乗車姿勢のお話し

今回はクルマネタで行きましょう。

皆さん、普段どんな姿勢でクルマに乗っていますか?

さすがにベタベタにシートバックを寝かしている人はいないかと思いますが、足元が狭くならないように、何とかブレーキを踏める程度にシートを後方にセットして、ハンドルの上方を握ると腕が伸びるか、ヘタすると届かないくらいの位置にシートバックを倒している人は多いかと思います。

理想的なドライビングポジションとはなんぞや?
というのはあるものの、多くの人が教習所で教わるドライビングポジションで運転していないのは事実でしょう。
ちなみに、ルールがどうとかいう話では無いですよ。

昔は、パワーステアリングがオプションだったりしたこともあるし、加えてマニュアルトランスミッションの車だったりすると、シートを後ろに引いて寝かすなんて姿勢では、マトモに運転できなかったりもしたのですが、オートマでパワステなら運転できちゃうので、できるだけ楽な姿勢で…となるのも分かります。

上体を寝かせた姿勢が運転操作に適していないのは、恐らく誰しも分かっているとは思いますが、快適性とのトレードオフでそうなっているのだと思います。

しかし、本当にそれは快適なの?
というのが今回のお話しです。

シートバックを倒していると楽な気がしますよね。
ところがこれは大きな誤解です。

確かに乗車して、何もしなければ楽なのかもしれません。
でも、運転操作をするとなると話は変わってきます。

運転操作のうちで、最も身体的負荷が高いのは、恐らくハンドル操作です。
必要とする力の大きさと操作の頻度の両方を考えるとそうなるでしょう。

このハンドル操作は、腕力を使って円形のハンドルを高い頻度で回転させる「操舵」ということをしているわけですが、その操舵の反力がどうなっているかが問題なのです。

一般的には、ハンドルの12時の部分を握って、肘が曲がる姿勢が良いとされています。
肘が曲がる程度は、操舵の頻度や必要とされる力の大きさに応じて決めれば良いでしょう。

さて、大きな操作力と高い頻度が必要な状況で、腕が伸びていたらどうでしょうか?

分かりやすい例としては、凄い頻度でステアリング操作を続けるラリードライバーですかね。
あれ、腕が伸びている状態では不可能です。
F1ドライバーなんかは、上体が寝ていて腕が伸びているようでも、肘が伸びきってはいません。
ちなみに、上体が寝ているのは、運転操作のためではなく、マシンの要求性能というか、設計上の都合です。その方が重心が下がって、空力的に有利になりますからね。

そんなわけで、腕が伸びている状態では操舵がうまくできないのですが、問題は腕だけの話ではありません。

腕でハンドルを操作すると、背骨を左右に曲げる方向に反力が発生するわけで、それは体のどこかで受け止めなくてはなりません。

このとき、シートバックと上半身の摩擦とか、シートバックの形状とか、上半身で受け止められると良いのですが、シートバックが倒れているとその効率が非常に悪くなります。うまく上半身で力を受け止めることができなければ、下半身側に伝達するしかなくなります。

一方、お尻はシートの座面にどっしり固定されているので、下半身とフラフラな上半身の境目、つまり腰の部分に力が集中して、骨盤をこじるような力の受け止め方になります。
シートバックが寝ていると、骨盤が後傾して、背中が湾曲した状態になるのですが、その状態は最悪です。
実際に走行しないまでも、乗車姿勢を取ってハンドルを回してみると分かると思います。

「普段、そんなに頑張ってハンドル回してないから大丈夫だよ」
とお思いかもしれませんが、小さい力でも動かす頻度は結構高いので、ジワジワ効いてきます。

ですので、「長距離走行で楽に運転したい」と、シートバックを倒すと、逆に楽にならないどころか、腰痛の原因になったりします。

何でこんなことに気付いたかというと…

アメリカの人は、日本人に比べると、かなり長距離を運転するわけですが、よーく見ていたら気付いたのです。

「あ、シートバック立ってる人が多いな」と。

それから色々試してみたら、今回の内容に気付いたわけです。

ピラミッドの話

初めてエジプトのピラミッドを見た時
どう思ったと思います?
エジプト最大のクフ王のピラミッドです。

思ってたより大きくないなぁ
です。

実際は大きいですよ。
でも、見る前の期待に対して
ということです。

期待値が大きすぎたのです。きっと。

クフ王のピラミッドの存在が近代文明に認識された当時
世界で最も高い人口の構造物だったそうです。
そして、作り方に関しては
現在も決定的な説は無いなど、とても興味深いです。

技法としての作り方は良く分からないけど
分かっていることがあります。

それは…

最終形態を決定してから作り始めたのは間違いない
ということです。
当たり前ですが。

頂上には大きな四角錐のキャップストーンが乗っていたのですが
(今はありません)
その位置と形状はすでに決まっていて
そのために最下段から作っていったのは間違いないでしょう。
要は、キャップストーンはゴールです。

世界最古の木造建築群である
法隆寺も同様でしょう。

法隆寺の五重塔は
1,300年を経た今も立ち続けています。
もちろん何度もメンテナンスはしていますが
基本的には昔のままです。

ゴールとしての最終形態ありきで
土台から作っていくのは、いずれも同様でしょう。

さて、今回は何が言いたいのか?

何で社会に出る前に
ゴールやビジョンを実現する経験をしないんだい?
ということなんですよ。

技術だって学問だって
そのためにあるのに。

どうなっちゃうか分からないけど
まずは土台から作ってみるか
なんてことはあり得ないですよね。

できるかどうか分からないけど
ビジョンを実現するために頑張ってみて
何が大事か体験しないと
その先の学びだって、どうしたら良いかなんて判断つきませんよ。

「どうせ社会に出たらやることになるから…」
じゃ遅すぎます。

だって、ビジョンのためにやる
という経験が無くて
言われたことをやる
が習慣になっているのですよ。

年齢を重ねてから
急に路線変更なんてできませんよ。

もちろん、そんなんじゃ面白いことになりません。

若いうちはデカイ事なんてできない
なんてことはありません。

三内丸山遺跡の大型掘立柱建物を知ってますか?
直径1mm長さ14m以上のクリの丸太を6本立てた構造です。

当然ながらこの頃は、クレーンなどの機械も、運搬のための車輪も
木を切るための金属製のノコギリすらありません。

縄文時代の平均寿命は30才くらいです。
なのでこれは、凄く若い連中が頑張ったに違いないのです。

歴史を振り返れば
世界中、きっとそんなことばかりです。

なので、今はできないなんてことはあり得ません。
今だってできるはず。

ちなみに、三内丸山遺跡は二度ほど行きました。
ぜひ足を運んで、現物を前に当時を想像してみて下さい。
「オレにもできるかも」
って思えるんじゃないかな。

止まったら終わりだ

夢工房で学生達がどんなことをやっているか
というのは、あまり具体的に説明してきませんでした。

もちろん中には、口外できない機密度の高いことをやっていたりもしますし
なかなかうまく行かなくて形にならないというのもあります。

当然、学生の活動で、なおかつチャレンジなので
うまく行かないことなんて山ほどあって
むしろ、うまく行かない方が多かったりするのですけど
その中に成長のチャンスが山ほどあるわけです。

やったことが無いこと
答えが無いことに向き合えるのか?

そういう壁にぶつかって
超えることができるのか?

そこがまさに成長のチャンス
というか
人は、それでしか成長なんてできません。

もっとも、そういう経験をチャンスと捉えられるかどうか
そこがカギですが。

そんな経験を在学中にどれだけできるかが問題なのです。
「どれだけできるか」というのは
「何回できるか」
と言っても良いと思います。

よーく考えて
失敗しないように一発で決める

実はそれは最悪です。

そういうのが得意な人
というか、得意かどうか知りませんが
そうしたい人は山ほどいるでしょう。

その中で優位性を獲得できるのですか?
というのもあるし

そもそも、それでうまくやれるなら
何でキミは最優秀校にいないのさ?
ってな話です。

そのやり方は
戦略的に最悪なのです。

そのやり方では
数をこなせません。

経験の数の優位性というのは
絶対的なものがあります。

数を重ねて、ある一線を越えると
感覚というか嗅覚というか
直感で理解できる領域に突入します。

これは、生真面目に足を止めて
ずーっと考えることでは得られないことです。
理屈で説明できませんから
教えることもできません。

理屈で説明できたとしても
納得できなかったりします。

それは圧倒的な優位性です。

彼らは、たった4年しかチャレンジできません。
それは
人生のベクトルの根っこの角度を確定する
分かりやすく言えば
ロケットの発射台の角度を決める
重要な期間なのです。

低い確度で打ち上げても
後で急上昇すればいい?

できるもんならやってみろ。
そもそも、そういうのを先送りにした時点で
決して、やりはしない。
今やらないことは、大抵はできない。

日々チャレンジしていれば
どうしようもない失敗をすることもあります。

けど、その度に俯いて足を止めている場合ではないのです。

止まったら終わりなのです。
サメとかマグロみたいなもんです。