喜びが欲しいか安心が欲しいか

元気があれば何でもできる
という記事を以前投降しましたが
これはその通りだな
と日々痛感しています。

元気でポジティブにやっていれば
視野も広がるし
大抵の事象を前向きに捉えられます。
当たり前ですが。

元気なちびっ子なんて
凄く可能性を感じますよね。
こいつら、何でもできちゃうんだろうな
と。

そういう意味では
ヘタに知恵が付いて
色々と諦めることを知った年齢は
なかなか苦しいものがあるのかもしれません。
賢くなるのも考え物です(笑)

実際問題
経験を積んでくると
向き不向きとか
過去の事例とか
一般論とか
色々ノイズが見えてきて
子供の頃のような
純粋なパッションを失いがち。

そういう状態って
色々知っているのでしょうけど
逆に視野が狭まって
見えなくなっているものが
意外と多いのかもしれませんね。

年齢が若くて
色々知ってそうでも
何か若さを感じない
そういうケースありますよね。

気持ちを若く保つって
何も年配者にのみ重要なことではなく
あらゆる年齢にとって重要なのではないか
そんなことを思ったりしてます。

そのためには一体何が必要なのか?

それが簡単に分かったら苦労しませんが
少なくとも価値観は大きく影響している
そんな気がします。

その人が一体どのような感情を求めているか
こういう根源的な価値観が
効いているのではないかと思います。

喜びなのか

安心なのか

これら二つは
一見似ているように見えますが
実はかなり違います。

それぞれを得るためには
どのような行動が必要になるか
それを考えると見えてくると思います。

学生を見ていて
あぁ、なるほどな!
と気付きました。

とはいえ
これは他人が簡単に
どうこうできることではない
そこが難しくて面白いところ。

反抗期が無いたって無くなっちゃうわけではないのでは?

最近の若者は、反抗期が無い
なんて聞きます。
皆ではないでしょうけど。

これ、人の寿命が伸びて
労働寿命が延びて
それに伴って
教育機関が伸びて
という現状を考えれば
まんざら不思議でもないのかな?
なんてことを考えていました。

全く関係ないかもしれませんけどね。

こんなふうに
寿命が延びるのに伴って
人生のイベントも延びていけば
反抗期も先送りになるのかな
なんてね。

なので、無くなっちゃうわけではなくて
今までは10代で経験していたものを
20代で発現するようになってたりして。

でも、20代だと
社会での立ち位置が
ボチボチ固まりはじめているので
10代の反抗期みたいにはできなくて
代わりに何かが起きているのかな。
それで会社辞めちゃうのか?
どうなのだろう?

その辺は良く分かりませんが
もしそういうことなら

反抗期によって形成される
とされる様々なものも先送りになっている
ってこと?

反抗期って
理想と現実のギャップに苦しんだり
依存から独立への変化を求めたり
色んな希望とか不安に挟まれて
それによって
自分自身を構築していく時期ですよね。

そういうのが
先送りにされちゃってるのでしょうか。

とか考えると
何となく納得出来てしまう気がします。

夢工房での活動をやっていると
理想やら現実やらに揉まれまくって
チームでの人間関係に悩んで
自分を構築していくのが日常です。

なので
反抗期がどうとか
というのは興味深いのですが
まぁ何とかなってるかな
というのが実感です。

各人、良い感じに成長しているな
というのが日々実感出来ますから。

ただし
やはり反抗期のような経験があって
アイデンティティが確立されていたほうが
その後の成長は早いのだろうとは思います。

大学は
一般的には学問するところ
とされていますが
今はそれだけじゃ全然足りなくて
アイデンティティの形成も含めて
やっていかないとダメなんだろうな
でも、それも面白いかもな
なんて考えていました。

そういうのを悲観して
何かのせいにして文句言っても
なーんにも良くなりませんから。

今日も卒業生と話ができました。
皆、元気で頑張っているなぁ。
良かった良かった。

究極の選択になっちゃう理由

でっかいチャレンジをしていると
考えること
やることが
一々ヘビーなことだったりすることがあります。

特に初期段階の戦略を考えているときとか
マシン全体の企画を考えているときとか
他にも色々ありますが

当然、決断を躊躇して
考え込んでしまうシーンも出てきます。

こういう時って
考えようと思ったら
いつまでも考えられたりするのです。

だって正解は無いですから。

特に学生の場合
失敗しないように
よーく考えて一発で正解を出したい
なんて思うことがある
というか
ついつい無意識で
そういうやり方をしちゃうケースが多い。

もちろん、そんなことをすると
決断が遅れるのですが…

決断を遅らせると何が起きるか

最終的には
いわゆる
究極の選択
をするしかなくなります。

しかも一番嫌なときに
です。

究極の選択とは
一番取りたくない選択肢
しか残っていない状況です。

誰しも間違えたくないし
失敗もしたくないだろうし
面倒なことはやりたくない
それらを避けるために
一所懸命考えることに時間を使って
または考えずに
決断や行動を先延ばしにしても
「締め切り」は変わらないので
結果としてトライするための時間が無くなります。

そんな風に
トライする時間が無くなってしまったら
一発で決めるしかないので
ますます真剣に考えて
ますます時間が無くなって

もうどうしようもないところで
究極の選択をせざるを得なくなる

本当は
どうせ正解なんて無いのだから
早く考えてやってみて
その結果をリファインしていく
というやり方自体が
正解と言えば正解なのですが

それって簡単に言うと
早くやって早く失敗する
ということです。

なので、失敗を避けることが
第一優先になっていた場合
非常に取りにくい選択です。

だいたい、小さい頃からそれをやったら
ダメなやり方だと
怒られてきたわけで
いまさらそこに戻れるのかというのが大問題。

でも、良いもの作るにはそれしかない。

これ、学生のうちに
やっておかなければいけないことの一つです。
なかなか機会はありませんが。

やはりキーワードは「勇気」と「スピード」かな。
前提としては「ビジョンの明確化」ですね。

失敗を避けるためにやっちゃダメなのかって?

ダメですね。

だって、失敗しないことが成功じゃないから。