アイデアの出し方・考え方 6

最近の授業は、多くが受け身の授業なのでしょうね。
言われたことをやる、覚える。
そんなことばかりなのではないかな。
そんなことない?
ないなら良いけど。

でも恐らく、本気でアイデアを出したくなるような授業はあまり無いでしょう。
まぁ、昔からほとんどありませんでしたけどね。
近年はますます無いでしょう。

こんなふうに想像するのは、昔そうだったのだから、その時代を生きた人間が先生をやったら、ますます強化されちゃったりするかもな、と思ったからです。
ものづくりもしかり。

なかなかアイデアを出せない学生を見ると
「あぁ、もったいねぇな」
と思うのです。
しかるべき環境にいたら、彼らだって楽しみながら色々アイデア出せるだろうに。と。

「もったいない」
そもそもそれは
「それ、本来のお前の姿じゃないだろ」
というような意味です。

「もったい」は「勿体」と書き、風格や品位のある態度のこと。
なので、「本来お前が持っているべきそれが現れていないぞ」ということですね。

前置きが長くなりました。
では、アイデアの出し方です。

基本的に、やらされる経験が多いと、自発的にやることが面倒になります。
「できればやりたくない」
が心の片隅にこびりついちゃいます。

なので、手間が掛かることをやりたくなくなる。

アイデアの出し始めは、いかに視野を広げて、沢山のアイデアを出すかがポイントです。
その多くのアイデアを比較して競わせて、勝ち残ったのが「良いアイデア」です。

で、ダメなアイデアも無駄ではないのです。
何がダメかよく分かるし、ダメなところを直したら、ひょっとしたら良いものになるかもしれない。

でも、最初から収束して、一つの正解を出したくなる。
これ、面倒を避けたいという深層心理に加えて、普段から正解・不正解の世界にいるから、ってのもあるのでしょうね。

やらされることが多いもんで、「書く」ってのは面倒でやりたくないことの一つでしょう。
なので頭の中だけで考えて、「良い」「正解」だけを頭の外に出して終わりにしたい。

でも、頭の中にあるアイデアって、抽象的で曖昧なままで、しかも一度にフォーカスできる部分が限られているから、自分が思っている以上にしょうもなかったりします。
なので、紙に書き出すなどして見えるようにして初めて正体が分かる。

そうなると、複数箇所に対して同時にフォーカスできたり、相互関係が分かったり、良い事が色々あります。
ブラッシュアップできるのはそこからですし、目に見えるものは比較しやすい。
他人にも伝えられるので、評価やアドバイスももらえるし。

それに、紙を我々の頭の外部メモリーのような使い方をすれば、書いちゃったものは覚えておく必要が無いので、頭の記憶領域を広げられて、考えているだけの状態より色々できます。

キーワードは

  • 広げる
  • たくさん出す
  • ダメでも出す
  • 見えるようにする

ってところかな。

価値は人にあり

機械的なのはダメってことです。
分かりやく言うとこういうことです。

実用的なAIが登場してくれたお陰で、人の価値について見直す契機になりました。
マシーンと同じ方向を向いて、奴らと競争したって仕方ないのです。

そうは言いながら、テクノロジーは今後も発展していくでしょうから、技術の価値が無くなることはありません。
ただ、ひとたび一般化された技術の価値(というか価格)は低下していきます。
これは過去を振り返れば一目瞭然で、例えば自動車が出現した当初は、一般庶民が手に入れることはもちろん、乗ることすらできませんでした。

最近、このブログでは頻繁にAIが生成した画像を挿入しています。
あれが良いとか悪いとかは置いておいて。
あれだけのものを絵を描く商売の人にお願いしたら大変です。
依頼にも作画にも時間と手間が掛かるでしょう。それなりのコストを要するはずです。

あれ、どうやってAIで生成しているかというと、ChatGPTに、「この文章のイメージで画像を生成して下さい。画像の大きさは1024 x 1024ピクセルでお願いします」に続き、毎回のブログの文章を貼り付けただけです。それでああいう絵を生成してくれます。

要する時間は数十秒です。掛かったコストは、ChatGPTの有料プランに月3千円くらい払っているので、毎日画像一枚の生成だけに使ったとしても、一回100円くらいですね。
まぁ他のことにもこき使っているので、実質的な画像生成のコストはかなり低いはずですが。

あんな絵を「毎回100円で、すぐに描いてくれ」と絵描きさんに依頼したら怒られるでしょうね。

と、こんなふうにコストが下がって日常使いできるようになることを、一般化とかコモディティ化とか言います。

ブログの記事だって、数行のテーマを与えただけで、結構なボリュームの文章を作成してくれます。
実は何度か試しているのですが、私の言いたいことと方向性が違うし、かなり当たり前というか、もっともなんだけど面白くない文章を作ってくるので一度も記事には採用していません。

参考までに、このブログからイメージできる風景をChatGPTで画像化したら、以下のようなものになりました。

和風…で、メカ…なのか?

ChatGPTには「ブログからイメージできる風景を…」と入力しました。こういった文章はプロンプトと呼ばれる命令文のようなものなのですが、画像が生成されるのと同時に、その画像を生成するのに実際に用いられたプロンプトも見られるのです。
実際に用いられた?意味分からないでしょう。

自分が打ち込んだプロンプトで直接生成された訳でなく、それをChatGPTが再解釈して詳細なプロンプトを自分で作っているのです。
これがそのプロンプトです。

A serene and inspiring landscape inspired by the blog ‘夢工房より,’ combining elements of traditional Japanese scenery with a modern engineering touch. Features a tranquil Japanese garden with a flowing stream, surrounded by futuristic structures like abstract gears and machinery seamlessly integrated into the natural environment. The atmosphere is peaceful, creative, and innovative, reflecting a blend of tradition and modernity. No text or characters, purely a visual representation.

こんなのをいちいち和訳するのも面倒なので、これまたChatGPTに和訳してもらいましょう。

ブログ「夢工房より」に触発された、静かで心を動かすような風景を描いたもの。伝統的な日本の景観に現代的なエンジニアリングの要素を融合させています。穏やかな日本庭園には流れる小川があり、その周囲には抽象的な歯車や機械のような未来的な構造物が自然環境に溶け込むように配置されています。雰囲気は静かで創造的かつ革新的で、伝統と現代の調和を反映したものです。文字やキャラクターは含まれず、純粋にビジュアルとして表現されています。

ですって。

何だよ、勝手に「伝統的な日本の風景」とか言っちゃってんじゃん!
でも、「雰囲気は静かで創造的かつ革新的で、伝統と現代の調和を反映」とか言ってるのは気に入りました。そういう印象なのね。

というわけで、こういった我々庶民でも便利に日常使いできるものは、利便性は高くて、欠かせないものになるけれど、誰でもいつでも使えるので、価値の大きさ自体は低下するのです。

なので、これに対して今後は人間的なものの価が高まるでしょう。
縄文ブームとか、古民家が見直されてきたりするのも、そういった傾向なのかもしれませんね。

さて、では我々自身の行動についてはどうでしょう。

例えば
リアクションではなく
アクションにこそ価値がある

とか
メモリーに突っ込んで、それを取り出すことではなくて
新たなものを創造することに価値がある

とか
言われたこと、決められたこと(だけ)ではなく
言われてもいないことに価値がある

とか
確定されたものでは無く
不確定なものの中に価値がある

そんな傾向を目指すべきなのではないかな。

いずれにせよ確かなのは、AIにできることを自分の価値の中心に据えてはならない、ということでしょう。
シンプルですね。

こんなことを考えていると、いかに我々が機械的な反応をするように教育されてきたかってのが分かるかと思います。
これを再検討して新しいやり方を構築する必要がありそうです。
習慣化されたものを変えるってのは手強いですけどね。

あ、そうそう、最も重要なのは、勇気を持ってチャレンジすることです。
我々夢工房にとっては。

信じた事は実現する

誰でも心配をした経験があるでしょう。
今日は、「心配」について考えてみました。
特に、ビギナーのチャレンジャーにおいて、です。

心配しているとき、どういう心理状態になっているのでしょう?

例えば恐れだったり、ネガティブなことが起きる予感だったり

いずれにせよ、未来に関することですね。
過去のことについては心配とは言いません。

で、それらを予想・想像して、心がザワザワしちゃってる状態でしょうか。

そんな時、我々はネガティブなことが起きると信じています。
その可能性が大きいとか小さいとかはあるでしょうけど。
違いますか?

だって、ポジティブなこと、ニュートラルなことであれば、心配なんてしないでしょう。

さて、問題はこの先です。

ネガティブなことを考えていれば、もしくは信じていれば、それは実現します。

「えー?超能力者じゃないんだから…」
と思いますか?

別に不思議はありません。
自分で思ったことを自分でするのだから簡単です。

ただ、自分の頭では、心配の対象は「良くない」ことだから嫌だ、と分かっていても、深層心理はそうはいきません。
ヤツはそういう良いとか悪いとかの判断はできないのです。
これはだいぶ前に記事にしましたね。

それに、単純に考えても、ネガティブなことを思いながらポジティブなことをやるって、おかしいというか難しそうじゃないですか?

まぁ、はっきり言って無理だと思います。
我々の行いは、思いから発していますから、きっと大したことはできません。

はい、ここでタイトル

信じた事は実現する

ネガティブなことが起きると信じていると、ネガティブなことが起きるのです。
納得いきませんか?

そして、心配ばかりしていると病気になります。
心の病だけでなく、体の病気の元ともなるのです。

免疫力が低下したり、我々の体内で日々凄い勢いで行われている細胞分裂に、エラーが生じたりするからだそうです。
これ、遺伝子工学の学者さんが実際に研究されています。

ただ、あながち悪いことばかりではなかったりもします。
心配は、未来への準備や問題解決など、良い仕事に繋がることもありますから。

例えば、「フールプルーフ」とか、「フェイルセーフ」なんていう手法というか、考え方があったりします。
簡単に言うと、しょうもない操作をしても事故が起きないような設計にするようなことです。
興味がある人は調べてみると良いでしょう。

ともあれ、何事も多面性があるってことですね。

さて、ではポジティブなことを信じていれば、ポジティブなことが起きるのか?

そりゃ起きるに決まってるでしょう。

ネガティブは信じるけど、ポジティブは信じない?
まぁ、よくある話ですけどね。
人は誰しも成功より失敗の経験の方が多いので、ネガティブな経験の方がリアリティがあって、そういうことになりがちです。

それに、ポジティブなことを信じていれば、仮に想定外のことが起きても、その経験はきっといつか役に立つと思えたりするでしょう。
それだけでも心のノイズが無くなって、良い仕事ができそうじゃないですか?