ストイックで行こう!

突然ですが
私の家にはテレビがありません。
テレビがなくなってから20年以上経ちます。
恐らく30年近くなると思います。

最近はテレビを見ない人も増えていると思います。
情報はネットで掴めるし
映画だって見られますからね。
テレビが無くても不便ではないどころか
むしろネットからの情報の方が面白いかもしれませんね。

私がテレビを見なくなった理由は主に2つあります。

1つは
何らかの意図を込めた情報を一方的に送られて
それに対して無防備に受け止め続けるのに嫌気が差したからです。

例えば
流行に乗るなんてのは
価値の判断を他に委ねて無条件に迎合してしまっている気がして
自分自身で考えたり判断したりする機会を奪われているんだなぁ
なんて思ったのです。

ニュースに関してもしかりです。
単に事実を伝えてくれるのなら良いのでしょうが
全く意図を入れずに番組を作るなんて不可能です。
映像にテロップを入れて
アナウンサーの感情のこもった声色が加えられると
報道内容に対する個人的な判断はできないでしょう。
出来事に対してどんな判断をすべきかは
すでに決められてから発信されている。
そんなことを考えていたらゾッとしてしまいました。

皆がやっているから自分もやる
皆がそう思っているから自分もそう思う
これはどうなんだ!?
と思ったのです。

もう1つは
お笑いやバラエティ番組
いわゆる「面白い番組」が嫌になったことです。

その手の番組の多くは
人の欠点をあげつらい
揚げ足を取り
他と異なることを笑います。
特に差別的と言うほどのレベルではなかったにせよ
これを継続的に見ていると影響を受けてしまって
自分の基準が狂うぞ
と思ったのです。

反射的に他と同じことをやるようになってしまったら
他と違うことができなくなったら
致命的で取り返しが付かない。

見るのをやめて改めて気付きました。
テレビに膨大な時間を奪われていたんだな、と。
なんてもったいないことをしていたんだろうと思いました。

こんな考え方をしていたのは
当時の私がエンジニアで
刺激の多い職場にいて
そこで面白い仕事をしたかったからです。

他と同じことをする
ということに価値は無かったし
何よりそんなことをしたら面白くなりません。

なのでそのために何ができるかを考えて
やってみたのがテレビ断ちです。

その結果がどうなったかは良く分かりません。
それが日常になってしまっていて
今や比べようが無いからです。

でも、人と違うことをやることに対する抵抗感は減った気がします。

これらは私の個人的な考え方なので
みんなテレビ見ちゃダメだ!
なんてことが言いたくてこの記事を書いたのではありません。
見たい人は見れば良いのです。
ネット断ちでも良いのかもしれません。

ただ、なにかしら
どうしても執着したいことがあるなら
どうしても達成したいことがあるなら
不要と思う物を捨てて
ストイックにやるのは正解だと思います。

皆と同じことをしながら
皆と異なる成果を欲しがるなんて
おかしなことです。

こういうことの直接的な効果はともかく
それによって自信が付いたりしますし
何より重要なのは時間が手に入ることです。

時間は、お金を出しても手に入らない貴重なリソースです。
失うのは簡単ですが、絶対に戻ってきません。

後悔しないようににチャレンジしよう!
日々面白くなるように色々工夫してみよう!

面白くなってからチャレンジするなんてことはありえない
チャレンジするから面白くなるんだよ。

「こうしたい」で世界は決まる

考え方や思い
これらが行動に繋がるのは当然のこと。
それが強い思いであるならなおのこと。

そして
行動が何かしらの結果に繋がるのは当然です。
それが大きな努力であるならなおのこと。

なので
望む「結果」に対して「こうしたい」
と思うことで結果が決まる
という言い方もできるかと思います。

もっとも
どの程度の思いかで
結果が大きく変わってくるのは当然ですが。

人生は信じる通りになる
と言う人
世界は思い通りになる
と言う人もいます。
ある意味その通りと言えるでしょう。

でも中には

思っただけで世界が変わったら苦労しない
のようなことを言う人もいます。

精神論じゃ何も変わらない
とか。

こういう人の言うことは聞く必要はありません。
大抵そんなことを言うのは
やらないための言い訳だったり
他人にそれをやられると
自分の無力さや怠惰が露呈してしまうので
足を引っ張っているだけです。

何より
そういったネガティブな主張で
他に影響を与えようとすること自体
何の役にも立っていません。

何もそういう出来事があったので
腹を立ててこの記事を書いているわけではないのです。
周囲にそういう人はあまりいないので。
というわけで
ネガティブ方面はこのくらいにしておきましょう。

大事なのは
「こうしたい」
という思いの強さだという話です。

たった5文字のワードですが
これはビジョンの実現に対する欲求を表しているんですね。

人生は朝起きてから寝るまで
生まれてから死ぬまで
選択の連続です。

それぞれの選択において一々
「こうしたい」
という意思を入れ込んでいけば
それが行動に影響を与えていくので
何事もうまくいくでしょう。

何か勝負に賭けているのなら
「勝つために」
でもいいですね。

一々そんなことを繰り返していけば
徐々に着実に望むゴールに近付くのは当然です。

もう一回言いましょうか

当然です!

それこそ
それによって世界が変わっていくはずです。

自身、まだまだ未熟ではあるのですが
過去の経験からこんなふうに考えています。

結構思った通りになるもんだよ。

多くの人は、途中で「思う」ことをやめてしまうんですよね。
でも、君にはこんなふうに考えてやってみて欲しい。
在学期間の数年なんてあっという間です。
数年後には驚くような結果が待っているはずです。

コミュニケーションの問題

学生のコミュニケーション能力の低下が問題だ
と言われ始めてずいぶん経ちます。

これに対して
ゲームとかネットとか
そういうものが原因だと
そんなことも言われてます。

誰に言われてるかというと
そりゃもう年長者からですよ。

でもね、そんなもんのせいにするな
と言いたいですよ。
ネットだってゲームだって
それ自体作ったのも環境作ったのも年長者じゃん!って。

それに、若年者ばかりがそういう能力が低い
という言い方も問題あると思います。

年長者のコミュニケーション能力だって低下しているのではないでしょうか。
私自身、自覚があります。
「あぁ、低下していますとも!」
と言えるくらい。

「そんなのお前だけだ!」
といわれたら身も蓋もありませんが。

でもね、便利な世の中ってそういうものでしょう?
面倒なコミュニケーション取らなくても
色々できるってことですもんね。

そのトレードオフとしてのコミュニケーション能力の低下
ってことになっているのではないかと思っています。

で、問題は
コミュニケーション能力が低下しているということ自体ではなく
どうやってこれを良くしていくんだい?
ということです。

外発的に「こうせい!」と言ったところで
一時的には何とかなったりするかもしれませんが
本質的には解決しないでしょうね。

やはり、何かしらの内発的な欲求を伴ったことで
変えていけると良いと思うのです。

夢工房の活動でも問題は見えています。

チームで何かやっているとき
同じ仕事をしている仲間が
チームが目指しているゴールから逸れている行動をしているとき
それを指摘できるか?
(それが見えているか、ということも含めて)

これ、彼らにしてみると結構難しいんです。

だって小さい頃から

間違うな
失敗するな
お友達とは仲良く

という要件に従ってやってきたんですから
意見を戦わせて
仲間とぶつかりながら
洗練されていって
ゴールを目指す
なんてのは難しいんでしょうね。

特に学生の場合
基本的な関係が「お友達」ですから
意見がぶつかるとかってのは嫌われちゃいそうで
なかなかできないようですね。

勝つのか!?
仲良くしたいのか!?
と選択に迷うようでは
本当の仲間になんてなれないと思います。

チームで大きな目標に到達するのであれば
そんなこと言ってる場合じゃないんですが
そういう習慣でやってきて
何とかする機会が無かったのだから仕方ない。

…仕方なくない!

子曰く
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

ってありますが
まさにそれです。

これを何とかして
デッカいゴールに到達しましょう!そうしましょう!

これを何とかして
勝利に一歩近付くのだ!

夢工房には
社会に出る前に最近の学生の多くが経験したことがない
人間関係を構築するチャンスがあります。
社会人にとっては当たり前な人間関係ですが
今や多くの大学ではそういう経験をするチャンスが
無くなっているのでしょうね。

我々はやりますよ。