それはかつての価値観だったのです

この記事を書いていて
薄々気付いていたのですが

今の学生達の親御さんとか先生とかの世代
つまり私の世代でもあるのですが

実は、高度経済成長とか
バブル経済とか
その辺の世代だったりすると
まさに
「言われたことをやっていれば何とかなる」
という世代なのですよね。

で、どういう価値観を持っていたかというと

頑張って勉強して
良い学校に入って
良い会社に入れば…

楽ができる!

なんて思っていた世代です。
実際、当時はそんなこともあったのです。
言われたことをやっていれば
そこそこお金をもらえました。
というか
人によっては「そこそこ」どころか
結構もらえたのです。

だから若い世代に
自分の価値観で伝えてしまうのでしょう。
確かにそんな時代もあったのです。

皆と同じように
言われたことをやっていれば良かった時代

今考えてみると
あれはかなり特殊だったのかもしれませんし
発展する過程での必然だったのかもしれません。

今は全くそんなことは無いですね。

そもそも
学校で頑張って勉強して
社会に出たら楽をするって…
じゃぁ一体何のための勉強だったの?
という話になっちゃいますし

楽しちゃうってことは
存在価値が無くなっちゃうってことで
かなりの高確率でハッピーでは無くなります。

さらに
一所懸命勉強して
収益を上げている大きな会社に入って
楽して安定した生活を…
というのは理屈が破綻しています。

なんでその会社は収益を上げられるかって
頑張ってるからに決まってるじゃないですか。
自分だけはそこで楽をできると?
そりゃ無いでしょう。

一応言っておきますが
私は
「言われたことをやっていれば何とかなる」
という路線には乗れませんでした。
出来が悪かったし
そういうのを楽しめなかったから。

でも、脱線野郎で良かったな
なんて思っています。
貴重な経験が沢山できましたから。
後悔もしていないし
負け惜しみでもありません。

やり方は色々ありますよ。


精神論について

以前は
「精神論(根性論)ではどうにもならん」
みたいなことを聞いた覚えがありますが
最近ではあまり聞きませんね。

根性ある人が減ったから?

まぁ、そうかもしれませんが
「そういうのじゃどうにもならん」
というのが常識になっているからかもしれません。

精神論じゃどうにもならんなら
何ならどうにかなるのかな?

理論?とか知識?

それは嘘です。

理論や知識はもちろん大事ですが
理屈で人が動くなら
学生達は全員がもっとお勉強ができるようになっていて
全員がいわゆる一流大学に行っているでしょう。

でも、ひょっとしたら
お勉強する必要性に関するロジックが
理論として成立しないのかもしれませんが。

まぁ、その辺は置いておいても
「頭では分かっているけどできない(やる気になれない)」
というのは誰でも経験があるでしょう。
私なんて年がら年中ありますよ。

なんでそんなことになっちゃうかというと
そもそも「やるかやらないか」なんてのは
気持ちの問題だからです。
心の問題です。

「やる気になれない」
なんて、読めばそのまんまじゃないですか。

もちろん言った本人は
それが理由になると思っているし
それを聞いた人は
「じゃぁしょうがないなぁ」
なんて言ったりするくらいだから
理由としては市民権を得ているというか
ちゃんと成立しているみたいですよね。

あと、我々の周りにある製品。

周囲には多種多様な製品があるでしょう。
これ、全部人が作ろうと「思って」作ったものですよ。

頭の中に豊かな知識があったら
いつの間にか自然と物体になって目の前に現れた
みたいなものは一つもありません。

我々の心を動かすほどの素晴らしい製品は
ほぼ間違い無く
熱いパッションが根源にあります。

そこに、知識とか経験とか工夫とか
実現するために必要なものが動員されて
形になるのです。

自分が望むものを形にするために
知識や経験が無ければ
調べたり試したりして
足りないものを身に付けるのです。

学生時代に学んだ知識や経験だけを動員して
製品ができるはずはありません。
そんなの当たり前でしょう。

もちろん精神「だけ」じゃ
どうにもならんのですけどね。

でも、パッションを起点にして
必要な知識や経験を掴みに行く
という行動に繋がることはあるけど

知識を起点にして
行動に移行するのは
あまり無いのかぁと思います。
もちろんゼロではないでしょうけど
少ないですよね。

ずいぶん前の話ですが
海外のFormula SAEの大会で
現地の学生と雑談をしているときに
何気なく
「良いクルマ作るのに何が一番大事だと思う?」
って聞いたのですよ。

そうしたら
「そんなのガッツに決まってんだろ!」
って即答しましたよ。

精神論って
昔の日本人の専売特許で時代遅れな価値観だ
って思ってましたか?

ひょっとしたら
今の日本人が失っている
最もクリティカルなことの一つかもしれませんよ。

夢とかチャレンジとかの話

夢は自分のありたい姿で
チャレンジはそのための行動。

ですよね?
概ね間違い無いかと。

夢を語ると否定される?

よくある話です。

いや
最近はよくある話では無くなりましたね。
夢を聞く機会がめっきり減りましたから。

かつては夢を語ると
「そんなのできるわけねぇだろ!」
という反応が定番でした。

学力とかお金とか地位とか設備とか

「そういうのあんのか?無いだろ?
じゃ、できるわけねぇだろ!」

えーとですね
そもそもそういうのがすでに手に入ってるなら
それは夢ではなく
単なる行動でしょうに。

と、そう言えればいいのでしょうけど
「無ければできない」
というのは
凄くもっともな理屈のように聞こえるので
真面目な人は納得しちゃうのでしょうね。

チャレンジにはリスクがあるからやっちゃダメ!
労力や自家にゃお金をかけて
失敗したらどうすんの?
失敗するのはダメなことだ!
みんなが心配するし迷惑だ!
バカだ!

なんてやられちゃうと
結果は二択。

  • やらないでおくか
  • それでもやるか

やる方を選択すると何が起きるかというと…

当然、初めてやることなら失敗するわけですね。
大きなチャレンジならなおさら。
すると

「だから言ったじゃないか
もうやめておいたら?」
「そんなことやってる暇があったら
もっとやるべきことがあるんじゃないの?」

ときたりする。
凄い説得力ですね。
偉大な予言者みたいだ。

本人も、ちょっとやってみて
うまくいかないことはやめるように
皆と同じことをやるように訓練される。

そんなのが常識で正義になってしまうと
できもしないことを語るのは悪いことだ
みたいな環境ができあがる。

そうなったらあとは簡単。
なにも考えなくても
自動的にチャレンジはしなくなるから。

その割には
他人と同じじゃ嫌だ
みたいなことを言ったりするので
心の奥底には何かあるのでしょうね。
そこには期待したい。

こういうのって
学生の世界だけじゃないですけどね。

チャレンジなんてしなくても
今の世の中、娯楽は沢山あって
暇は潰せるのだろうけど
それは単なる消費活動なわけで
そこから価値は生み出されないし
全く面白くない。

自分のありたい姿を手に入れるために
足りないものを手に入れるところからチャレンジで
トライして失敗して
諦めずに何とか頑張るのが学びでしょう。

行動するためのリソースが揃っていて
労せずに何かをやる
それが学びとは言わせない。
まして夢でもない。

何でこんなに力強く言っちゃうかというと
夢工房の学生達は
なーんにも無いところから始まったからです。

なーんにも無くても
やりたいものはやりたい。

じゃ、どうすんだ?

というところから一所懸命やってみたら
できちゃったわけです。

チャレンジできないってのは
たぶん本人に原因があったわけではないのです。

周囲の環境にこそ原因があるのは間違い無い。

ヘタにチャレンジされてしまうと

心配だったり面倒だったり
チャレンジできない自分が否定されているような気がしたり
いつまでも若年者を侮っていたい自分がいたりと

そんなとこなんじゃないでしょうか。

「おう!それすげぇじゃん!
やれやれ!!」

って言ってみたら
かなり面白い世の中になると思うんですけどね。

でも
チャレンジしたら手放すものは確実に存在するし
失敗もするわけで
それを財産だと思えないなら
言われたことを真面目にやるのが良いでしょう。

そうするとどうなるかはよく分かりませんが。

ノートライ・ノーエラーでノーリスクな
素晴らしい未来が来るといいですね。

…意地悪な言い方だな。