人の器の話

一般的に言う、「器のデカイヤツ」の「器」のことなのですが、こいつの話をしてみましょう。

この場合の「器」とは、自分で決めた心の容量のようなものです。
よくコップに例えられますね。

それが何かしらの感情などで満たされていって、口いっぱいになれば、それが限界です。

その大きさは自分で決めるものです…ってのも、よく聞く話ではないでしょうか。

いわゆる心が狭いとか、心が弱いとか言われる人は、この器が小さくて、すぐに一杯になっちゃって、怒ったり、崩れたり、となるのは皆さんご存じの通り。
それが良いとか悪いとか、そういう話をしたいわけではありません。

夢工房でやっているような、コンペティションに挑戦しているとしましょう。
その時の努力とかの限界値を決める要素って、色々あるのかもしれませんが、極めて重要なことがあります。

それは、志や夢の大きさなのです。

大きな志や、大きな夢を持てる人って、実績や経験が豊富な人だと思われがちです。

が!
じゃぁ、ビギナーが大きな夢を持つのは変なことでしょうか?間違っているでしょうか?

そうではないのです。
ビギナーにこそ大きな夢が必要です。

もうこの辺で気付いているかもしれませんが、夢の大きさって、心のコップの大きさなのです。

例えば、「世界一速いレーシングカーを作りたい!どうしてもどうしても、何がなんでも作りたい!」と思っていたら、大きなコップを持っていると言うことなのです。

そういう状態なら、ちょっと何かやってみた、ちょっと何かを知った、ちょっと何か失敗した、くらいで、決してコップは満タンになりません。カラカラです。

「それじゃ全然足りない!」
と思って、色々やったり調べたりして、何とかコップを満たしていこうと思うでしょう。

対して、自分はまだビギナーなのだから、と、小さなコップを用意してしまうと、ちょっと何かをやっただけで一杯いっぱいになってしまって、辛くなるでしょうね。
ヘタすると、あっという間に継続する事自体が苦痛になってしまう。

でもそれ、実に普通のことじゃないですか?

自分はまだ経験が十分じゃないから、小さなところで満足しておこうとか、ヘタするとゴールの設定すらしないとか。

ビギナーは、大きなコップを用意すべきではないとか、ヘタに大きなコップを用意してしまうと大変なことになると思っていませんか?

でもそう思っているとしたら、これまで「やらされすぎ」なんだと思いますよ。
小さいコップを用意しておけば、すぐに一杯になったことが、やらずに済む理由になります。
生活の知恵みたいなものでしょう。

なにか言い方が悪い気がしますが、誰しも最初はそんなものかもしれませんけどね。
私も、そんな考え方と行動をしていた覚えが山ほどあります。
今だって、そういう状態から脱しているかと言えば、決してそんなことは無いと思います。

これまで何度も言っていますが、そういう姿勢って習慣なので修正は難しいです。
そから脱することを望んで、工夫して、それを楽しめたら良いんですけどね。

私がたまに変なチャレンジするは、そういうことだったりもします。

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