夢工房に来た1年生が沢山いるわけですが
このエキサイティングな活動に足を踏み入れた彼らは
当然ながら一所懸命やっちゃうわけです。
すると、親は入学早々帰りが遅くなった子供を心配するわけです。
もちろんそういうケースは少数ではありますが
毎年一定数はそういうことになります。
気持ちは分かります。
今まで親の目の届くところで
何をやるか想像が付く範疇で生活していたのに
途端に訳の分からないことに一所懸命になるのですから。
急にコントロールの範囲外に飛び出したらビックリするでしょう。
でももし
普通のことをやって
普通以上のゲインを得て欲しい
何でそんな余計なことをするの?
と思っているとしたら…
そういうのはバブル時代の遺産というか
幻想だろうという気がしなくも無いのだけど
そんな考え方は、いまだに幅を利かせているわけで…
その価値観、もうかれこれ半世紀も前のものですよね
と思う今日この頃。
「学校で、言われたことをやっていればうまくいくはず」
もうそんな世の中では無いことは
多くの人が分かっているはず。
にもかかわらず
いまだにこんな感じの話を耳にすることもあります。
「一生懸命勉強して、良い会社に入るのだ。
そして安定した楽な生活をするのだ」
勉強ができれば良い会社に入れるから
そうしたら大して働かずに良い給料をもらえるという訳ですな。
今や単に勉学の成績が良くたって企業は採用しませんし
いわゆる「良い会社」の仕事が楽なわけはないでしょう。
「大学でクルマなんて作って遊んでないで
しっかり勉強しなさい」
お勉強ができたって、仕事ができるわけではありません。
遊び感覚の中途半端な気持ちと能力でクルマは作れませんし
ましてそんなのはレースになりません。
クルマを作るために必要な知識と経験は
その多くが工学に基づくものです。
しかし、それらは学校の授業でカバーできるものではなく
実践を通してしか得られません。
そして、その経験を通して得たものは
あらゆる業務に役立てることができるはずです。
夢工房の活動内容が具体的にどんなものなのかは
容易に想像が付かないかもしれませんが
こういう活動をチームでやるというのは
社会に出て、価値ある仕事をする上で
最も重要な経験となるのは疑う余地はありません。
自分が魅力を感じる取り組み内容で
夢中になって、のめり込んでしまう。
そんな活動内容だからこそ
格段にレベルアップすることが可能なのです。
もちろん、セルフコントロールが利かなければ
留年などのリスクになるでしょう。
なので、心配する気持ちは分かります。
でも、そういうリスクのコントロールをできるようになる
ということも含めて、この活動の意義があるのです。
教員だって、学生が言われた通りのことをするなら
余計なことをせずに、失敗もせずにやってくれたら
そりゃぁ楽です。
でも、そんな楽な仕事に、どんな価値があるのでしょう。
自分が楽をするために仕事をして、一体何が楽しいのでしょう?
こういう活動を「学生の遊びだ」と思うなら、こう問いたい。
何の強みも持たず勉強だけできる新卒を、あなたの会社は採用しますか?
チームで仕事ができず、仲間を助けることもできない新卒を、あなたの会社は採用しますか?
自律性が無く、セルフコントロールが利かない新卒を、あなたの会社は採用しますか?
リスクを取ったチャレンジができず、失敗したことも、失敗を乗り越えた経験も無い、言われたことしかできない新卒を、あなたの会社は採用しますか?
自分の喜びのみならず、多くの支援者を作り、応援してくれる人達の喜びのためにも努力する、そんな価値観を理解できない新卒を、あなたの会社は採用しますか?
これらは授業では学べないことですが
仕事をする上では、クリティカルに重要なことです。
しかし、「やらせる」手法で身に付けることはできません。
加えて、「単位」とか「成績」とかが評価指針になった途端に
学生は「自分が」クリアするためのことを
場合によっては最低限を狙い始めるので
高いレベルに到達するのは難しくなります。
先進各国の技術系大学は、単にペーパーテストができるようになるためだけの教育からはシフトし始めています。
しかし我が国は、いまだに机にかじりつく教育を推奨しています。
レベルを上げるには、科目数を増やせば良いとか、学ぶレベルを上げれば良いとか、そんな方針なのだと思いますが、問題は知識の質とか量とかではありません。
心の問題です。
自発性無しに、受動的に突っ込まれた知識なんて、脳内に留まる期間も、量的にも限界があります。
動機無しに、目的無しに記憶したものなんて、将来どれだけ役に立つのでしょう。
その先に行くには、自分が本当に求めることを一所懸命やって、失敗して乗り越えて、その中から自ら学ぶしかないと思います。