諦めるな!

夢工房にいる学生達は
成績優秀者が揃っているわけではありません。
全員が悪いわけでもありませんが。

というのも
成績が良い学生は、勉学で勝負すると決めている傾向があるようなので
何もものをつくらなくても良いのでしょうし
むしろ、ものなんか作ってたら勉強する時間が減ってしまいます。

今日は成績不振の学生と面談をしました。
不審な学生ではありません。
幸いにして夢工房の学生で対象者はいませんでしたが。

成績が良くない学生に対する質問は
ぶっちゃけ「なんでダメなの?」です。

理由は色々ありますね。

根っから覇気が無くて、どうにもアドバイスに困るケース
色々事情はあるのでしょう
これは常に一定数います。

元はそこそこ元気があるのに
事情があってモチベーションが上がらなくて勉強する気が起きない。
こういう学生の事情を掘り起こしてアドバイスをするケースが最も多いかな。

彼らの気持ちも分かります。
私も同じような経験をして
同じように考えていたから。

彼らの多くは
そもそも何かしら夢を持っていたのですが
自分は勉強ができないから諦めなくてはならない
と思っているのですね。

そう思っていてモチベーションが上がるはずはありません。

なので、どこまで行っても勉強をする気は起きなくて
結果、単位を取れるかどうかという恐怖にフォーカスせざるを得ません。

でも、「勉強ができるようになれば希望が叶う」と思っている。
超矛盾のネガティブスパイラルです。

なぜ彼らが「夢を諦めなくてはならない」と思うのか。

それは周囲からそう言われるからです。
「~(勉強)ができないと~(彼らの希望職種)なんてできないよ」
恐らく彼らが接するほぼ全員からです。

先生

友人

これは強力な説得力ですね。

でも、その有り難いご意見をくださった皆さんのうち
どれだけの人が彼らの希望職種の経験があるのでしょう。

恐らくゼロの場合がほとんどです。

悪気があって言っているわけではないのは分かっています。
自分の想像できる範囲で
可能性が高そうだと思う意見なのでしょう。

親は子供のためを
先生は学生のためを思って言っています。

反骨精神は無いのかって?

今時そんなリスクの大きいもの持ってたら
みんなに怒られて笑われて嫌われるんじゃないの?
「めんどくせー」
とか言われて。

どんな職種でも
頭がキレキレで仕事ができる人がいて
そうでも無いけどバリバリやる人もいます。
頭で勝負する人
パワーで勝負する人
スピードで勝負する人
人徳で勝負する人
色々です。

みんなそれぞれの強みを構築しようと頑張ってます。
決して全員同一の単一の能力で勝負しようとしているわけでは無い。

でも、学校の場合は単一です。
それが全ての入り口になってます。

「勉強できなきゃダメだ。その先は無い」
といった感じ。

まず何かやってみて
その結果
知識があるともっと良くなるとか
もっと面白くなる
という経験でもあれば
知識獲得の欲求も出るんでしょうけど
そういう機会はあまりないですね。

そもそも
一部上場のでっかい企業に入っても
3年くらいで4割程が辞めちゃうんですよね。
色々事情はあるのでしょうけど
彼らのほとんどは入社する前
「勉強できれば何とかなるはず」
と思っていたんじゃないかな。
なんてもったいない。

そうそう
今日の面接で何を話したかって?

学生の夢を掘り起こして
「諦めんなよ!行けるぜ!」
という話をしてました。

一緒に色々作戦考えたりして楽しかったなー。

おっと!
一応、今回も言っておきます。

「勉強なんて意味ないぜ!」

なんてことを言うつもりはありません。

知識はツールなのだから
それだけあっても意味は無くて
何のためにそれを使うのか
というゴールこそが大事なのです。

机の上の勉強だけが勉強ではない
ということも言っておきましょう。

発掘作業

かつての日本にあった特性とか優位性を強みとして現代に利用するために
それらを探したりしてるのですが
どこから見付けるかというのが問題であり面白いところでもあります。

もちろん、昔の日本の技術そのものを再利用しようということではなく
感性や考え方を再利用できるのではないかと思っているのです。

書籍でいえば、日本最古の書籍である古事記から日本書紀、果ては万葉集まで参考になります。
でも、当時から今に至るまで、我々日本人にとって当たり前な情報は書かれていない可能性があるのです。
なぜかというと当たり前だから
書かなくても読み手の我々日本人には分かるから。

イザベラ・バードというイギリスの女性探検家が、明治時代に日本国内を探検…というか旅行した経験を書いた本があります。
いや、やはり探検と言った方がいいかな。

鎖国が終わった開国直後では
西洋文化を導入して、それと引き換えに失ってしまったものは最低限のはずなので
当時の日本を客観的に見た情報が手に入ります。

特に人も含めた日本の原風景が参考になります。
人の関わり方とか、田畑や各種製品の様子などが記述から見て取れます。
こういったものは、我々日本人にとって当たり前だけど、海外から見ると特異なものであったりします。
その中でも、特に興味深かったり、西洋文化とかけ離れていたりするものが記述されています。
そこにたくさんヒントがあるのではないかと思うのです。

人間は、一人では生きられません。
なので、その行いも共同体で生活することを前提に組み上げられています。
昔の日本人は、何のために何をやってどうなったのか
これは現代のチームに適用できることも多いはずです。

バードの記述で特に気になったのは
手入れの行き届いた美しい田園風景。
田園風景は自然のものでありませんから
それを作った人の感性が反映されています。

あと
しきりに「日本の子供たちは幸せそうに見える」といった記述があることです。
それに対して今はどうでしょう。
小さいうちから塾だの習い事だの大変です。
それが本人が本当にやりたいことであれば良いのですが
そうでない場合も多いはず。

子供は成長して大人になります。
そして世の中を作っていく。
その過程での考え方とやり方の基盤となるのは幼少期の環境とか経験です。

成長の初期に、成長後に必要なことを詰め込んでしまって大丈夫なのでしょうか。
幼少期の感性を養うべき時に身に付けておくべき大事なことは
他にあるのではないかと思えてなりません。

とかいったようなことを考えると
色々なことに、まだまだ工夫の余地はありそうな気がします。

後は縄文時代の遺跡や遺物ですね。
これが意外と役に立ちます。

もちろん直接的に利用できる技術などはあまりないのですが
2000年も前の物とは思えないものが結構あったりするのです。

一体なぜ作ったのか?
どうやって作ったのか?
そういったものについて考えを巡らせていると
なぜか、まだまだ行けるぞ!
って気になってくるんですよね。

新しい学びは新しくなかったりする

今、日本で常識とされている授業の形式
先生が教えて、生徒がそれを覚える
もちろん、答えはすでに決まっていて
正解・不正解は明確
テストではどれくらい上手に覚えられたか確認する
といったやり方は、やはり賞味期限切れのようですね。

今までよく続いたな
とは思います。

すでに形(やり方)が決まっていて
答えも決まっているやされているような方法では
学生にしてみたら「やらされている」わけで
それではやはり限界があるでしょう。

アメリカではすでに講義の形態を壊してしまって
学生が自ら考えてものをつくる形態の学校が増え始めているようです。
「授業」じゃないですよ。
「学校」です。

やっている内容は、それこそピンキリなのでしょうが
自発性に任せて色々やるのであれば
知識の面でもマインドの面でも、もちろんスキルの面でも
得られるものは大きいでしょうね。

そうやって得た「生きた知識」は忘れないし
面白ければ、先へ先へと自ら進んでいきますから。

では、日本でこういうやり方が広がっていくかといえば
まだしばらく後になるでしょう。
よく日本はアメリカの10年後を追っていると言われますよね。
そのセオリーで行けば、日本でスタートするのは10年後です。
それまでもてば良いですが。

なので
我が夢工房は先行逃げ切りで行きます。
と言うか、20年前にすでにこのやり方でスタート切ってますからね。
我々にとっては特に新しいことではなかったりします。

お先に失礼します!!