「思い」が大事

「何のために」という「思い」
これはとても重要だと思うのです。

人は理屈では動きません。
根底には「得たい感情」があって
そのために動くのだと言います。

学生がヘマをやらかした時
前に記事にした通り
夢工房ではこうします。

「なんでそうしたの?」
「じゃ、それはなんで?」
と、「なんで?」を繰り返していきます。

すると、コアの部分には
凄くシンプルな理由が出現します。
それを解決すれば
それによる結果は変化するはず。

その「なんで?」の過程にある理由から
コアに出現する理由に向かうに従って
感情にまつわることが占める割合が大きくなったりします。

この「感情」とか「思い」は
何に基づいているかというと
「価値観」ですよね。

価値観が判断の基準になって
快・不快を決めたりしているというのは
誰しも知るところです。

なので
価値観の上書きができると
今まで苦手だったことが苦ではなくなったり
嫌いだったものが好きになったり
そんなことが起きます。

学校の歴史の授業で年号と出来事を暗記したりするけど
それは全く面白くなかったりします。
特に私のように脳ミソのメモリ容量が少ない人間には。

大事なのは「何のためにそれをやったのか?」
ということであって
そこからは、とても大事なことを知ることができます。
そういう大事な部分を教えれば
ちょっとは歴史の授業だって面白くなるでしょうに。

とはいえ、出来事を字面で見ただけでは
思いは伝わらなかったりもしますので
そのための周辺情報を理解するためには
時間や労力が必要。

でも、そういうのを惜しんじゃいけないのでしょうね。
うーん、難しいところです。

あとは
社会のルールだって何かのためにあるのだけど
その思いが伝わらなければ
単にルールを守るだの守らないだのという判断になってしまって
守ったの破ったのと
善悪二元論みたいになるわけで
ルールは守っているのだけど
結局何のためにやってるのか
それが良いのか悪いのかも良く分からないまま
何も変えられないとか
そんなことにもなるのでしょうか。

コンペティションをやっている者にとって
ルールの本意を理解するというのは
実はとても重要なところなのです。

レースなんかの場合は
もちろんゲーム的な要素はあるのですが
安全のため、命を守るためのルールもあるわけで
そこを尊重して、意図(主催者の「思い」)を理解して
マシンの性能のためのアイデアと
バランスを取ったりする必要があるからです。