未来予測とその対応 その8

今日はこれ。

・学生が自力で「準備」しなければならないような質的転換が必要。
つまり主体性が必要と言うこと。「自ら準備しなければ”終わり”」というやりかたが必要。

まぁつまり
「やらされ感覚」ではダメだ
ってことですね。

で、自ら進んでやりたくないなら
”終わり”でいいじゃん
ということなのでしょうけど。

まぁそうですね。

やりたいことをやるのが一番で
それが最も成果が出るわけですから
ある意味効率が良い学びと言えるでしょう。

対して
現在の教育も効率を追求していると思います。

多くに対して指示をして
皆が同じことを覚える
皆が同じようなことをする
それを単一で同一の尺度で評価する

それも効率です。
でもそれは、学校側の都合ですね。
昔はそれで良かったのだと思いますが。

果たして学生は
学校で過ごした時間相応の
優位性や独自性を持った
価値ある経験ができているでしょうか?

莫大な時間とお金を投入して
なおかつ最低限の労力で
「皆と同じ」という
競争力が無い「普通」を目指していたり
そんなことは無いだろうか。

教育における「効率」の定義を
再考する必要があるのではないかと思うのですが
どうなのでしょう。

ダメなものを何とかしようというやり方から
好きなもの得意なものを伸ばそうというやり方へ。

好きでもないことを
無理矢理突っ込むようなやり方で
うまくいく場合もあるとは思います。

でも、それを全員に適用させようというやり方はどうかと思う。
嫌いなものを、ますます嫌いになっちゃうし
教育ってそういうものだ
という先入観を固定化してしまうのみならず

「やる」と「やらされる」の区別が付かなくなって
あまりハッピーなことにはならないと思います。

これ、想像以上に深刻なことで
対策は急を要すような気がするのです。

でも、学校は急に変わらないでしょう。
なので、夢工房では…やる!

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