出雲に行ってきます 出発前夜

週末を使って島根県の出雲大社に行くことにしました。
実は出雲大社参拝は「ついで」で、メインは飛行機と船です。
そう、前回の北海道で味を占めました。飛行機とフェリーの組み合わせは意外と面白いのです。
そして、行く先々で卒業生と会ってきます。
お供をしてくれるのは、毎度お馴染み当研究室卒業生の梶山君。

まずは復路のフェリーが着く横須賀に行ってフェリーターミナル近くの駐車場にクルマを停めます。というのも、帰路のフェリーは到着時刻が遅いため、終電逃したらマズイぞ、ということです。
続いて、明日は早朝の飛行機で出雲に行くので、羽田空港近くのビジネスホテルにチェックインしたら、品川で卒業生の福本君と合流。夕食をともにします。

左が福本君、右は梶山君

彼はウチの研究室所属ではありませんでしたが、夢工房の常連でした。今でもちょくちょく遊びに来てくれます。
鉄道大好きでJRに勤めていますので、夢を叶えたクチですね。

今回のスケジュールはこんな感じです。

  • 土曜の朝一の便で羽田空港から出雲空港に飛び、現地で卒業生と合流して出雲大社参拝
  • 高速バスで広島へ、そこでも卒業生と会う
  • 新幹線で小倉へ、そこでも卒業生と会う
  • 福岡県の新門司港からフェリーで横須賀へ
  • 横須賀到着後は電車で羽田空港駐車場へ
  • クルマで埼玉へ

予定通りにいけば、今回は合計4名の卒業生に会うことができます。

では、行ってきます。

そこから何が得られるか だ

与えられたものを得るだけではなく、いわゆる「失敗」も含め、色々経験した中から何を得ることができるか?
それが致命的に大事で、それも能力の一つと言って良いと思うのです。
いや、そもそも学習能力ってそれでしょう!

記憶力=学習能力
なんて思っていたら大間違いだと思いますよ。

そりゃぁ記憶力だって大事ですが、コンピューターのメモリだって使えるわけですから。

そもそも人は失敗からしか学べないと思うのです。
労せずにうまくいっちゃったりしても、そこから学ぶことなんてありませんから。

起きた事象、降りかかってきた出来事、それらと冷静に向き合って、そこには一体何が含まれていたのかを知る。
そんなふうにして、あらゆる経験を無駄にせず、それらを成長に繋げられたらベストですよね。

そう考えると、リスクを取ってチャレンジし続けたりすると、そこからは膨大な独自性を持った経験が手に入るわけで、それこそ貴重な学びの宝庫となるでしょう。

以前もネタにしたかもしれませんが、そもそも「失敗」って響きが良くないですよ。
もうちょっと良い言い方は無いものだろうか。

価値の本質は人にあり

機械的なのはダメってことです。

例えばこういうことです。

リアクション(だけ)ではなく
アクションにこそ価値がある

とか
メモリーに(脳に知識を)突っ込んで、それを取り出すことではなくて
新たなものを創造することに価値がある

とか
言われたこと、決められたこと(だけ)ではなく
言われてもいないことに価値がある

とか
確定されたものでは無く
不確定なものの中に価値がある

のようなことです。

これらはすでに価値あることですが、これからますます価値が高まるでしょう。

AIの登場とロボットテクノロジーの高度化で、機械的なものがよりコモディティ化して価値が低下します。
となると、テクノロジーでは不可能なものの価値が上がってくるのは必然でしょう。

価値、価値言ってますが、お金に限ったことでは無いですからね。
お金は価値を数値化したものであって、本質ではありませんから。
この場合は、仕事の持つ価値、それを生み出す人の存在価値と言ってもいいかもしれません。

いずれにせよ確かなのは、AIにできることを自分の価値の中心に据えてはならない、ということです。シンプルですね。
もちろん、どうするかは自由ですが。

知識や学力そのものとか、技術そのものに価値があるとされてきたのがこれまでで、これからはその本質的な部分にフォーカスすべき時が来たのかもしれません。

「それ、何のために必要なの?」
ってな具合に。

そのために勇気を持ってチャレンジする。そんなことが手段として必要になるでしょう。
というか、これこそが最重要なのかな、とも思っています。
少なくとも我々夢工房にとっては。

家内制手工業の時代から、産業革命に移行したように
単にソロバンの世の中に電卓が登場したように
そんな状況とは異なりますか?
いや、一緒か?

実用的なAIの登場は、人の価値観について見直す契機になったと思います。
そういう意味ではとても良いことだと思っています。