考えるということ 2

問題を解く
これは考えるというよりも
作業なのでは?

という話でしたが
だとすると
今の学校は、それを助長しているわけで
やればやるほど考えなくなる
とも言えるのではなかろうか。

その行き着く先は…

問題は他から与えられるもの

という感覚の固定化。
これかな。

そういうのがあっても良いとは思うけど
そればかりってのはどうかな。

でも、今やそれは常識ではないでしょうか。

学校ってのは
言われたことを覚えるところ
出された問題を解くところ
そうなってますよね。

そんなのばかりだと

身の回りの現象や環境
自身の現状などなど
そういった当たり前のことに対して
疑問を感じて改善していく

まぁつまり
現状を疑い、改善していく

そういったことが
できなくなっていくでしょうし
現にできなくなってきている。

当事者にとってはそれは日常で
当たり前なことで
だから何?
ってなものだと思います。
そんなものでしょう。

でも、これは大問題。
色々な意味で。

今、この瞬間は良いかもしれないけど
この先は?
自分は良いかもしれないけど
自分が属する社会は?
問題を出してくれる人がいるうちは良いけど
そういう人がいない状況ではどうする?

何より
言われたことをやるばかりでは
価値を創造することはできないし
そんなの面白くなくて
続けるのは難しいでしょう。

では、どうしましょうね?