人生山あり谷あり…こんな表現もあるよ

吉田松陰先生曰く

士たるものの尊ぶところは
徳であって才ではなく
行動であって学識でない

かくありたいものです。

何も「才」と「学識」を最小化せよ
なんてことはないけど
重要なのは「徳」や「行動」です。

「徳」を身に付け「行動」が伴っていれば
「才」と「学識」は自ずと身に付く
というか
身に付けざるを得なくなるのではないでしょうか。

でも逆に
「才」と「学識」があれば
「徳」が身に付き「行動」ができるかというと
そんなことはない気がします。

あぁ、徳が欲しい。

実は似たようなことを
孔子もドラッカーも言ってます。
やはり時代が変わっても
本質は変わらないというところなんでしょうね。

そうそう
ドラッカーと言えば
興味深いことを言ってます。

大きな強みを持つ者は
ほとんど常に大きな弱みを持つ。
山あるとことには谷がある。
しかもあらゆる分野で強みを持つ人はいない。

それはそうですよね。
しかしですよ
良くありがちなのが

谷を埋めるために山を削り取っている

どうでしょう
そんなことが起きていませんか?
意外とありがちではないでしょうか。

でもこれは
「どうありたいのか」
によってこれは変わってくるかもしれません。

あらかじめ決められた範囲において
指示されたことを実行する

そんなミッションなら
山を削り取って谷を埋めて
つまり
強みを犠牲にしてでも
弱みをカバーして
いわゆる「そこそこの状態」にしておく
というのは得策なのかもしれません。

しかし、クリエイティブなことをゴールとするなら
これはちょっと危険なやり方でしょうね。

なので、高い山をつくろうとしている学生をサポートしたい。
でも
ついつい彼らの「谷」を見てしまって
埋めさせたくなっちゃったりするのには要注意。

中には埋めるべき谷もありますが
埋める必要がない谷との判別が重要です。

でも、結局、谷を埋めるも放置するも
それは本人次第なのですし
谷なんか見ている暇があったら
山を高くする努力をして欲しいところではあります。

とはいえ
山があまりに高くなる反面
谷が果てしなく大きく深かったりすると
卒業できない可能性があるので気をつけないとね!

学生の評価方法変えたらどうなの

学校の成績が記された成績表を
「通知表」と呼ぶのは
小学校から高校までですかね。

こいつの役割は何でしょうか。
何を誰に通知するの?

保護者に成績を通知するためですよね。
「お宅のお子さんの勉強の具合はこうですよ」
と。
お受験のためでもあるかな。
推薦入試にも使われますものね。

大学での成績表は?

もちろん保護者へ、というのはあるかな。
気にする保護者も多いかもしれませんね。

成績表が就職に影響する?
そういう企業もあるかもしれませんが
最近ではかなり減っているはずです。

もちろん大学は勉強するためにあるのですから
学業成績がどうかというのは重要でしょう。
なので
それが定量化されて明確化されるのは当然かもしれません。

しかし
何のために?
何の役に立つのでしょう?

大学を終えると社会に出るので
どれだけ人の役に立てそうか
という期待値が重要なんだと思います。
(あくまでも期待値です
実際にどうか?
というのはやってみないと分かりませんから)

かなり乱暴なことを承知で言わせてもらいますが
学業成績でその学生の期待値を表すのは無理があると思います。

以前紹介しましたが
稲盛和夫さんがお考えになった
人生成功の方程式が参考になります。

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

学業成績は、この中の「能力」を構成する「一部」です。
もちろん
このパラメータが大きければ結果は大きくなります。

しかしですよ
「考え方」と「熱意」はどうするのか。
あまりになおざりになっていないか。
これらのいずれかがゼロなら
能力が100でも結果はゼロです。
なので
これらを最大化するのも勝負の方法の一つでしょう。

というか
彼らが将来やり甲斐を持って仕事をするために
本当に必要なものを掴めるチャンスをあげないと
誰もハッピーになりませんよ。

メンタルタフネスやチームワークなんてのは当たり前で
主体性とかチャレンジ精神とか…
経団連のアンケートが全てとは言わないけれど
社会が本当に切望している人材を育成するために
もっと本気で取り組む必要があります。

しかも
時代が大きく変わろうとしているならなおさらです。

彼らを
言われたことを嫌々やる奴隷
のような社会人にはしたくないし
そんな人材は誰も必要としないでしょう。

これまた乱暴なことを言いますが
偏差値トップクラスの大学でないなら
戦略的に「考え方」と「熱意」を最大化するべきです。
彼らはそれだけのポテンシャルを持っているはず。

…というのは
今までの夢工房で頑張ってきた連中の
パフォーマンスを見てきたから
よーく分かります。

さて
「じゃぁ偉そうに色々言ってきたけど
どんな評価にしたら良いのか言ってみろ!」
と言われると困っちゃいますね。

でもぶっちゃけ

なくてもいいんじゃないの

と思います。
頑張ったりサボったり
その結果は本人が一生背負っていくんですから。

一番大事なのは
本人が何を得られるか
何をなしたか
です。

理工系の大学であれば
成果は就活に使えば良いのです。
「自分はこう考えて、これをつくったら、こうなった」
その証拠を見せれば良いのではないでしょうか。

まさに
技術は人なり

技術を見れば人となりが分かるでしょう。
企業側がそれを見抜けないとしたら
文句を言う筋合いではありません。

さぁ、こういうやり方はいかがでしょうか。

今年は試される

ずいぶん長いことコロナ禍続いていて
皆さん参ったと思います。

夢工房も色々大変でした。

何せ「つくってナンボ」なのに
物に触れないのですから。

でも可能な範囲でジタバタやってきました。
色々やり方も変えました。

おかげで多くが高いモチベーションを保って
頑張ることができました。

意外なことに
オンライン環境下でも
彼らは結構な成長を見せてくれました。
特にマインドの面で。
これは正直なところ想定外でした。

今年はその成果が試される年です。

どういうことかというと
100%コロナ禍の環境を通り抜けてきた4年生の就職活動と
コロナ禍の中で入学してきた1年生、2年生を含めた
開発の成果が形になる年だからです。

4年生に関して言えば
果たしてこの期間でどれだけ
精神的に
技術的に
成長することができたのか
それが企業から必要とされるのか。
これは大変興味深いところです。

そしてメンバー達は
このような環境で
どんなマシンに
どんなチームに
することができたのか
それを大会で試されます。
大会が開催されればね!

当チームが狙っているオーストラリア大会は
12月の開催なので
ひょっとするとコロナは終息してるかも!

昨年は全ての大会が中止でした。
(正確には、マシンを走らせるイベントは中止)
なので
ひょっとするとオーストラリア大会が
コロナ明け初のイベントになるかもしれません。

まだまだ思い通りに動けない部分もありますが
条件は皆同じです。
この結果によって
我々のたどってきたやり方と
その方向性がどうだったのかが見えます。

最近では
スポンサーさんにお願いしている部品が仕上がってきたり
さらに新しいメンバーが加入したり
色々と勢いづいてます。

さて
どこまで行けるかお楽しみ!