普通にやったら普通が起きる

色々なやり方があるとは思いますが

今回大事だと思ったのは…
「凄い」とか「喜び」は
果たして「普通」の先にあるのか?
ということです。

たぶん無い。

でも皮肉なことに
多くはまず普通を目指して
それが達成できたらその先に行こうとする。

で、普通を目指したところで
完璧な普通なんて無いわけで

そこで気づいたり諦めたりするところが分かれ道なのだろうな。

なんてことを考えてました。

加えて言うと
普通のためのことを一所懸命やっていると
それが習慣になっちゃうわけで

仮にそれを達成して
「さて、これから」
と思ったところで
習慣に従ってしまうのだろうな
と。

つまり
やりたいことは早めにやっておいた方が良いんだろうな
ってことです。

本当にお得か?

ポイントカードとかクーポンとかありますよね。
もう、どこに行ってもポイントカード、ポイントカード
もううんざり。

ちなみに私は理由があって
ポイントカードは使っていません。

大した稼ぎも無いのに生意気ですが
少しでも経済を回す手助けがしたいのです。
ちょっとでも余計にお店にお金を落としたい。
ちょっとでもというか
ちょっとしかできないのですけどね。

あとは面倒だから?
それはありますね。
貯まったポイントを気にしたり
キャンペーンがどうとか
そいうのに時間を使いたくない。

そもそも、そんなに能力が高くないので
余計なことに労力を割きたくないのですよね。
本来やるべきことに注力したいのです。
言ってるほどできてないけど
諦めたら終わりですから。

人にできること限りがあるわけで
その限りあるリソースを
どこに、どのように投入するか
それが問題なのです。

物事は何事も多面性があって
一口に「お得」とか言っても
必ず何かを失っている
ということも忘れちゃいけません。

でも、最も気にしているのは
「自分が得したい」
という気持ちが
どうも馴染めないというか
釈然としないのです。
それで良いのか?
と思っちゃう。

多分良くないですね。

皆がみな、
「自分が得すれば」
なんて思ってる世の中を
想像するだけでゾッとしますよ。

何が言いたいかというと

微力ではあるけど
本当に微力で恐縮だけど
少しでも良い世の中にしたいのです。

とか、偉そうなことを言ったところで
まだまだなのですけどね。

そもそも
良い世の中って何なのだ?
ってのが一番の問題かもしれませんが
それはボチボチ考えていきましょう。

「考える」

一口に「考える」と言っても
色々あるんじゃないかと思います。

いわゆる机の上のお勉強だけではなく
ものを作っているとき
何かを想像している時などなど
たぶん、脳の使っている部位も
それぞれ違ったりしているのではないでしょうか?

お勉強で「考える」とき
特にやらされているときって
全く創造的ではないでしょう?

あ、こんな切り口で描いちゃう書いちゃうのは
学校の成績にコンプレックスがある証拠なのですけどね。

まぁ、それはそれとして

言いたいことは…
もっと色々やろうよ!
ってことなのです。

だって、学校で色んな科目を学ぶにせよ
何か似たようなことばかりやってませんか?

問題を解くんでしょう?

それ、答えが隠されてるんですよね。
どうなったら正解か、あらかじめ決められてる訳でしょう?

学校には実験とかもありますが
大抵は、あらかじめどうなるか分かっていて
それをやってみる
みたいなことばかりですよ。

そんなことばかりやっていたら
何が起きるかやってみないと分からない
という世界に対応できないじゃないですか。
一番面白いヤツに。

脳ミソの使い方を確定してしまったら
変えられないことだらけになっちゃうでしょう。
可能性がもの凄く限定されてしまうと思うのです。

よく
「学力を向上して選択の幅を広げる」
みたいなことを言いますが
そもそもそれって
学力だけで何とかなるという
ほとんどあり得ない仮想の世界に領域を限定した上で
その中での選択肢を広げるという話であって

学力だけじゃ何ともならない
という実社会に適応した考え方ではないでしょう。

そんなことを考えていると
イチローさんとか大谷選手とか佐藤琢磨選手とか
バイクの世界GPで活躍した日本人選手達とか
本当に凄いな、と思うのです。

「これができればいいんだよ」
なんていうセオリーが無い
何が起きるか分からない世界で
極みに到達しているのですから。

彼らにできたのだから
ウチの学生達にだってできないはずはない。