勇気の先にあるもの

初盆は、実家で待機していて
お客さんが焼香に来てくれて、出迎える
という日々を過ごしています。

お客さんは、親戚をはじめ
色々な人が来るわけです。
それはもう、年齢も職業も。

で、昔話やら近況やら
仕事の話やらをするわけです。

そんなふうに、何気ない話をしながら
何の脈絡もなく、なぜか改めて思ったのは…

リスクを取ると相応のものが得られる

その経験があればリスクを取りに行くけど
経験が無ければ先にあるものは見えないわけで
その人にとっては単なるリスクにしか見えない。
人は見たいものしか見えませんから。

全く、人の話聞いてんのか?
って感じですが、ちゃんと聞いてますよ。

リスクを「取る」とは言いますが
それは、何かを「捨てる」
ということでもあるわけで

まぁ、大なり小なり覚悟は必要でしょう。
でも、勇気があれば得られるものはあるわけで
何を取るかは自分次第。

ただ、この「捨てる」を簡単にできてしまう人
そもそも、それがデフォルトな人もいるわけで
そんなのも興味深いですね。

お盆に思うこと

このところ、いわゆる初盆ってやつで
春に突然「喪主」になって困惑しながらも
周囲のサポートのおかげで何とかなりながら
気付いたら、めっきり仏教的な世界に入り込んでいます。

当然ながら、そこで目にするもの、触れるものは
仏教的なアイテムが多いわけで。

位牌にはじまり
お鈴(おりん)とか
香炉とか
墓石とか
お寺での法要があれば
それに伴うアイテムたち

木、石、磁器、陶器、真鍮
などでできた品々
仕上げといえば漆ですかね。
まぁ最近はラッカー系の塗料がほとんどでしょうけどね。

ここしばらくは付き合いが希薄だった
それらのアイテムから
何を感じているかというと

やはり
何となく懐かしく馴染むというか

材質や、仕上げ、手触りや音など

それらは我々と1000年以上
ヘタすれば数千年以上も付き合ってきた素材。

一生懸命生きたら
そんな素材でできた
木の箱に入って
磁器の壺に入って
石の下に入っちゃうのだな。

死んでからも結構忙しいな。

まぁ、それまでは頑張ってみるか。