柔軟性は思いのほか重要

人生において無駄な事は何もないから、避けたり逃げたりする必要は無い。

何を選んでも、多かれ少なかれ嫌なことやキツいことはあるのだけど、それを乗り越えることこそが成長。

もちろん、それらにうまく対処できることも、できないこともあるでしょう。

でも、どんな経験でも未来においては必ず役に立つ時が来る。
もっとも、それらをどのように解釈するかによるわけで、単にネガティブな経験に分類して蓋をしてしまったら再利用は難しくなる。

なので、大事なのは思考の柔軟性でしょうね。

起きたこと、遭遇した事象に対する解釈の柔軟性、対応の柔軟性、これはすごく大事。

これが無いと、困難がある度に止まって折れて…
そこで出てくるよくあるセリフは、「自分に向いていない」ですかね。

なので大事なのは、能力とかよりむしろ柔軟性なのではないかなぁ、なんて思うことがよくあります。

心の時代がやってくる 4

大抵の学校が取っている「勉強(さえ)できれば」という戦略は持続可能ではないと思っています。

なぜかというと、心がもたないから。

知識はツールであって、使わなければ価値は無い。
で、その価値は他人に向けてはじめて意味が出るもの。

ところが、お勉強ばかりしてても、価値の発信方法は分からなかったりするのですよ。

なのに使いようのない知識を得続けるって無理が無いですか?

勉強ばかりしていた結果、こうなっちゃった、って出来なりでは耐えられないと思うのです。

というわけで
どうなっちゃうかじゃない。
どうしたいかが大事なんではないかな。

心の時代がやってくる 3

適切なゴールを設定しないと心は発動しません。ノってこないってヤツです。

心が発動しなければ良い仕事はできず成果が出ない。すると自身の存在価値が高まらず、モチベーションが上がらない。その結果、自信が無いので低いゴールをセットするが、それでは心が発動しない…

結果としてこの下向きのループに入っていくか、それが嫌なら現状維持の水平飛行になる。

これ、全く面白くないどころか、持続不可能だと思っています。

ゴールの設定は、価値の創出のみならず、個人の成長や成功において非常に重要です。
しかし、ただ漠然とした目標を立てるのではなく、「心を動かす」ような適切なゴール設定を行うことが重要です。

そうでないと、自分の心を押し殺して、我慢して継続していくことになるわけで、それでは面白くなくて、気持ちも価値も生産性も高まらず、結果的に持続できなくなると思っています。
皆でそんなことをやったら、自分は良くても社会がもたないかもしれません。

例えば学校において「留年を回避するために60点取る」のようなゴール設定では、高い価値は生み出せません。
留年などの恐怖が動機となっていたら当然で、安心のためのことをやるはずで、高い価値の創造とは違います。

安心のために最大限のことをやるかも?
稀にそんな人もいるかもしれませんが、大抵はそんなことはしません。

それでは自分も周囲も面白くないのはもちろん、一歩踏み外すと留年だという恐怖と戦いながら、面白くもないものを頑張って最低限を狙うという、何だか良く分からないことになっていきます。

やりたいと思って選んだことでも、こんなやり方になっていることがあります。実によくあります。
自分の意思で学校や仕事を選んでも、そうなっちゃうことがありますよね。

何でこんなことになっちゃうのでしょう?

ゴール設定の段階で心が発動していないのが原因の一つではないかと思っています。

ワクワクするようなことに関わったり、自分が関わったものをワクワクするように変えていくという経験が少なくて、指示に従う経験ばかりで、ゴールへの向き合い方が分からないのかも。

でも結局は、どうしたいかという「思い」が重要なのだろうなぁ。心の問題だ。

とはいえこれは、一概に本人に問題があるとは言い切れなくて、むしろ環境とかシステムに原因があるのだろうなぁと思っています。

だって、成長の過程において、ある段階までは本人にはいかんともしがたいでしょう。
でも、ある程度成長したら、そこからは本人の意思次第ですね。

…なのだけど、なかなか思い通りにいかなかったりするのが、難しくも面白いところ。そうそう、そういう変化の過程も楽しまないとね。

つづく