若い頃ってのは
合っているだの間違っているだの
善だの悪だの
極端な考え方に走りがち。
中途半端なグレーゾーンは大嫌い
とかね。
経験を重ねるうちに
そんな二元論じゃどうにもならなくて
世の中曖昧なものだらけで
それもまんざら悪くないし必要なことだよなぁ
なんてことが分かってくるのだけど
こりゃぁ一体何なのだろうと考えることがあります。
極端なものの考え方ってシンプルですね。
こういう簡単なやり方って
スッキリと心が満たされるんですよね。
割と簡単に。
効率が良い考え方とも言えます。
対して曖昧なもの、曖昧な考え方…
なんか表現が良くないな。
両極端に走らない考え方ってことなのですが
そういうのを「中道(ちゅうどう)」とか
「中庸(ちゅうよう)」って言いますね。
曖昧な状態でものごとを受け入れて認めるって
結構難しかったりします。
スパッといかなくて妥協が必要です。
単純に短時間に、とはいかず
効率が悪いです。
若い頃は、こういう中道的な考え方って
難しくて面倒だから避けがちで
さらに言うなら
いわゆる理系の世界も
中道的な考え方は馴染みません。
でも、世の中は矛盾だらけで多種多様。
なんでもかんでも白黒付けて
割り切れるものではありません。
中道は理系には馴染まない
と言いましたが
実は、何かを設計するときだって
「絶対」なんてことはなくて
「こんなふうににしたいなら
こっちはちょっと妥協しないとね」
とか
そんなことやってるんですよ。
あっちを取ったらこっちが立たずで
そうしないと収まりが付かない。
あ!そうか!
だから若いコは設定を決めるのが苦手なんだな。
妥協できなくて
あれもこれも立てようとするから。
極端な考え方も時として必要なこともあるけど
それは絶対ではない。
効率は良いかもしれないけど
いろんなものを排除したり対立したり
ってことになりがち。
中道的な考え方は
曖昧で非効率で
満足度は低いかもしれないけど
それはそれで長期的にものごとを考えたり
進めたりするには必要なこと。
何でもかんでもルール化したり数値化したり
バッチリマニュアル化したり
そんなことをすると
短期的には安心なのかもしれないけど
それはそれで弊害はある。
あうんの呼吸とか
暗黙の了解
みたいな世界は
曖昧でスッキリハッキリしないかもしれないけど
そういうのでうまく収まっているなら
それはそれで幸せな世界なのかなぁ
なんてことを考えたりしてます。
とはいえ、グローバル化した世の中じゃ
そういうのは難しいのでしょうね。
おっと!
勝ち筋がちょっと見えた気がするぞ。