過去のリソースを己の力に

我々には何ができるか?

多くは
自分が生まれてから何を学んで、何をしたかで全てが決まる
と思っています。

そうかもしれません。
けど、必ずしもそれが全てでは無いかもしれません。

というのも
他人の実績とか
過去の事例とか
を例に引いて

同じ人間がやったのだから
自分達の先人ができたのだから
自分にもできないはずはない
と思うかどうか
これは結構効いてくると思っています。

というのも
できるかどうか
やるかどうかにかかっていて
それは
できると思えるかどうかが根っこにあります。

最初は「思い」です。
思えるかどうかです。
これが無いと何もスタートしません。

でも、最初の段階では
「まだやっていない状態」なので
実績も何もありません。

その状態で「できると思う」のは
単なる思い込みに過ぎませんが
これが大事だと思います。

そう思えるようになるための
リソースを手に入れましょう。
きっと、そういうものが未知なるチャレンジの助けになるはずです。

色々と見て聞いて触って
「きっとできるはずだ」を支えるパーツを手に入れましょう。

そういう考え方をすると
我々の先人が考え、行ってきたことも
我々のこれからの行いに直結している
と思うことができるのではないでしょうか。

日本は現存する世界最古の国家です。
なので、他に類を見ない長い歴史を
自分達のリソースにすることができます。
我々の歴史を掘り起こして
自らの糧とすることができます。

それは具体的な知識でも良いし
心掛けや行いに関するものでも良い。

自分が生まれてから何を学んで、何をしたかで全てが決まる
なんて思っていたら
世代を重ねても、常にゼロ・スタートで
全く前に進めなくなります。

これは、日本初のF1マシンを開発した佐野彰一先生から頂いたメッセージです。
「理論は経験の省略なり」
理論は先人達が構築してくれた貴重なリソースです。
それを利用すれば、ゼロ・スタートせずとも
自分では経験したことのないレベルの結果を出すことができます。
しかし、何も理論だけでなく
あらゆる先人達の経験を自由に使って良いのです。

教科書や参考書などにある理論は
もちろん先人達の残したリソースですが
何もそれに限らずとも
博物館でも偉人伝でも名言でも、何でも良いのです。
何か製品を手に取れば
そこには膨大な知識と経験が凝縮されています。

インターネットも良いのですが
足を使ったり労力を払ってリアルな体験をすると
必ずそれに見合ったものが得られることも
知っておくと良いと思います。

いつからか我々は、先人達の経験を活かすことを重視しなくなってしまった気がします。
その原因や理由はあるのでしょうけど、そこにフォーカスしても事態は好転しません。
そんな暇があったら歴史を掘り起こして自らの糧としましょう。

漂流記からの気付き 4

漂流記に関する記事で4日も引っ張れるなんて!
でも、本当に重要なヒントが満載だし
冒険記みたいなものなので
単純に面白いというのもあるのです。

さて、「漂流記」と言うからには
災難に端を発しているわけで
そもそも始まりが困難なわけです。
それも生きるか死ぬかというレベルです。

そして、その逆境に負けずに生存したのみならず
普通では為し得ないことを成している。

普通の少年が困難を乗り越え大きく成長していく
実話としてのストーリーが展開しているわけで
この内容は、学生達の面倒を見る上で
大変参考になると思っています。

今回は二人共通する大事な資質
というか価値観についてです。

それは
基本的にポジティブである
ということです。

遭難したときなどは
ネガティブな心に囚われると
早く命を落とすと言います。

なので、ポジティブなマインドが
生き延びるために重要なのはもちろんです。

そして生き延びたあと
初めての外国人
初めての食べ物
初めての外国の町並み、建物、乗り物
などなど

初めてづくしの中で
それらをどう捉えてどう行動していくか
ここでもポジティブなマインドを持っているか否かで
結果は大きく変わってきます。

初めてのもの、分からないものに対して
どう感じるかによって
行動が変わってくるのは当然です。

疑いや恐れをベースとした考えによる行動を取ったら
結果はそれに応じたものになるのは当然です。

とはいうものの
疑いや恐れの感情は
往々にして本能に近いところに根ざしているので
これを変えるというのは難しいことなのかもしれません。

でも、決して変えられないかというと
そんなことは無いと思っています。

自ら望むビジョンを明確化して
それを実現するための価値観と
今まで持っていた古い価値観と置き換える
そんなことができれば
きっと変えることができると思います。

それができるかどうかはその人次第なのでしょうけど
何もしなければ何も起きないだけです。
待っていても、誰にもどうすることもできません。

果たして今のままで良いのかどうかを考えて行動しましょう。

迷ったり先送りしたりすると
チャンスが1日ずつ無くなってくることをお忘れなく。

この漂流記シリーズは今回で最後にしようと思ってこの記事を書いていますが、この後も他の漂流記を読む予定がありますので、その際に何か気付きがあったら続きを書きましょう。

漂流記からの気付き 3

今回はこんなタイトルで江戸期の代表的な漂流者についてのお話をしていますが、日本人は海洋民族でもあるので、恐らくかなり昔から遠くの国に流れ着いた人達が、想像以上に沢山いたのだろうな、と思っています。

さて、万次郎や彦蔵の漂流記からの気付きの続きです。

前回は、最後に
彼らの義理堅さについて触れましたが
義理堅さの根源には
相手から受けた恩を感じられるセンシング能力が必要です。
感じない恩は返すことはできませんから。

もちろんこういうのは、当時は現代と比べて
何をするにも不便で大変で
一人ではできないことばかりだったことに起因しているとは思います。

実は現代でも、一人ではできないことばかりなのは変わらないのですが
それを感じない世の中になっていると思います。
日常生活や労働、福祉など、様々な環境が整備されていると
自分一人では何もできないのだ
ということを忘れがちになるのは仕方ないのかもしれません。

それに、環境を整えるのための仕事は
組織によって定業業務として回っているので
それを受けていても感謝する対象ではない気がしてしまいますし
一体誰に感謝したら良いものやら
という感じでもあります。

なので
恩を感じる機会も感謝をする機会も無かったり
感謝されることもなく淡々と仕事をしたりと
ずいぶんと寂しい
「徳」などという価値観からは
ずいぶんと遠く離れたところで日々を送っている
そんな気さえします。

恩とか義理で世の中が回っていれば
人の存在意義が際立って
今の世で起きている寂しい問題や
おかしな価値観も
いくらかは解決するのかもしれません。

しかし、人の心を軽視して
環境とか境遇とかはお金次第だ
なんて考え始めると

恩とか義理とか徳とか
そういう価値の根源となるもの自体が見落とされがちになって
本来は、それらが数値化されたお金を直接掴みに行こう
みたいな本末転倒なことが起きますよね。

そりゃ恩のセンシング性能も落ちるでしょう。

そうそう
先日、卒業生が良いこと言ってました。

「先生、お金って感謝が形になったものですよね」
と。

ああ、良いこと言うなぁ。と思いましたね。
お金は価値を数値化…なんて味気ない表現よりずっと良いですね。

続く