そこに「思い」はあるかい?

「思い」について書いた記事、結構沢山あることに気付きました。
が、書きます。

なぜかというと、あまりにこの「思い」が軽視されている気がするからです。

大学や職業の選択でも良いし、もしくは仕事でも趣味でも良いのですが、何かを選んだりやったりする、その原点にどれだけ強い思いがあるのか?
それはとても重要なことです。

だって、それによってやり方も成果も大きく違ってくるからです。

でも、そういったことはあまり考慮されていないのではないかと懸念しています。

何かを成し遂げるには、まぁゴールに到達するには、と言っても良いと思うのですが、まずは「思い」が必要です。

「思い」によってゴールの設定がなされて、「思い」によって考え、「思い」が駆動力となって行動する。
「思い」は、熱意とかパッションとに読み替えても良いですが、うまくいくのはそういう構造になっているときです。

当たり前ですが、この「思い」が弱かったり、もしくは無かったりするとうまくいきません。

「いくらなんでも無かったりなんてことは無いだろう?」
と思いますか?

あり得ますよ。
言われた事に従うことによって生きてきたら、十分あり得ます。
もちろん、自分ではそうなっているなんて考えもしないでしょうけど。

例えば、親や先生に「この学校へ行け」とか「この会社がお勧めだ」みたいなことを言われて、従順に従うようなケースはあり得るのではないでしょうか。
そこまで極端で無いにしても、「これからの技術トレンドはコレ!」みたいな情報に踊らされて、自分の将来の方向性を決める場合も似たようなものでしょう。

そういった行動原理によって行動する場合、恐らく仕事をしてもクリエイティビティとかオリジナリティは発揮できません。

「そんなの勉強できれば問題無いだろ」
と思いますか?

そもそも、「思い」も無いのに勉強ができるようになる動機があるのかってのも疑問ですが、仮に、できるようになったとしても、創造性とか独自性を発揮する原動力にはなりません。
言われたことはしっかりやろうとするでしょうけど。

でも、言われたことをやったり覚えたりするのはAIの得意技で、奴らは凄い勢いで進歩しています。ロボットのテクノロジーもしかり。
もう悠長なことを言っている場合ではありません。

仕事が奪われる、などという恐怖を動機にせざるを得ない世の中になる前に、我々人間だからこそ、という部分を強化して、楽しく明るい未来を作らねばなりません。
そう考えれば、AIもロボットも便利な道具であり、ドンドン利用していくべきです。
特に、弱点の補強とか、面倒な単純作業とか、そういったものは特に。
AIが得意なこととか、AIには敵わないことをやったり覚えたりしている場合では無いのです。

じゃぁ、もっと難しいことをするのか?

しても良いです。
その先のことをやるってのも戦略の一つかもしれませんが、それが全てでは無いし、そういうのは凄く頭のいい人達に任せておけば良いと思います。

我々は、夢とか勇気とか、それらによるチャレンジとか、そういった路線で行きます。
そういったものは、いつの世でも貴く価値あるものですから。

興味のない人から見たらバカみたいなことかもしれませんが、そういうのって表裏一体ですからね。

キミの「普通」が結果を決める

人の一日の行動は、そのほとんどが無意識下で決定されるそうです。

まぁ、そうですよね。
人が一日に何をするのか、その行動を分解して考えてみたら想像つきますよね。
単に歩くだけだって、一々「右足をこんな角度と高さで、これくらい前に…」なんてやってませんし、食事やPCの操作だって同様でしょう。
クルマやバイクの運転だって、習熟するとそのほとんどの操作は無意識下に置くことが可能になります。
もちろん何をしていても意識することは可能でしょうけど、それでもほとんどは無意識下で行動しています。

無意識下で行われる決定とか行動は習慣なので、自分にとってはそれが「普通」です。
当然、自分にとっての「普通」に応じた結果が得られることになります。

違う結果が欲しければ、望む結果と言っても良いですが、その場合は変化が必要です。
当たり前です。

ですが、自分が無意識にどのような選択や行動をしているのか、そもそもそれが分かるのか?
無意識を意識するって難しいことです。だって、意識してないですから。

では、どうしましょうか?

無意識下の行動を認識できないとしても、普通じゃない結果が欲しければ、そのための決定と行動をすれば良いだけの話です。
それを継続すれば習慣になります。
それがうまくいけば、無意識による習慣が上書きされます。

一般的に、意識して継続する期間は3週間です。
行動が習慣として定着するのには、その程度の期間が必要だと言われています。

そして、それがうまくいくと、自然と、自動的に、自分が望むことのための行動をとることが「普通」になります。

嘘っぽい?
では、色んな人を見てみましょう。
うまくいっている人、うまくいかない人
いずれも、その結果を得るための行動を自然と取っていることに気付くと思います。

注意すべきは、最初からドデカイことをやるのではなく、これまでとは異なるけれど、実現可能なレベルで継続すること。
これを繰り返して積み重ねていくのです。

とはいえ、けっこう難しいです。

この習慣がうまく作れれば、なんでも可能になってハッピーなのですが、そもそも「このために、それをやるぞ!」というマインドをセットすることが難しくて、継続も難しいです。
これは、理屈ではそうした方が良いことは分かっている、とかではダメです。

大事なのは動機ですね。
「何のために」です。

これを追求していくと、結局のところは「思い」にたどり着きます。
これは別の記事として書いてみましょう。

新しい技術 ギガキャスティング

ギガキャストとも呼びますが、これは自動車のアンダーボディ、言ってみれば床面を構成する下部ボディを、一体成形の鋳造で作っちゃうと言う技術です。
始めたのはテスラですが、今はそれを各社がやろうとしています。EV向けとしての採用が主流のようです。

これ、何が良いかというと、今まで数十点の大型のプレス部品をスポット溶接で一体化していた構成を、鋳物として一つの部品にしてしまおうということで、コスト削減には大きく効いてきます。
おまけに強度や剛性も確保しやすいのではないかな。

作り方としては、巨大な金型を用いて、溶融した材料を流し込んで冷やして型から抜くという工程です。
材料はアルミ合金ですね。

初めて耳にしたのはずいぶん前ですが、ここに来て各社が追従していく姿勢を見せていることに少々驚いています。
良いとか悪いではなく、この製造方法の変化はかなり大がかりなものなので、そのスケール感というか、チャレンジ精神に対してです。

この方法を採ると、現行の製法に対して、思いのほか色々変えることになります。

まず、材料はアルミ合金などの軽合金であること。
現行の多くの量産車は鉄系の合金でできています。
鉄だと融点が高い事に加え、比強度といって、重さと強さで考えるとアルミやマグネシウムに劣ることになります。
そう、同じ重さだと、鉄よりアルミの方が強いのです。
そういうわけで、電池が重いEVにはピッタリなのでしょうね。

で、フロア周りをアルミで作るとなれば、上のボディ、床周りのアッパーボディに対して、アッパーボディと呼びますが、そっちもアルミで作ることになります。これ、一般論ですが。
なぜかというと、鉄とアルミを接触させて使うと、「電食」といって、腐食しちゃうからです。
なので、大抵は車体全体をアルミで作ることになるのです。

これは日本にはキツいはず。
なぜって、アルミの精錬は電気を使うので、電気代の高い我が国には非常に不利だから。
国内で精錬すると高く付きます。
なので、海外産の精錬済みの材料を購入して製造することになるでしょう。
その点、テスラのあるアメリカとか、フランスなんかは原発があるので電気代が安くて有利です。
現に、夢工房の学生達も、最近では強度の高いアルミ合金は、国産材ではなくフランス製を入手して使っています。

あと、ちょっと気になるのは、この製法で作ったクルマがクラッシュした場合の補修です。
鋳物の部品は、一般的に脆性が高いです。柔軟性が低くて脆いってことです。
なので、変形した場合には従来のような鈑金修理が難しいのではないかな。
あと、鋳物の溶接はできないことはありませんが、やりにくいです。強度も出しにくいはず。

さらに言うなら「では変形した部品は交換してしまおう!」っていうわけにもいかないでしょう。やっちゃうのかな?
だって、床面一式ですよ。そりゃエライことだ。
なので、フロア周りの変形を伴う事故なら即廃車?

とまぁ、色々とあるわけです。
もちろん、良いとか悪いとか一概に言えるものじゃなくて、全てはトレードオフですけど。
それをメリットとして採用できるのは、財力がある、国力が高い国のメーカーでしょう。

そんなことを考えていると、クルマはまだまだアイデアでゲームチェンジできる余地はあるんだよなぁ、とか、今後はこの調子で作る方も買う方も二極化していくのか?とか思うのです。
うむ。興味深い。