人の心は何で燃えるのか?

私が学生の頃は
レースに出る
とか
レースで勝つ
なんてことばかり考えてました。

今思うと、手段的なことを目的化していたのですね。
まぁ年齢的にも、そんなもんだろうなと思うし
単純だったな、とも思います。

最近の若者は、ものづくりから離れている気もするし
リアルなアクティビティから離れていっているようにも見えます。

まぁ、個別で見れば、色々と情熱を燃やして
頑張っているケースも当然あるのですが
概観ではそんな感じなのかな
という気もします。

で、若い世代に対して年長者が色々と思ったりするわけで
それは多くの場合は不満だったりするのですが
忘れてはいけないのは
そんな風にしたのは自分達だということです。

主体性がとか自律性がとか言いたいでしょうけど
言われたことに素直に従うように育ててきて
今さら急に何言ってんだ?という話です。

そりゃぁ、そこそこの年齢になれば
自分で考えて行動を
となるのでしょうけど
急には無理ですし、人生の大半を
そうやって過ごしてきた慣性力は
強力に働き続けるでしょう。

子供のいない公園
夜遅くまで塾に通う子供
夢を口に出して言えない若者

そんな環境を作って
子供達が適応するように仕向けたのは
全て年長者です。

誰が悪いとか
責任を取れとか
そんなことを言ってもどうにもならないし
むしろ責任を追求されるとしたら
それは私の世代なのでしょうけど
そんな責任取れません。

いつの世も同様なのでしょうけど
こういうのって
それぞれの世代が希望を実現しようとして
努力した結果で
読みが外れちゃったり
内外の事情の変化があったりで
まさかこうなるとは思わなかった
ということなのでしょう。

各時代それぞれの世代に
未来に対する希望があって
それを実現するために頑張って
その結果が現れただけの話です。

冒頭の私が学生の時分はレースに燃えていた話ですが
恐らく今の世代から見たら
「単純バカ」でしょうね。単に。

そして社会に出てからは
それなりに頑張ってやってみたわけですが
そういった経験から
対象が何にせよ情熱を注いで何かをやる
というのは、例えようが無いほど貴重な経験となる
というのは確信を持って言えます。

なので
「何でも良いから超頑張ってみろ」
って言いたいところですが

そんなことを言って「やらせて」しまったら
身も蓋もないし
言われてやって燃えたところで
そんなのは、たかがしれているわけです。

今の世代は
単純なことでは燃えられないのかな
なんて思うのですが

それだけ社会が複雑化しているのでしょうか
昔ほど単純では無いのは明かだとは思いますが
よく分かりません。

10代後半から20代前半の時期を
守りに入ってくすぶっていたら
それが価値観の基礎となって
未来に向かってのベクトル決まるのだから
面白い人生にはならないんじゃないか
それは極めてもったいないことなんじゃないか
と、そう思うのです。

そんな残念なことにならないように
むしろ彼らが燃えて盛り上がるために
自分には何ができるのだろう?

なかなか難しい課題です。