ARLISS 2024 出発

今年も模擬惑星探査機CanSat(カンサット)の大会、ARLISS(アーリス A Rocket Launch for International Student Satellites)の季節がやって参りました。

ネバダの砂漠で模擬惑星探査機CanSatを打ち上げてきます。

今回の遠征メンバーは、4年生になったお馴染みコータローと、1年生のヒロヨシ、ユッチの3名。

飛行機は、まずはUnited航空で9時間55分かけてロサンゼルスに行きます。
成田を出るのは16:55で、ロサンゼルス到着は同日の10:50。
時差の関係で、時間が戻ります。

そこからSouthwest航空でネバダ州のリノまで移動。リノ到着は17:15。
リノからはレンタカーで、田舎町のファーンリーまで行くのが本日のミッション。

移動時間は、成田で飛行機に乗ってから、ざっと16時間くらいです。

では、行ってきます。

ものづくり教育はどこへ?

我が国では、20年ちょっと前に、ものづくり教育が盛んになりました。
それ以前は「ものづくり」というワード自体、あまり耳にすることが無かった気がします。
なので、急にそんなことを言い出したことに違和感を感じた覚えがあります。

恐らく当時、日本のお家芸たる「ものづくり」が衰退する兆しが見えたのでしょうね。
で、これは何とかせねば!ということだったのでしょう。
日本のチームがFormula SAEに出場し始めたのもその頃です。

そして今はどうなっているでしょう?

PC上でのデジタルモデリングや、3Dプリンティングなどの手早く造形が可能な、いわゆるラピッドモデリングの技術は確実に進んでいると思います。

今やアマチュアでもデジタルの3Dモデリングをしますし、そのデータを元に3Dプリンターで造形できますものね。
学校によっては、そういうのを授業に取り入れたりもしているでしょう。

反面、工作機械を使ってゴリゴリ加工するようなシーンは、かなり減った気がします。
それはちょっと寂しいかな。

まぁ、そんなこんなありながら、教育としてのものづくりは、正直なところ全体的には衰退していると思います。
学校には、プロとしてものを作った経験がある人が少ないので、まぁしょうがないかな、という気もします。
しょうがないじゃ済まないのだけど。

それよりも問題だと思うのは…
学校って、知識とかスキルとかの上流にあるべき思想とかが欠落してるんですよね。
別に難しいことじゃなくて、何のために作るかって部分がすっぽり抜け落ちてるのです。

「何のために?」が決まらなければ、「どうしたら良いか」「どうすべきか」は決まらないはずで、それが決まらなければ、どういう知識やスキルを適用すべきかは決まらないはずです。
で、学校で教えているのは、知識とかスキルなので、そういったことを知っているけど、使い道が分からないということになります。

ちょっと分かりにくいですかね。

誰をどのくらい喜ばせるためにとか、何のために、どんなものを作るかを考えると、品質やら性能やら製造方法やら、どうやって何を作るかが決まるわけです。

ゴールを決めたら、それに準じた手段を決める、といったようなことです。

そういうの、学校じゃ教えないのですよね。
手段たる知識・技術しか教えません。

言われたことをやるだけの人を教育するならそれで良いのでしょうけど、それでいて「主体性が」とか「自主性が」とか言うのはおかしいです。

主体性とか自主異性とか、ついでに言うなら、批判的思考だってコミュニケーション能力だって、目的があって初めて必要となることです。
「黙って授業聞いとけ」というやり方では全く必要無いことです。

まして、知識を覚えれば点数がもらえるのに、なんでそんな余計な能力を磨く労力を払わなければならんのよ?ってなところでしょうね。

まぁその辺が、社会のニーズと学校での学びの内容の食い違いが生じている原因なのでしょうけど、なかなか埋まらないでしょうね。

というわけで、長い前置きになりましたが、やはり目的を明確化したものづくりの経験ってのは超重要で、コンペティションなんかはうってつけなのですよ。

我が国は今後、より付加価値の高いものづくりにシフトしていく必要があるわけでしょう?
だったら色々やらないとね。

すぐやることの重要性

即断即決、即行動

そうしている人も
そうしていない人も
あまり気にしていないかもしれませんが

これは思いのほか重要なのですよ
というお話しです。

何かやりたいことを
考えて
行動して
結果が出るのですけど

実は初動の部分で
すでに結果のほとんどは決まっています。

まずは、やりたいことを考えるとするでしょう。

で、その次にどうしているか
それが結果を大きく左右しています。

結果を出す人って
その後に続くべき「行動」を起こすまでが速いのです。
変態的に速い。

うまく行かない人って
失敗したくない
という意識が強い。

なので
考えすぎるし
失敗にフォーカスしすぎる。

その結果どうなるか?

考えすぎると行動が先送りになります。
つまり行動に対しては
「(考えた)後でやろう」と先送りしているわけで
一度先送りすると
その後は
どこまでも先送りできたりするのですよ。

つまり
やらない(時間切れで、できない)
という結果になりやすい。

後で“やる”とは言いますが
それは
今“やらない”ことを決定しているのです。

最終的には
時間切れでできない
を選ぶか
しょうもない結果となるダサイ手段
を選ぶか
という、どちらも選びたくない
究極の選択をせざるを得なくなる。

あと、皮肉なことに
失敗にフォーカスすると
そこに接近していく
というのもありますね。

そう。それは深層心理の働きです。

そして仮に失敗しなかったとしても
それは成功じゃなかったりもする。

失敗したくないという思考は
うまく行くようにしたい
という思考とは違うのです。

しかーし!

この
よーく考えて、後でやる
というやり方は

一般的には
良いやり方とか賢いやり方
とされている気がするのですが
どうでしょうか?

ちょっと考えて
バーン!とやっちゃって
ドーン!と失敗するのは
バカなやり方だと

そう思っていませんか?

確かにそのやり方で
ドーン!と失敗して
そこでやめたらダメですが

やめずに継続したらどうでしょうか?

大抵は
うまくいっちゃうのですよ。