対して色々な見方ができるのに、特定の見方をした情報源に頼っている時点で、正しく物事を見られているのかは怪しいものです。

世の中気になることだらけなのですが、我々は雑音に惑わされることこと無く、やるべきことをやるべきなのでしょうね。

その「やるべき」というのは、「己が信じること」です。

やってみなけりゃ分からない…のだが

そりゃそうです。

でも、多くの学生達は悩みます。

「分からないからできない」
と。

今回は、これに関するお話しです。

夢工房の学生達は
毎年クルマを作ります。

燃費を競うとか
速さを競うとか
まぁ、色々ですが。

で、色々考えて決めなきゃいけないのですが
その時に

「今の自分が知っていることや
できること(手段・方法)はこうだから
それでいく」

とすることがあります。

特に理系の、技術系の学生は良くやります。
だって、技術(=手段)好きですから当然です。

これ、一見良さそうだけど
ダメです。

なぜでしょう?

彼らが作るのはコンペティションのためのクルマです。
目的とか目標があります。
つまりプロジェクトのゴールですが。

「今の自分が知っていること(手段・方法)はこうだから
それでいく」

とやると
ゴール到達のための手段を先に決定する
ということになります。

「え?何がダメなの?」
と思うでしょう。

手段を固定してしまうと
それによって得られる結果も固定されます。

その手段が、ゴールに向いていれば良いのですが
大抵はそうではありません。

今現在の自分が知っていることや
できることをやっただけですから。

そのやり方を超ハードにプッシュししても
ゴールには到達できないでしょうし

そのやり方で
数百回繰り返しても
結果はあまり変わりません。

だって、今現在できることを何回繰り返したって
「できること」は大して変わりませんから。

まぁ、そういうのも
やってみれば分かるので
それでもまた勉強ではあると思いますが
時間がもったいないですね。

というか、そんなことしていたら
思考停止するか
心が折れるでしょう。

ビギナーは、とかく経験することが大事なわけですが
その時に大事なのは

今できることをやる
ではなく

ゴール達成のためにチャレンジすることです。

上位概念のゴールを決めて
そのためのコンセプトを決めて
そのための戦略を決めて
用いる手段を決めて…

これらは全て仮定であって
正解ではありません。

だって、まだやっていないのですから。

ともかく
ここまでのワンセットを決めたら
最下層の「手段」をやってみる。

ここで
「やってみなけりゃ分からない」
の発動です。

もちろん、やってみても
望み通りの結果は得られない可能性があるけど
分かることはある。

それによって、必要とあらば
手段を変更したり
上位の方の概念を修正したりする。

その辺のグルグルに手間と時間がかかるので
ビッグなゴールに到達したければ
早く動く必要がある
ってことです。

おっと
その際はアウトプットも忘れないように。

認知能力と被認知能力

「出来は悪いのだけど何とかしたいぞ!」
という工夫を重ねてきた自分としては
以前から記事にしているとおり

いわゆる「お勉強」のような
形式知よりも

やらないと分からない
暗黙知(経験知)に
重きを置く戦略でやってきたわけです。

もちろん、その時は意識的ではありません。
直感です。

これは結構成功したというか
面白かったわけです。

だって、経験しないと分からないことって
最初はうまくいかないことが多いので
皆が敬遠したりして

結構、やってる人は少なかったりすることもあって
その経験自体に希少性が出てきます。
継続すればなおさらです。

そういうのって優位性にしやすいですからね。

希少性や優位性を持てる事自体が
満足感を得られる元になったりもしますし。

さて、形式知とか暗黙知ってのは
要は知識なわけですが

知識は使うためにあるわけで
そのためには「能力」が必要になります。

学校で習得したり、養われるのは
記憶力とか
言語理解力とか
論理的思考力とかですかね。

こういうのを「認知能力」といいます。
知能検査とか学力で測れる「力」ですね。

これらは、授業で教えたりできます。

それに対して「被認知能力」というのがあります。
私の大好きなヤツです。

これは…

人間関係を構築する力とか
自己管理能力とか
責任感や協調性
想像力やモチベーションなんかが含まれます。

ここで言うのは「能力」ですから
知識として理解するこだけではダメで
できないとイカンわけです。

これらは
失敗を恐れずにチャレンジして
うまくいかない失敗から学んだり
諦めずに工夫したりして乗り越えたり
仲間と力を合わせてジタバタしたり
感情を含めたアウトプットに対するフィードバックから学んだり

そんな風に、実体験として経験しながらでないと得られないものばかりで
こういった能力は、授業では養えません。

ですが
こういうのを軽視しすぎではないかな
と思うのです。

これらは言ってみれば
生きるために重要な能力でもありますが

数値化して評価しにくいですから
学校では授業科目にできません。

レベルが上がったところで
お受験には一切役に立ちません。

ところが!

認知能力は大事な能力ですが
そもそも、それを実際に使う際には
被認知能力が必要なのです。

なので、被認知能力が養われていなければ
「知っているけどできない」
ということになる。
そりゃ当然ですね。

逆に
被認知能力ばかりが成長しちゃうとどうなのか?

恐らく、そちらはあまり心配要りません。

なぜかというと
被認知能力が高まると
認知能力が欲しくなるからです。