キツさの正体 の一つ

修行はキツイものです。

ですが、それには目的があって
だからこそその世界に入るわけだし
だからこそ実行するわけですね。

もちろん、自らその世界に入る
というところがポイントだったりしますが。

修行とはいかないまでも
若いうちは勉強
社会に出れば仕事と
何かしらキツいことはあって
キツイからやらない方が良いかというと
決してそんなことはない
そんなことは皆分かっている。

キツさの正体は
今の自分にはできなくて
それを何とかしなければならない
という立ち位置にいるから。

そのギャップを乗り越えれば
その分成長した
ということになるけど
今の自分のままではできないので
そのために
「それができる自分」
に変わらなければならない。

その変化に対する抵抗感こそ
キツさの正体です。
人は変化を嫌うものだから。

行く先に困難が見えた時にどうするか?

新たなキツさに出会うのは
自分が相応のステージに向かうかどうかの分かれ道

「苦労しないように」とか
「失敗しないように」
がゴールにセットされていたら
つまりそれらを避けることが目的なら
それらに対してネガティブな価値観を持つのは当然で
無意識のうちに困難を避けるだろうし
困難を乗り越えるために力を発揮できないでしょう。

困難を乗り越えた先に得るものがゴールにセットされていて
それができる自分への変化を望むのであれば
少なからず困難に対しては
ポジティブな価値観を持てるはず。

好きなことならギャップを乗り越える動機があるわけで
困難を乗り越える自分に変化したいという欲求のために
困難に対するキツさは軽減されるどころか
むしろそれをステータスと捉えることさえできる。

「嫌なこと」をやっていても
それを「好きなこと」に変えていって
ギャップを乗り越える人もいるわけで
考え方とかアプローチは人それぞれなわけだけど

キツイ思い、辛い思いの先には
そういう思いを乗り越えた人にしか
分からないことが待っていて
相応のご褒美があるのは当然のこと。

それが信じられれば頑張れるだろうけど
そういうのって、何ら保証はないし
科学的ですらない。

さらに、そのご褒美がすぐに見えるか?というと
そんなことは無かったりして
そこがまた難しくも面白いところでもあるわけですが。

自分自身、そういうのがうまくできているのか
というと
もちろんそんなことはなくて
まだまだ修行中なわけですが
色々やってみたり周囲を眺めてみれば
大方のロジックは見えてくるわけですよ。
「まぁ、このスジでやってれば間違いないだろうな」
と。

なぜ今回こんなネタにしたかというと
学生を見ていると思うのです。

「苦労しないように」
「失敗しないように」
って育ってきたんだろうなぁ
それじゃ夢は叶わないどころか
夢を持てないだろうなぁ
可能性を持ってるのにもったいないなぁ
って。

まぁこれは
最近に限ったことではないのでしょうけどね。

こういうの、授業じゃ伝えられないので
やっぱり夢工房の連中に伝えることになります。
彼らの燃料とするために。

失敗考

このネタも何度も投稿していますが
継続的なブラッシュアップが必要なシリーズでもあります。
というわけで、行ってみましょう。

失敗は恥ずかしいものだ
この価値観こそが諸悪の根源なのではないか?
なんて思いました。

そもそも失敗は恥ずかしいものだという価値観は
一体どこから来ているのか?

これ、親からですよね。
子供が自ら失敗は恥ずかしいものだなんて思わなくて
恐らく親からの躾けが根底にあるのではないでしょうか。
「恥ずかしいからやめなさい!」
みたいな。

でも、親のせいにしても何も解決しません。
我々の文化の問題なので
もっと元を辿れば祖先まで行ってしまうわけですし
責任なんて追及できません。
不毛なので、そういうのはやめましょう。

何度も言ってますが
失敗を乗り越えることこそが成長なので
最重要なのは失敗しないことではありません。
まして、失敗しないことが成功ではありません。

むしろうまくいかない時は
成功するためにはどうしたら良いかと考えて乗り越える
すなわち成長するチャンスがやってきた
ということなのです。

でも、それには
失敗に対する価値観の上書きが必要で
そのための動機というか
理屈が少々必要でしょう。

まず、失敗したあとに思い悩むのは
無駄なことだと理解することが必要でしょう。

でも、難しいのは
反射的に悩んでしまうことです。
クヨクヨ思い悩むのは
意識的にやっているのではなく
反射で癖で習慣です。

ただ、思い悩むことにもメリットはあります。
それは、やらなくて済むようになること。

思い悩んで
自分に残された最も貴重なリソースである
時間を浪費すれば
自ずと締め切りが迫ってきて
実行不可能になります。

結果として、やらずに済むわけですが
それはすなわち「できない」ってことなので
またまた思い悩むことになって
不健全極まりない。

ネガティブなループにはまる時って
こういう状態だったりしませんか?

過去を思い悩んでもなにも変わりません。
そんなことに「失敗」という名の
貴重な経験を利用するなんて
とてももったいないことなのです。

そういうのは嫌なので何とかしたいと思ったら
何かしらの新しい習慣を手に入れて
価値観の上書きをする必要があります。

ではどうするか?

とてもシンプルなだけに
難しいかもしれません。

失敗という経験を検証・評価して
「次はこうする」
と決めたら
それを元に次のチャレンジのサイクルを回せば良い。
もう「失敗」は用無し。

以上です。

考えるべきは
「次はどうやったら失敗しないで済むだろうか」
ではありません。

「次はどうやったらうまくいくだろうか」
です。

似ているようで全然違います。

失敗しないで済む
は、ネガティブなことが起きないことを願っているだけであって
結果はゼロです。
マイナス側にさえ行かなければ良いわけです。

ポジティブ側を狙っているわけではありませんから
それだけのパワーは必要無いので推進力が小さくて
なかなかうまく行きません。

あと、大事なのはスピード。

考えずに行動するのはどうかと思うけど
考えすぎて時間切れになるのは最悪です。

考えすぎて「やる」時間が無くなってしまったら
結局「できない」ということになるからです。
それに、失敗してもリカバリーができなかったり
そこそこうまくいって
さらにブラッシュアップしたくても
時間が無ければ無理です。

ちょっと考えたらやってみる。
そこで何かしら分かるので
それをヒントに、またやってみる。

こういうのを早いスピードでグルグル回した方が
得るものは多いし
結果としてうまくいきます。

これをやった結果
「もっと考えておけば良かった」
と考えることもあるだろうけど
その経験を元に
次はどれくらい考えるべきかを決めれば良いだけの話です。

とにかく真面目な学生ほど考えすぎて
実行する前に時間切れになるケースが多いので
もったいないことしてるなぁ、と思っています。

逆に、単に「やる」という面倒なことを最小限にしたいがために
考える部分を引き延ばすケースもあって
何やってんだか
という場合もあるんですけどね。

気持ちは良く分かります。
私もそうでしたし
いまだにこういうのは課題だと思ってますから。