ポジティブとネガティブ

性格だから消極的なのは仕方ない
とか
経験とか実績が無いから消極的なのは仕方ない
というように
性格とか経験とか、そういったところに関連付けて
「仕方ない」ということにしたくなったりしませんか?
気持ちは分かります。

でもそんな時に望んでいるものは何でしょう?
どうしたいのでしょうか?

きっと「うまくいくといいな」
と思っているのではないでしょうか?
まぁ、大抵はそうですよね。

じゃぁ、そのためにはどうしたら良いでしょう?

まぁ、色々あるでしょうけど
心構えとしてシンプルなのは…

積極的であること

その結果としては色々起きるでしょうけど
これは絶対です。

バットは振らなきゃ当たりません。

積極的な気持ちでバットを振り続けていれば
いつか必ず当たります。

フォアボールやデッドボールが良いのだ
というなら話は別ですが。

ちなみに英語では
積極的なことをポジティブと言います
消極的なことはネガティブです。

思考により結果は決まるわけで
「うまくいくといいな」
と思うなら
そのための心構えはシンプルなのです。

え?ビギナーなのに空振りしたくない?
それは非現実的ですね。

知ってることとできること

学校にいると勘違いしてしまいがちなこと。
それは…

知ることの価値

乱暴な言い方をするなら
単に知るのは誰でもできる
というのもあるのだけど

そもそも、何のために「知る」必要があるのかというと

それは「やる」ためです。
「知っている」と「できる」は違う。

レベルにもよるけど、知っているだけでは価値にはならない。

キミの頭の中の知識量が増えたところで
誰もハッピーにならない。

学校の中であれば、知っているだけで高評価になったりする
というか、それしか評価指針が無いし
学者さんであれば、知っていることが重要だったりするけど。

こと、エンジニアリングをするなら
「やる」ために「知る」必要があるとか
「やる」ことによって「知る」ことになる。

知識は、利用・実践することによってしか
価値に変換されません。

「あー、もっと勉強しておけば良かったなぁ」
と思った人が
「もっと勉強しなさい!」
と他人に言ったりするケースがあるけれど

それは「できる」人だから
知識に対する不足や渇望を感じているわけです。

そんなふうに感じている人の頭には
面白いように知識が入っていきます。
そして忘れません。

だって、欲しているから。
動機があるのです。

知識を欲していない人に対して
「もっと勉強しなさい!」
と言ったところで、同じことは起きません。

欲していないから。

ヘタすると、言っている本人は
自分が「やる人」になっている
という自覚が無かったりもします。

その人が「やる人」になる前に
「勉強しなさい!」
と言われたら、果たして勉強したでしょうか?
たぶんしません。

動機って大事です。

よく「知らないとできない」と言います。
ある意味正しい。

じゃぁ
知っていたらできるのか?

ある程度の経験があれば
できるかもしれません。

でも、ビギナーであればあるほど
知っているだけではできません。

その状態で
「やるためには
もっともっと知らなければ!」
と思い始めたら
何もできなくなります。

じゃぁ、どうしましょうか?

答えは簡単。
レベルが低くても、失敗しても良いから
まず、やってみれば良いのですよ。

そうしたら知識の重要性が分かるでしょう。

で、その「やる」対象に魅力があれば
どうしても知識が欲しくなるでしょうし
うまくいかなかった壁を乗り越えたくなるでしょう。

でも、このやり方は
一般的には学校では無理だと思います。

だって先生って、大抵は動機が無くても勉強ができたような人でしょう?
教育の仕組みを考えているお役人も同様じゃないかな。
そういう人は「まずやってみる」という行動原理を持ってないでしょうから。

でも、学生の8割くらいは
動機無しで勉強ができるタイプではありません。

それにね、そういう学びって、きっと面倒なんですよ。
やってみないと分からないことって
何が起きるか分からないことでもあるでしょう?

だから夢工房なんですよ。

価値の本質 その3

人の価値とか、ものの価値については色々考えます。

だって
「ものをつくる人」をつくる
それが仕事だから。

でも、人の心は外部から手を入れて、ものを作るようにこねくり回せないので
偉そうに「つくる」とか言ったところで
直接的にどうこうできるわけではないのが難しいところですけどね。

大学で学ぶのは、社会に出た後に仕事をするため。

とはいえ
仕事って何だ?
ってのが大事なところで
どうせなら良い仕事ができるようになって欲しいですね。

となると、「良い仕事」って何だ?ということになるのですが

それは、高度な知識や技術やスキルを使って
高い価値を持った成果を作る…

と言いたいところですが
実は大事なのは、その成果の働きによって何が起きれば良いのか
というところで

それは
どれだけ相手の心を動かせるか
というところに尽きるのだと思います。

相手の心が、どのくらい
多く、大きく、長く動くか

価値の大きさは、それで決まります。

近年、「ユーザー体験」という言葉を使うようになったのは
まぁそういうことなのでしょうね。

どんなに高度な知識や技術やスキルを使っても
人の心が動かなければ
作り手の自己満足に過ぎません。

立派な手段を使っても
高い価値を生み出せるとは限らない
ってことですね。

学校では、この手段とか、目的とかの関係は明確にしません。
手段を得ることが目的化されているからでしょうね。

ややこしいですか?
そうですね。