効率の良いやり方…は果たして良いのか

誰しも面倒なことは避けたいので
何かをやるとなると
最小限の手数で済ませられるようにしたいでしょう。
いわゆる「効率よく」ってヤツです。

そうしている時のゴールは
「早く済ませること」
です。
当たり前ですが。

つまり
「終わらせること」
が、最も欲しい成果だということ。

やることイコール「やらされること」なのであれば
そうなっても仕方ないかもしれませんが
そんな風に思っている時って
当然ながら良いものを作ろうとは思っていません。
そんなことよりも
早く終わらせることが優先なので。

ただ、やることが複数ある場合
優先度の低いものを早く終わらせて
その後の優先度の高いもののために時間を作るとか
そんなアプローチもありますね。

とにかく早く済ませて
その後にブラッシュアップしたいとか。

なので、この場合の「効率」は
なかなか一括りにするのが難しいかもしれません。

では、学びに限定するとどうでしょう?

これまた一括りにはしにくいですが
あえて言うなら…

早く済ませることなどがゴールなら
効率を追求すべきでしょう。

決められた期間内に
一定の知識やスキルを身に付けるとか。

もちろん、そういう場合は
定型的なものなので
目に見えるようになっている
あらかじめ決められたものを覚えるとか
決められたことができるようになるとか
そういった形になりますね。

でもそこには創造性は求められません。

求められないどころか
恐らく余計なものです。
というのも…

「良いものを作る」
というゴールを設定したとしましょう。

「良いもの」とは
今現在、世の中に無いものだったりします。
そりゃそうです。
「すでにあるもの」であれば
それは「同じもの」であって
「良い」わけではありませんから。

それを作るとなると
今までやったことがないことをやるわけで
どうしたら良いかなんて分からないわけです。

となると、どうしなければならないか

想像して、仮定してみて
ダメでもいいからやってみて
その結果を評価して
ダメならやり直す

のようなことをグルグルする必要があるわけで
とても効率が良いなんて言えません。

最終的に終わってみれば
やったことのほとんどは
見た目上、無駄なことだったりするわけです。

過去を振り返ると、そんな判定ができたりするのですが
よくよく考えてみると
そういう一見無駄なことが
「で、次はどうする?」
の元ネタになっているのです。

「改善作業」などはまさにそういうことで
改善するためには
ああじゃない、こうじゃないと
手間を掛けて試行錯誤するわけです。

試行錯誤するということは
未来に採用されるはずの何か以外は
全て無駄なことです。
(本当は無駄にはならないけど
その時は採用されないわけですから)

でもそれは
未来に向けての価値を作るためには必要なチャレンジですよね。

チャレンジということは
リスクを承知でやってみることです。

さて、何となく分かってきました。

そもそも
面倒なことをやったり
リスクを取ったり
それらが価値の源泉だったりするので
当然と言えば当然なのですね。

過度に効率を追求したり
リスクを回避したりすると
良いものはできないってことです。

人生の質は、あなたが自身に問いかける質問の質で決まる

「人生の質は、あなたが自身に問いかける質問の質で決まる」
と言いますね。
聞いたことありませんか?

最初に言い始めたのは
アンソニー・ロビンズという
アメリカの作家さんのようです。

この言葉の解釈とか真意については
ご本人の著書などをお読みになるのが良いかと。
私、読んでませんが。

「人生の質は、あなたが自身に問いかける質問の質で決まる」
というのは
ChatGPTとのお付き合いをする際に
まさにそういうことになるわけです。

特に
「問い掛ける質問の質で決まる」
この部分です。

どういったことを
どのように聞くかによって
ヤツの挙動が変わる
というか
アウトプットの質が決まるからです。

で、今回ネタにしたかったのは
残念ながらChatGPTではなく

「あなたが自身に問いかける」

の部分なのです。

自分の思い、考え、言動
それらに加え、過去から現在、そして未来
そんな諸々が記憶や想像として
我々の頭の中にあるのですが

そういった有用なリソースに対して
「自身に問い掛ける」
ということをしているだろうか?
ということです。

未来の想像に対しては
それを実現するためには
どうしたら良いのだろう?

それに対して現状はどうだろうか?

と、そういう問いかけを自身にしていますか?
というお話しです。

ただし、過去のリソースにばかり着目して
特にネガティブな経験に着目したりすると
そこに問い掛け続けても何も起きないどころか
病気になっちゃいますので

それを元に未来に向けて
「で、どうする?」
とすることが大事だったりします。

それができていれば
結構な確率で思った通りになる
そう思ってます。

その辺はまさに
「問いかける質問の質」
ではないでしょうか。

仮に現状、自身への問いかけの質が低かったとしても
実行結果のフィードバックをしながら継続していけば
きっと質は向上するでしょう。
なので心配無用。

むしろ、うまく行こうが行くまいが
トライしてみた結果さえあれば
フィードバックの材料になるのだから
行動によって問いかけの質の向上ができる
という言い方もできるでしょうね。

こういうのを継続して習慣化する
それが大事なのだろうなぁ
なんて思っています。

そんなの当たり前だろうって?
そうかもしれませんね。
でも、念のために記事にしてみました。


ChatGPTに思う 心が無いと…学び続けられる?

ChatGPTが開発される過程で
言語を入力して学習させていくわけですが
50兆個を入力したあたりで大幅に進化して
まるで人間のような受け答えができるようになったそうです。

私はそういうのは専門ではないので
あまり詳しいことは分からないし、言えないのですが
でも、学習によって進化するのは人間も同じ…
というか、ChatGPTのモデルは人間ですからね。
脳のニューラルネットワークがモデルだそうですから。

人の脳みそって
電気信号が伝達されてるんですよね。
その辺、ちょっと興味が湧いたので
後で調べてみましょう。

そうそう、AIの学習の話でした。

機械は感情を持たなくて
それこそ機械的に動作するもんだから
外部から学習対象のパラメーターを突っ込めば
どんどん飲み込んでいくわけで
どんどん賢くなるでしょう。

でも、人間の場合は難しいもので
そこに感情が入ってきます。

なので、望んでもいないことを強制的にやらされると
そのうち嫌になるのです。

義務教育とか何かしらのプレッシャーなどによって
ある程度の期間は仕方なく耐えることができても
いつかは嫌になったりするでしょう。

で、その期間が終わると
「やっと解放された!」
となります。

問題はその後で
解放された…と思ったら
そう簡単には元の状態には戻りたくないものです。

なので、「やらされる」
というのはほどほどにしておいて
自発性によって、自分から望んで
取りに行くような状態に持っていかないと
社会に出た後に学べなくなっちゃうのではないか
というのが心配なところ。

やらされることによって
知ったりするのも学びかもしれませんが
それは学びの全てでは無くて
ごく一部です。

心を持たなければ
言われたとおりに素直に学び続けるのかもしれません。
そして、色々知ってお利口さんになるのでしょう。

でも、それで何かができるかというと
それは別な問題で
何かができるわけではないと思います。

学びで得たものは
心の発動によってゴールが定められて
相手の心を動かすために使われるものですから。

学ぶ時は「欲しい!」という感情が
行動する時は「やりたい!」という感情が
それぞれ大事なわけで
それを軽視しちゃいけませんね。