「できるよ!」 うん、そう思うよ

夢工房で頑張っている学生が
お父さんと口論になったそうです。

クルマ好きのお父さんに
ある部品を、凄い方法で作るという話をしたら…

「そんなのできるわけないだろ!」

「できるよ!!」

となったとのこと。
いいぞいいぞ!やれやれー!!

お父さんの気持ちは分かります。
経験が十分に無い息子には
堅実な方法で成長して欲しいのでしょう。
自分に想像が付く範囲で。
突拍子も無い方法で失敗して欲しくないのでしょうね。

教員と学生の関係でも
似たようなことが起きます。
学生が教員の想像を超えるようなことを
やろうとしたりすると…

「そんなのできるわけないだろ!」

が、登場します。

これ、どう思いますか?
私は、どんどんやらせたらいいと思います。
で、失敗したらいいと思います。

やってみたら何が難しいか分かるでしょう。
それが分からないことには先には進めません。

やりたいことがあるならやるべきです。

もし基本ができていないとしても
やるべきだと思います。

最も大事なことは
基本でもなく
失敗しないことでもなく

やりたい、こうしたい
という思いです。

やってみて、うまくいかくても
やりたいという思いが強ければ
どうしたらいいかを真剣に考えて
その時点で基本が必要だと思えば
何がなんでもそれを手に入れようとするでしょう。

人に言われてやったところで
一番大事な「思い」が成長しないので
その後も人に言われたことをやろうとするでしょう。

クリエイターになりたいなら
言われたことを繰り返したところで
創造性を育むことはできません。

アイデアとかクリエイティビティは
やりたい!こうしたい!
という「思い」から出てきます。

もし、やる前に
「基本ができていないから
もっと勉強してから始めるべきだ」
なんてことになって先送りにしたら…

果たして先送りにしたもののうち
何割が実際に着手されるでしょうか。

たぶん、ほとんど手つかずで終わります。
そして、どんどん先送りに慣れて
自分の内的な基準がズレていきます。

すぐに動けば
準備不足、知識不足、経験不足で苦労するでしょう。
でも、その苦労の中にこそ大事なものがあります。

学生は、将来のためにやっているのですから
苦労の中の宝物をたくさん手に入れるべきです。
それらを未来に活かすために。

それにですよ

「そんなのできるわけないだろ!」

「できるよ!!」

これって、多くの「偉人」と呼ばれる人達が
たどってきた道筋でしょう?

ね?
そういうことですよ。

私は、お父さんに言いたい

おめでとうございます

と。


本気なら本当の決意を

夢工房の学生たち
コンペティションのために頑張っているので
そりゃ勝ちたいわけなんですが

海外のイベントで勝つとか
そういうレベルのチャレンジをしたことなんてないので
どの程度頑張ればいいのか分からない
最初はそんなもんです。

色々やっているうちに
色々見えてきて
自分達の理想に対して
現状がどうなっているか
このまま行くとどうなるか
なんて想像が付くようになって…
大抵は初期の見積が甘かったりするので
「こりゃいかんぞ!」
ってことになるのですが

一度、やると決めたら
そう簡単には引けないので
何とかする方法を考えて
改めて頑張る
そんなことを繰り返すことになります。

経験が十分でない者が
高いハードルをセットしているので
そんな風になるのは当然でしょう。

じゃぁ、ハードル下げたら?
というのはありません。
最大限のチャレンジをするから
最大限の成長ができるのですから。

なので、そういう活動を続けるには
相応の決意が必要なのですが
それがまた、どの程度の決意なのかも分からないわけです。

何をゴールとしてセットして
どれくらい強くそれを望むか
そのための決意ということになるのでしょうけれど

そういうのって他からは見えないので
評価するのも難しいし
何より、本人が自発的に考えたり決めたりやったり
しないと意味がありません。

教室で授業が始まったら勉強スタート

みたいな価値観で

夢工房に入ったら開発のことを考えはじめて
時間が来て、部屋を出たらおしまい

みたいなやり方をしたら
望むものが手に入るわけはないわけで
本当にデッカいものが欲しいなら
それを手に入れるための本当の決意が必要でしょう。

何をもって「本当の」とするかは明確にできませんけどね。
心の問題なので。

でも、本人が本当の決意だと確信できるレベルである必要はあるでしょう。

それができたら
本当のスタートです。

やりたいヤツにはやらせよう

やりたくない者に無理にやらせちゃうと色々とよくないですね。
本人にも周囲にも。

「やる」と「やらされる」の区別が付かなくなって
「とにかく楽したい」になりがちです。

でも、やりたいのならドンドンやらせたら良いと思うのです。

コロナ禍前の夢工房は
「不夜城」
と呼ばれていました。

いつも誰かが泊まってました。
過去には、数週間、数ヶ月家に帰らない猛者もいました。

そんなことができていたのは
塀に囲われておらず、オープンな環境になっている
当キャンパスの特徴を存分に活かしていることに加えて
大学の理解があってこそなのですけどね。
ありがたいことです。

もちろん今は
感染対策をしながら結構遅い時間まで活動していますが
毎日帰宅しています。

私はといえば、安全面の管理などもあるので
とりあえずは彼らに付き合ってはいますが
いちいち細かい指示などはしていません。

一応、指導教員という位置付けですが
活動の上ではアドバイザーという立ち位置にいます。

これ、どういうことかというと
彼らがやっていることの確認と評価が中心で
アドバイスを行うということです。

学校での指導というと
教員が、あれやれ!これやれ!言うことを想像するでしょうけど
そんなことをやっていたら、いくらやっても
「言われてやる人」を量産してしまうだけで
全く意味がありませんから。
そういうのは授業で十分です。

それに、レーシングカーを作るために
教員が考えて学生に指導するなんてことをしていたら
いくら時間が合っても足りません。

やらせるための検討や準備に要する工数は
考えただけでもゾッとしますし
結果として
マスターがいなければ何もできない忠実な奴隷
みたいな学生を量産することになってしまいます。

話を戻して
「不夜城」夢工房の良いところは
学生がやりたいことを気が済むまでできる
というところです。

もう一度言います

やりたいことを気が済むまでできる

こんな経験なかなかできませんよ。

もちろん、活動には大学をはじめ
色々な方面のサポーターがいるので
無責任なことはできないし
楽しいことばかりではありません。

でも、やりたいことを気が済むまでやった経験は
必ず後の自分を支えてくれるはずです。
その方向で成長していけば
彼らの努力は、きっと世の中のためになるでしょう。

彼らが社会に出れば
やりたかろうが、やりたくなかろうが
多くは一律に労働時間に制限が掛かってしまうわけですが

こういう環境で頑張った経験があると
そういう制限の中でも頑張れるようです。

何も学生のうちから
時短して生産性アップ!
みたいなことはする必要は無いと思います。

とにかく経験の数を増やして
伸びるだけのびることができるのは今しか無いのですから。