卵が先か鶏が先か 自信の話

何かにチャレンジするときに
自信が無いからできない
と思ったりすることがあります。

まず最初に言っておきたいのは
ここで言う「自信」とは
自分を信じる
ということです。
自尊心(プライド)とはちょっと違います。

チャレンジに際して
自信が無い
とは
自分ができるとは信じられない
ということです。

信じられないことはできるはずないですね。

言いたいことは分かります。

「だって、やったことないから」
「だって、できたことないから」
だから自信が無い

でもこれ、ちょっと変なんです。

やったことがないこと
とか
できたことがないことは
できると思えない?

できるためには
「自分ならできる」
と信じる必要がある。

けど、やったことがないから
そうは思えない。

そう思えないのだから
きっとできないでしょうね。

はい
分かってます。

「できるかどうか分からないこと」を
やりたくないので
「できない」に分類して
やらなくて済むようにしているのですね。
よくあることです。

では、やらなくて済むことによって
誰がどんな得をしているのかな?

労力を払わなくて済んで
楽が出来て良かった?
失敗しなくて済んだ?

でも、それによって
自分の価値も向上しないし
周囲の人も喜ばないですね。

チャレンジするには
やったことがなくても
「自分ならできる」
「何かあっても、自分なら対処できる」
と、自分を信じる必要があります。

これ、「うぬぼれ」のようなものではなく
どちらかというと「決意」のようなものかもしれません。
「腹を決める」ということですね。
それほどヘビーな感覚でなくても良いかもしれませんが。

まぁ別に
うぬぼれてても良いのですけどね。
やっちゃえば得られるものがありますから。

チャレンジは
未来の自分への投資です。

やった途端に何かが得られることもありますが
本当の成果は未来に現れます。

「やらない」という選択は
未来の自分への投資にはなりません。
何も起きません。
そのための「やらない」ですから。

「自信」と「できる」は
卵と鶏の関係です。

すでにできることなら
すでに自信を持っているでしょうけど

自信を持たないと
やったことがないことは
できるようにはなりません。

やらなければできないのは当然なので
そのままにしていたら
一生自分を信じられなくて
ずっとできないまま。

自信が無くてもやる
その選択によって
できて自信が付いた
という経験が得られるかもしれませんし
得られなくても
チャレンジする勇気は確実に身に付いていきます。

ちなみに
卵を割らずにオムレツはできない
のです。

おいしいオムレツかどうかは
卵を割って作って
食べてみないと分かりませんよ。

ダメはダメじゃないのにね

学生の成果を評価するとき
いわゆるダメ出しをすることがあります。

その時の反応は二つ。

何かをやってみて
うまくいかなかった
ということがあったときに

ダメだということが分かった
ダメだ。やらなきゃ良かった。
以上、終了。

と思う場合と

ダメだということが分かった
これは発見、良い経験だ!
次に活かそう!

となる場合です。

人にもよるでしょうし
ケースにもよるでしょう。

もちろん大きく成長するのは後者です。
が、レアな存在です。

出た結果を
ネガティブな経験とするのも
ポジティブな経験とするのも
自分次第なのですよね。
自由なのです。

でも、多くはネガティブな方に
分類するように習慣づけられている。

失敗しちゃダメ
失敗は悪いことで
そこから学ぶことなんて無い
という感じ。

チャレンジして成長するには
「やる」「やらない」のシーソーが
「やる」方へ傾く必要があるけど
その動機が必要。
ただし理屈ではない。

失敗がダイレクトに
ネガティブな感情に結びついている場合
理屈で動機を構成するなんてことは無くて
意識する前に回避してしまう。

習慣づけられた感情がそれを左右しているわけで
それを何とかするには…

習慣を変えるしかないですよね。

ただし
そういうことに気付いていて
何とかしたいと思っていているなら
まずは考え方を変えて
それによって習慣を変えて
で、何とかできるかもしれません。

ただ、それにも条件があって
自らの変化を楽しめるなら
ということになると思います。

なはり根底にあるのは
ポジティブな感情
ということになるのでしょうね。

時として
ネガティブなパワーで何とかしちゃう人もいます。

でも、それだけだでいっちゃうと最終的には
ハッピーな結果にならないと思います。

冒険して成長しよう

人は冒険することによって成長する
と思っています。

冒険のイメージそのまま
大自然の中で
アドベンチャーするのも良いでしょう。

でも、学校にいても冒険はできます。
新たなチャレンジは
ちょっと視野を広げて
自分のセンサーの感度を上げてあげれば
いくらでも見つかります。
あとは行動するために
ちょっぴりの勇気が必要かな。

チャレンジする中では
失敗も成功も経験するでしょうし
色んな意味での我慢とか
自身のコントロールも必要です。

そんな中で
自信とか勇気とか
引き際とか
リスクの正体とか回避方法とか
色んなことを学べます。

でも今の世の中は
あまり冒険を許容しないようにも見えますね。

何かあると
すぐ突き上げられちゃう…のではないか?
そんな恐れがあるのかな。
文句言われたり
ネットで拡散されちゃうとか。

そいうのがあったりして
失敗したくないとか
大変なことを回避したいとか
そういうのも強いと思います。

そういう感覚って
失敗とかリスクは「悪」だという概念というか
価値観を長い年数で刷り込まれている
というのもあるでしょうし

その価値観が
チャレンジの先にある
ワクワクする何かに対して
圧倒的に優勢になっている
ということなのでしょうね。

そうなっちゃうと
チャレンジそのものが
「悪」みたいなものなので
残念ながら
デッカイ喜びには到達できないのでしょうけど
そもそもそんなものを望んでない
と言われてしまえばそれまでです。

なので、安全と安心に帰結したがる。
こりゃ面白くないですね。
というか、もったいないなぁと思います。

例えば
自動車マニアの学生が
クルマの構造とかを
ネットや本で知ったりするのと
実際に考えて作るのは大違い。

知ってれば作れるか?
というと
もちろんそんなことは無いわけで

知るのとできるのは全く違うことだ
というのは
実際にやってみて初めて明確に分かります。

例えば
何かを固定するための
小さい部品を一つ作ってみても
たったそれだけの経験で分かることは
膨大にあります。

そこからどのくらい突っ込んでいくか
それは本人次第ですが
今や学生が実際にレーシングカーを作って
海外で戦うこともできるし
惑星探査機を作って
ロケットで打ち上げることもできます。

もちろんそういうチャレンジをするということは
相応のリスクを背負うということなのですが
腹を決めてしまえばば経験できる世界です。

近年では
レーシングカーを作って競う
フォーミュラSAEの海外大会に出ているのは
日本全国でも我々、夢工房の学生達だけ
ということになっています。

もちろん海外の大会に行くなんてことになると
クルマを作るだけではなく
色々な苦労があって
何倍も努力が必要だと思います。

でも、その先にしか無い
面白さや達成感もあるわけで
もっと多くの学生達に
それを味わって成長して欲しい
そんな風に思っています。

そうしたら
本人も、周囲の人達も
もっと面白いことになるはずです。

毎年海外大会に出ている夢工房の学生達
もちろん、うまく行かないことも多いのですが
それでも彼らは
「行って良かった」
と言います。

「行かなきゃ良かった」
という声は聞いた覚えがありません。

学生が
自分の力でマシンを作って
海外のレースで戦うなんてことは
大冒険に違いありません。

「日本でも良いんじゃない?」

はい。
国内でやっても
チャレンジだと思います。
でも
”大”冒険にしたらもっと面白いんですよ。