コンペティションは学生を育てる

技術系を志向する若者の多くは
技術そのものに興味があって
その興味を満たすことがモチベーションの源泉となり
学んだり物を作ったりしています。
それはそうでしょう。

でも多くは
自己の欲求を満足するためであって
外に向かっていない。

学生のうちはそれは当たり前のことだし
それで良いと思います。

技術系に限らず
若い頃ってそんなもんですよね。

でも、大学生ともなると
次は社会人なわけで
「何のために?」が大きく違ってきます。

仕事として技術に関わるなら
それは自分の外
つまり技術を受け取る相手に向いている必要があります。

自分の好きな技術を使って
他のためになることができれば
それはハッピーなことです。

でも、それが理解出来ないまま卒業してしまう
そういうケースは多いと思います。
そのままで仕事しちゃうと
自分も周囲も困っちゃうでしょうね。

というか、もったいないですよ。
理解して頑張れば学生のうちに何とかなるのに。

夢工房の活動は
コンペティションに拘っているわけですが
理由の一つは
コンペティションは自分の外の問題だからです。

ライバルに勝つには
自分の外側でものごとを考える必要があります。

「自分的には」
というのも大事なことですが
自分達のやっていることを客観的に見て
ライバルとの相対的な関係を考えて
「戦える状態」にしないと
コンペティションは楽しめません。

活動に加入した初期段階では
技術に興味を持って
興味を満たして
できる感覚を身に付けていって
徐々に視野を広げて
自分の枠の外側を見られるようになっていきます。

でも、気を抜くと
ついつい元の状態に戻ってしまいます。
習慣による行動は意識しなくても実行されるわけで
分かってもいても意識して行動していなければ
元に戻ります。

そんなふうにジタバタしながら経験を積んでいって
世のお役に立てるエンジニアになっていく
というシナリオです。

そういうことを
チームで継続的にやっていける環境をつくる・持続する
というのも難しいことの一つです。

もちろん教員だけではどうにもならないわけで
学生を含め、関わる皆さんの力を合わせて何とかなっています。

考えようによっては
これが継続できているということは
奇跡的なバランスを取り続けている
ということかもしれません。
ありがたいことです。

情けは人のためならず の新解釈

これは
「人に情けをかけても、その人のためにならないよ」
という誤解をされているというのは
皆さんご存じの通り。

本当は
「人を助けたり親切にしたりすると
巡り巡って自分に返ってくるんだよ」
という意味です。

でもこれ
ちょっと違った解釈ができるのです。

寄付行為とかボランティアなども同じなのですが

人のために何かをやると
(たぶん)相手が喜んでくれる
であれば
(たぶん) それは誰かの役に立っている
ということになる。

その
人のためのことができる
という感覚こそが大事
そんなふうに思っています。

「自分はできる」
と信じられる

つまり
自信を得られる
ということです。

何であれ
一度「できる」という感覚を得てしまえば
それは多くのことに適用出来ます。

お金を寄付するとか
ボランティアをするとか
何か損した気分…というか
少なくとも得はしない
と思いますか?

でも違います。
お金じゃ買えない自信が手に入ります。

これ、金銭欲や物欲を元とする物差ししか持っていないと理解するのは難しいと思います。

こんな話があります
あるストリートミュージシャンの話です。

その人は通りで演奏して
チップをもらって世界中を回っています。
それで旅の費用の一切をまかなっています。
いわゆるバスキングってやつですね。

その人は
演奏をはじめる前に目星を付けた通りを歩いて
他のバスカーやホームレスに一通りチップを渡して
その後に自分の演奏を始めるそうです。

そうすると、なぜか実入りが良い。

最初にこの話を聞いたときは
「おまじないみたいなもんか?」
と思ったのですが
今なら理解出来ます。

まずは人の役に立って
自信を付ける。

歌とか音楽は
その人そのものがダイレクトに現れるアウトプットです。
(ものづくりも一緒ですが)

それを自信を持ってできるかできないかで
もちろん結果は大きく違ってくるでしょう。
そういう話しです。

もっとも
この「できる」という感覚を利用して
我欲に走ってしまったら
元の木阿弥なのでご注意を。

すぐに動かせ

チャレンジする前に
なかなか動き出せない

そんなことありますね。

何でなんでしょうね?

端的に言ってしまうと多くの場合は

やりたい

失敗したくない
のせめぎ合いが原因です。

やりたくない
というのはこの際論外。

この手のネタは
何度書いても色々と思い付いてしまいます。

というのも
学生が壁にぶち当たって
乗り越えられないとき
最も多い原因はこの辺にがあるからです。

でも実は大抵のことは
早期に動いてしまえば
何とかなっちゃうことが多いのですけど
それがなかなかできないから困っちゃうわけです。

さて
これからチャレンジするなら
まだできていないわけで

できていないなら
やればいいだけ
なのですが…

そんな状態を見ながら
「なんでやらないんだろうなー
早くやればいいのになー」
と思います。
彼らの心の中が見えないから
単純にそう思ってしまいます。

「早くやればいいのに」

言うのは簡単ですが
当人にしてみれば

「どうしたら良いか分かるならやってるよ!」

ってとこなのでしょうね。
なので悩んで動けない。

色々と原因はあるでしょうけど
多くのケースは
「どうしたら良いか」
のハードルが高すぎるというか
的(まと)が狭すぎるというか

やり方が全部分からないと
前に進めない
というケースが多いのかなと思います。

最初から最後まで
キッチリ分かって決まって
それで大丈夫ならGO!
ってとこかな。

そこまで行かなくても
とにかくどうしたら良いか分からなくて
一歩も踏み出せない

さらに
どうした良いか分からないこと
それがあること自体が悩みで
もう一体どうしたら良いのやら
そういうケースもあるでしょう。
もうわけ分かりませんね。
そんなこともあるでしょう。

なんでこんなことになっちゃうのか。

冒頭に戻りますが
やりたい

失敗したくない
のせめぎ合いです。

本当にやりたいなら
とにかくやっちゃえば良いんですよ。

その結果は目に見えるようになる。
見えるようにしちゃえば
頭の中にあるより
より明確に評価・判断ができるようになります。

「やる」
の第一歩は
頭の中から出すことです。

例えば
声に出す
これは一番手っ取り早い。

誰かに話せば
その評価ができるようになりますから
先に進めます。

あとは
紙に書く
そうすれば目で見て分かる
第三者にも分かる

書いたものは覚えていなくても良いので
頭の記憶容量の拡張です。

さらに手を加えれば
要素の数を増やしたり減らしたり
関係を変えたり
色々と変化を加えられます。

目に見えるようにすれば
仮にダメでも
何がダメで
どうしたらい良いか
そういったことが分かりやすいので
次にどうしたら良いかが分かる。

そんなの当たり前?
ですよね。

でも、意外と多くの人はやりません。
頭の中だけで考えています。

頭の中で整理が付いたら
頭の中で完成したら

書こう
やろう

って。

頭の中のものって
なかなか整理を付けるの難しいんですよ。

要素が多ければ
それを全部覚えながら
関係を変えたり整理したり…
そんなの難しくてできないんじゃない?

さて
で、頭の中から出してみたら
それを具体的にしてみましょう。
試しにやってみるとか作ってみるとか。

ダメでも良いのです。
その結果によって
次にどうしたら良いか分かるから。

でもね
最も大事なのは…

やることそのもの
だったりするのです。

とにかく
何でも良いからやってみる
それが大事。

なぜかというと
「やる」ということにおいては
初動が最も難しいのです。

これは技術的に
というのもあるかもしれませんが
心の問題です。

心にも物体のような慣性力があります。

止まっているものは動きたくない

そもそも人は変化を嫌います。
なので
勇気を持って動いてしまうこと
これさえできれば
きっと何とかなります。

動いてしまえば
また慣性力を利用出来ます。

動いているものは止まりたがらない

なので、どんどんやっちゃえば良いのです。

たとえ方向性が違っていても
方向を変えるのは
止まっているものを動かすより簡単です。

さあ、勇気を持ってやってみよう!