なぜ失敗を恐れる 3

政治家とか芸能界のスキャンダルが世を賑わせたりしていますね。
詳細は知りません。
そんなニュース、あまり興味が無いので。
だって、今やってることの役に立たないし、時間の無駄ですから。

でも、気になるのは、そういうスキャンダル系のニュースって、当事者はいわゆる「吊し上げ」状態になるわけですよね。
まぁ、それなりのことをやっているのだから仕方ないのかもしれませんが、そういう情報に触れると心が守りに入っちゃいませんか?
そうならないなら良いですけどね。

そういうニュースは、「良くないこと」つまり「失敗」をネタにして吊し上げるわけですが、その報道によって、見ている側がより失敗を恐れて無難なことをするようになるのではないかな?というのが気になるところ。

無難なら結構なことじゃないか
と思うかもしれません。

でも、成長過程の若者だけに限らず、皆が無難を追求して守りに入ってしまったら、実につまらない世の中になります。

一応言っておきますが、悪いことは悪いわけで、行為自体を正当化するつもりはありません。
気持ちが萎縮してしまうことを懸念しているのです。

失敗しないことが成功じゃ無いので、いくら無難なことを積み重ねても、成功しないし面白くならないのですよ。

夢工房で学生達が作るレーシングカーなんかを例に取ると分かりやすいですよ。

とにかく壊れない無難なものを作ろう!
とかやっちゃうとするでしょう。
最初はそういうのをやりがちだと思いますが。

それ、何回繰り返したら勝てるクルマになるのでしょう?
なるわけありませんよね。

性能面だけでなく、気持ちの面も重要です。

守りに入った無難なところからスタートするのは、そうしたい気持ちがあるからです。

守る気持ちは、どれだけ強化したら攻める気持ちに変わるのでしょう?

そうなっちゃう理由はともかく…
そう、「ともかく」です。
原因は大事なのかもしれないけど、それが何であれという話だから。

勝つためのクルマを作るのは、それに必要なマインドがセットされていないと無理なのです。
そこに向かうわけ無いから。
方向が違うのです。
「無難」の先に「勝利」があるわけではない。
それらは同じ軸線上に乗っていないのです。

学校にいると勘違いしがちだと思います。
「できるコ」は「良い子」でしょう?
周囲の手を煩わせないという前提の先に「できる」があったりしますから。

でも、凄いことを思い付いて実行するヤツは、変態の馬鹿野郎だったりするわけですよ。

失敗を恐れずリスクを取って突き進む

勇気が必要です。パワーとスピードも。
親や先生からは嫌われそうですねぇ。

勇気とパワーとスピードを兼ね備えた変態の馬鹿野郎、手に負えませんもの。

ま、キミは何が欲しいんだい?って話なんですけどね。
おっと、キミの正義は何なんだい?ってのも大事ですよ。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

ドイツの鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクの言葉です。
まぁもっともかとは思います。

でもね、歴史からは学ぶべきだけど、実際にやるからこそ分かることもあるわけで、そういう意味では愚者の方法だって良いではないかと思います。

要は戦略が大事なのではないかと。
愚者の方法を凄いスピードでやったらどうなるか?
もちろん同じ事を繰り返していちゃダメですよ。
そこからちゃんと学ばないとね。

きっと面倒で勇気が必要だったりするのですが、だからこそ独自性や優位性がつくれたり、そこから生み出せる価値があります。

さぁ、どうする?

我々の労働観

日本人にとって、仕事とは何か?
そんなことを考えたりします。

昔から「時短」(労働時間の短縮)とか言われてきて、昨今では「働き方改革」なんて言っていますね。

我が国では、世界的に有名になった「過労死」(英語でもKaroshi)なんて言葉があったりします。

ずいぶん前に、オーストラリア人の友達が、日本語の学習ブック見たいのを見せてきて
「karoshiって、本当なのか!?」
と聞いてきました。
彼は信じられないようで笑っていましたが。
まぁ、そうでしょうね。

色々な考えがあると思いますが、私はやりたいヤツにはやらせたら良い、と思っています。
もちろんセルフコントロールはすべきで、その能力も手に入れるべき。

そして、やりたくないヤツにはやらせなければ良いとも思います。
やりたくないヤツに無理矢理やらせたら、本当に死んじゃいますから。
そう、やりたくないヤツにやらせるのが問題。

でも、やりたいヤツにガンガンやらせて、やりたくないヤツを放置したら、今の社会構造から言うと大変な格差社会になるのでしょうね。
現にそうなっている国はありますしね。

なので、ガンガンやりたいヤツには、興味が無くても適性が無くても、決められたことを課して頭を押さえておき、やりたくないヤツにやらせる、ということが、昔からずっと続いている…ような気がします。

でもそれで一億層中流ができたのかな。
それはそれで凄いことかもしれない。

古事記を読むと、神様が機織りしたり畑仕事したりしているわけで、我々にとっての仕事ってのは貴いものなのかなぁとか思うし、であれば、日本人が仕事人間でも仕方ないし、それもアリなんではなかろうか、とも思ったりします。

でもまぁ、外圧とあるのでしょうけど、色々あって良いと思うのですよね。
特に学生は。

やりたいヤツには、やりたいことをトコトンやらせてあげたい。
失敗しながら経験を積んで欲しいのです。

そもそも成長過程なんてのは非効率なものだし、そうであるべきだと思うのです。
経験の数が重要なので、その中にはしょうもないくだらないものとかがあってしかるべきなのです。
だって、そういうのを知らないと、良いもの、素晴らしいものが分からなくなるから。

効率とか何とか言うのは、エキスパートになってからで良いんじゃないですかね?
小さい頃からやるべき事をキッチリ決めて、失敗無く、無駄なくやらせる。
そんなことしたら、つまんない人生になっちゃいませんかね。