播いた種の芽が出る

人は意識せずとも無意識な行動を取るわけなので
無意識だからといっても
何もしていないわけではない。

なので、無意識だからといって
何も起きないわけではない。

無意識でも種を播いていて
その種の芽が出て成長すると
いずれは刈り取らなければならない。

望んでもいないのに
困難が降りかかってきて
その対応に忙殺される

というような状態は
そういうことが原因であることが多いのだけど
「そんなもんだ」
と思っていれば
その仕組みと状況は放置されるわけで
同じことを延々と繰り返すことになる。

でも、意識的に種を播けば
いつかそれ相応の芽を出す。
相応の結果が出る。

未来の希望のために
ビジョンを描いて
そのためのことをやっておけば
相応のことが起きるのは当然。

昔々、子供の頃に
そんなようなことを言われた気がする。

けれど、その時は
「…だから勉強しなさい」
のような話で

勉強が苦手で嫌いな自分は
全く腹に落ちなかった。

「たら」「れば」は無いけれど
その時に「勉強」ではなく
自分の好きなことだったら
一体何が起きたのだろう?

いやいや
好きなことは言われなくてもやっていたな。

なので、今頃になって言語化できたということか。

こういう話は
「忙しくて、そんな事をやっている暇は無い」
ということになることも多いのだけど
結局は、やりたくないのですよね。
今のままにしたいのだと思います。

気持ちは分かるけど
そんな風にしてしまうから
相応のことが起きるのだけど

未来に起きることよりも
今、手元にあることがが大事なら
そうならざるを得ないでしょう。

今、この瞬間にベストを尽くす
というのは大事なところなので
判断が難しいかもしれませんが

「何のために」が無ければ
そもそも「今、この瞬間」は無意味です。