TimeよりもTiming

何かを考えるとき、特に我々の場合は、何かを作るために考えたりするので、その時のことです。

考えるのは大事だけど、考えることに時間を使いすぎて、行動に移るタイミングを逃したらお終いだってことをもっと重視すべきです。

何かしら開発するときは、企画して、設計して、作って、試す、といったプロセスを取りますが、それぞれを「完璧」にしてから次のプロセスに進む…
としたいですか?失敗しないために、ね。

ひょっとしたら、多くがそうしたいのではないかな?
どうでしょうね。

これね、ダメなんですよ。
そもそも、失敗しないためにってのがダメ。

ここで考えるべきは「うまくいくようにチャレンジするにはどうしたら良いか」です。

最終的なタイムリミット内で成果を出さなければならないのであれば「失敗しないようにしっかり考えて、一発勝負で決める」といったやり方は自殺行為です。
そんなことをやっていたら間に合うはずはないのです。

チャレンジするなら、必ず失敗するので、その結果をいかに再利用して良い結果に結びつけるかが重要。
であれば、むしろいかに早く失敗するかが重要という言い方もできる。

上記のプロセスであれば、こうすべきです。

企画して、図面が描けそうだと思ったら、すぐに描く
作れそうな状態になったら、すぐ作る
試せそうなら、すぐ試す

この「すぐやる」によって得られた結果を次のサイクルに繋げていく
これしかありません。

なので、「すぐやる」タイミングを逃したらお終いなのです。

夢の無い国を変えるには

どうも最近、我が国は夢の無い国に成り果てている…とまで言うのはきっと言いすぎなのでしょうが、まんざら冗談とも言えない気もしていて、夢が無かったり、夢に向かうパワーが低下している気がするのですが、どうなのでしょう?

色々と良くなっていることもあるのですけどね、どうも心がワクワクしない。

それはなぜだ?ってのを解明したりするのは大事で、興味深いことかもしれません。
でも、その方向で大人数を何とか…みたいなことをするのは難しいというか、夢が無い人を何とかしようとしてもそれは無駄なのかもしれないわけなので、多少でも夢がある人の背中を押すのが良いような気もするのです。

止まっている大きな岩を転がすのは大変ですが、転がっている大岩を加速したり方向転換するのはそれほど難しくありませんから。

で、環境が変わってくれば、追従型の人も動く可能性もありますしね。

でも、ヘタすれば二極化を引き起こす元凶にもなる?
いやいや、現時点では余計なことを考えるのはやめましょう。
そもそも、私ごときがそんな大きなスケールのことに関与できるのかってのもありますし、アレもコレもとか、全員を、みたいなことをするとロクなことになりませんから。

そう、夢工房発で変えられるスケールで。でも、最大限のボリュームと熱量でスタートしたいな。
と、そんなことを考えています。

違いにこそ価値がある

今夜は、お師匠様の佐野先生とともに、現役学生や卒業生にお誕生日会を祝ってもらっちゃったりしたのですが…

彼らを見て思うのは、個性って大事だよなぁ
ってことです。
楽しいのはもちろん、単純に、そこには価値を感じられますもの。

対して、皆と違うことを恐れ
皆と同じようになろうとする
といった風潮もあるのが残念でなりません。

気持ちは分かるのですけどね。

ですが、これは恐ろしいことです。
違いにこそ価値があるのに
そんなことをしたら
無価値になってしまう。

何でも 違っていれば良いのかというと、そんなことは無いのですが、せめて自分が力を入れていることとか、勝負をかけることとか、そんなところには違いを作り出して欲しい。

だって、違いにこそ価値があるのですよ。
皆が同じように持っているものには価値が無いでしょう。
そんなことは皆分かっているはず。

というか、そんなことは子供でも分かっている
いや、子供の方が直感的に分かっているかもしれない。

でも、いつの間にか間違った価値観に改造されてしまうのですよね。

「学生の本分は勉強だ」
よく聞くセリフですが
これが「皆と同じように同じようなことをできなければならない」だとしたら、致命的です。

なんか歳をとるほどそういったことが見えてくる気がします。
それもまた興味深く面白いことです。