リスクの話 2

普段何かをやる上で
意識してリスクを取る
なんてことがあるかもしれないし
ひょっとしたら無いかもしれない。

何のためにどれくらいのリスクを取るかを
考えたりはするとき
取るリスクの大きさの程度とか可否の閾値は
恐らく無意識というか習慣で決まる。

そこに気付く機会は
あまり無いのかもしれないけど
もし気付いてしまって
それを変えたいと思うなら
意識的に新しい習慣を身に付ける必要があるのだけれど
やはり重要なのは環境だろうな
と思うのです。経験上。

場所や組織、周囲の人など
どんな環境に身を置くかはとても重要。

朱に交われば何とやら、ってヤツです。

でも、気を付けなくてはいけないのは
一般的に良いと言われている環境が
自分にとって良いとは限らないということ。

それは、言っている本人の価値観に基いているから。
当然ですが。

あと、環境は
ある程度自分で変えたり作ったりすることもできる。
むしろ既存の環境に迎合するより
その方が価値がある場合も多い。

まぁ、理屈はいくらでも言えるのだけど
結局は、これだと思ったところに突っ込んでいって
頑張ってみれば分かるよ
というか
そうするしか無いよね
ってところですよ。

100点が最高だなんてのは幻想だ

言われたことをやる
そうすると褒められるシステムはおかしい
なんて思う私はひねくれ者でしょうか?

そうではありません。

単なるひねくれ者ではなく
出来の悪いひねくれ者です。

なんでこんな始まり方をするのかというとですね
こんなことを思ったからです。

学校では、言われたことを100%こなすと
「100点満点」という最高の栄誉を獲得します。
これより上は無くて文字通り最高です。
一番良いのです。

でも
社会に出た時に思ったのですよ。

言われたことが完璧にできると…
普通じゃん。

言われたことをやるって
普通なんですよ。
全く最高では無いわけです。
言ってみれば「ゼロ」かもしれない。
マイナスじゃないけどプラスじゃないから。

学校のテストで60点未満が赤点なら
60点って感じです。
ってのは言い過ぎ?

ともかく
普通の仕事
当たり前のことをして
喜ぶお客さんはいないのですよ。

「これ、くれ」
というオーダーに対して
「はい」
と手渡す

で、喜ぶお客さんはいない。
当たり前なことが起きただけだから。

「じゃぁ、超絶に優秀じゃないとダメなの?」

それでもいいけど
そうじゃなくてもいい。

要は、言われたことを
超絶優秀にこなすことができなければ
他の方法で勝負してもいいよね
ということなんですよ。

まぁ、納期を守るなんてのは当然として。

ピンポイントでも
何かしら強みを持っていれば良いと思います。

会社組織なんてのは
色んなことができる人が集まっているのだから
分からなければ誰にでも聞けるし
できないことは得意な人にやってもらうこともできる。

ただ、忘れてはいけないのは
義理と人情です。

当たり前のように他に依存していたら
相手は気持ちよくないわけで
そんな人間関係では
組織としてのパフォーマンスは向上しません。

開発職でありがちなのは

設計と試作の現場が不仲であるとか
設計と事務方が不仲であるとか

そんなところだと思います。

設計が試作を下に見ている
なんてのがあったとしたら最低です。
彼らのゴッドハンドに敬意を払うべきです。

偉そうなことを言うなら自分で作ってみろ
という話です。

彼らがいてくれなくては
どんなに素晴らしい設計だってモノにはなりません。

そもそも試作にいる職人さんが怖くて
ロクに現場に顔を出せなくて
対応や調整ができなくて怒られるとか
そんなのは新人の頃によくある話だと思いますが
そのまま年齢を重ねて中途半端にキャリアを積んだりすると
そういうことになりがちではないでしょうか?

あと、事務方から何か言われて逆ギレしちゃうとか。
「誰が稼いでると思ってんだ!?」
なんてね。

「少なくとも、あんた個人じゃねぇよ」
と言いたい。
「誰のお陰で仕事が回ってると思ってんだ?」
と。

そもそも同一の組織内で
そんな考え方に至ってしまったら致命的です。

そういうのは
「仕事ってのは言われたことをやるもんだ」
なんて価値観でやっていることが
原因ではないかと思うのです。

何も100点満点君じゃなくても良いのですよ。
ピンポイントの強みは何でもいいのです。

力学が得意とか、材料の知識が豊富とか
そんなのではなくても

とにかくチャレンジするとか、すぐやるとか、諦めないとか
気が利くとか、思いやりを持って仕事ができるとか
そんなことだって突き詰めると強みになる。

で、そんなことでも継続していくと
結構仕事ができるようになっちゃうものです。

夢工房の学生達は
「即戦力になりたい」
と日々頑張っていますが

何も「即戦力」という「型」があるわけではなく
やり方は色々。

彼らはヘタに分業しすぎない…というか
システマチックに分業できるようなリソースが無いので
各人が色々やる必要があるわけで
結果として色々できるようになっちゃうわけですが

そういう経験で
考え方やスキルを手に入れるのはもちろんなのですが

将来的には
他部署や他社や、お客さんの気持ちが分かる
エンジニアになって欲しいな
とも思うのです。

心の慣性力

この春の夢工房は、コロナ禍の自粛からの本当の再スタートといった雰囲気です。
恐らく世の中もそんな感じなのではないかな。
と、トイレのハンドドライヤーの再稼働で感じる今日この頃。

世の中の色々な仕事もそういう方向に向かうでしょうけど、何がどのくらい変わっていくのかが気になるところでもあります。
これは心配と言うより、期待の方だったりするのですが。

とはいえ、この自粛モードからの変化になかなか対応できない…というか対応したくない人もいるでしょう。
特に疾患を抱えた方とか高齢者とか。
でも、周囲の高齢者で、そういう雰囲気を感じさせる人はあまりいなかったりするのですが。

とはいえ、コロナに対する警戒というのは、心配な人からしたら命の危機で、真剣・深刻だったわけで、一度そのような意識を持ったら慣性力が付いちゃうのではないかな、なんて思ったりもしていました。
そして、そういう意識が習慣化してしまうのではないかと思ったわけです。

新入生に関しては、その点は概ね杞憂だったようで、一安心というか、むしろ期待が持てるな、というのが今のところの感想です。

彼らは高校の3年間、ずっと我慢してきたと同時に、それは多くの「やらなくて済むこと」を生むわけです。
恐らく彼らは命を失う恐怖は感じていなかったでしょうけど、やらなくて済む楽さ加減を知ってしまったわけで、その辺がどうなっているのかな、というのが気になっていました。
でも、たぶん、大学入学という環境の変化で、一気にリセットできているものが多い印象でした。

夢工房の活動はチャレンジの連続であって、リスクを取ったりコントロールしたりしながら前進し続ける必要があるわけです。
これは、怠惰や恐怖のような、非常に強固な本能的なものを超越する必要があるのだろうなぁ、なんて思いました。
まぁ、その辺がこういう活動をやる本質でもあるのでしょうけど。

で、そういうのが習慣となってしまえば、社会に出た後も慣性力を効かせて頑張れる。
スタート時点のマインドレベルが違うので、受け身で仕事にヒーヒー言わされるのではなく、楽しめるようになるだろう、というのが夢工房で狙っているところの一つだったりします。