勉強って何だ?

学校の中の「物差し」の話をしよう
と思って、過去の記事を検索してみたら
「物差し」って言葉を使った記事が大量に出てきて
自分がいかに日頃
統一的な尺度に敵意を持っているか
ということが良く分かりました(笑)

いやー、もうね
「勉強さえできれば望みが叶う」とか
いい加減にした方がいいと思うんですよ。

そりゃぁ学校なんだから
勉強ができた方が良いのでしょうけど

そもそも机の上でする
典型的な学習だけが勉強なのか
というのは疑問だし
勉強できるイコール頭が良い
とか、そんなのいい加減にした方がいいですよ。
勉強できるから何なんだ?って話なんですよ。

勉強できることが仕事ができることに直結するわけではない
なんてことは、社会に出ればすぐにばれるでしょう。
学校にばれないのが不思議ですが。

教科書の内容をいくら覚えていても
それが自らが発する価値の大きさにどれだけ寄与するのか
大いに疑問です。

いや、違うな。
言いたいことはそうじゃない。

教科書の内容を覚えるお勉強しかできなくて
しかも、与えられた問題を解くことしか経験がなくて
そういうことに対する評価が高くても
そんなの仕事ができること
つまり、価値を創造したり提供したり
そういうことには繋がらない
というか、あまり関係ない。

そもそも、いわゆるお勉強って
本当に「勉強」なのかとすら思う。

勉強の一部だとは思うけど。

そんなことは学校の外では皆が知ってるはず。

お勉強が苦手なら
他の強みを伸ばすべきなのに
勉強できなければダメな子という評価にして
他のことはやらせない。

というか、やらせることができない
というのが実情かも知れない。

そんなの誰がやらせるんだ?
一体何をやらせるんだ?
ってことになるだろうから。

なんかいつになっても
多様性があって
本当の意味での自由な世の中には
なっていかないなぁ
というのが意外です。