証拠あんのか? さぁね、やってみなけりゃわかんないね

子供の頃、友達が何か言うと
「ホントか、それ? しょーこは?しょーこは??」
そんなこと言いませんでしたか?

大学って、いわゆるアカデミックな組織なのですが、やはり言いますね。
「エビデンスは?」

はっきり言わせてもらいますが、嫌いなんですよ。そういうの。
必要性や重要性は分かるんですけどね。

ちなみに、「アカデミック」を辞書で引くと…
学究的という本来の意味はもちろん、「非実際的…」とか、「権威をかさに着て格式ばった理屈をこねる…」のような解説も見受けられます。
うんうん、その気持ちは良く分かるぞ。

そうそう、なんで「しょーこは?」とか「エビデンスは?」とかが嫌いなのか。

だってね、証拠があることしかできなかったら、チャレンジなんてできないでしょう。

「そんなのやらなくたって分かるよ」
というようなことに付き合うより
「そんなのやってみないと分かんないだろ」
の方が面白いですから。

「見える化」とは言うけれど

開発とかやっていれば、お馴染みのワードですが、学生にはあまり馴染みがないでしょうか。学校ではほとんど聞きません。
だって学校では、答えだけ見えれば良くて、それで正解とか不正解とかやりますものね。

「見える化」ってのは、最終的なものでは無く、過程にあるものを見えるようにするってことです。

そんなわけで、学生はプロセスとか現状を見えるようにアウトプットすることには慣れていません。
ペーパーテストの解答を出すのには必死になりますが、自分や組織が抱える問題を解決する術を持ちません。

そもそも明確な最終アウトプットが出る前のプロセスってのは、曖昧だったり、迷走したりしているわけで、そういう状態は学校では点数にカウントされません。
学生からしてみたら、そんなものは点数にもならないし面倒なので、できればアウトプットしたくないってなもんじゃないでしょうか。

でも、プロセスを見えるようにしなければ、本人だって整理が付かないし、周囲からアドバイスだってできません。
なので、とても大事なことなのです。

頭の中のイメージは抽象的で、実に不明瞭です。それを明確なものだと思い込んでいる場合が多かったりするし、そもそも頭の中で多くのアイデアを比較したり、順番を組み立てたり、優先順位を付けたり、そういったことは難しいでしょう。
なので、それを見えるようにしましょうよ。ということです。
見えるようにしちゃえば、簡単に整理が付いたり、順番や構成を変えたり、そんなことも容易になります。

それに、頭の中で処理できることには限度があるので、それを目に見えるようにアウトプットしてしまえば、それは頭の中にキープしておく必要が無くてスペースが空くから、次のことができるよね、ということでもあります。

あとはこういうこともあります。
頭の中だけで処理して、正解だけをアウトプットする癖が身に付いていると、そもそも多くのアイデアを比較することができないので、自ずと狭く浅い選択肢で何とかしようとします。
なので、良いアイデアを出すことが難しくなります。

というか、良かろうが何だろうが、できるだけ少ない手間でできるもの、いわゆる安直な手段で何とかなりそうなものしか選択できない…と言ったら言いすぎでしょうか。
でもたぶん、そういう傾向になります。

私はそもそも頭の記憶容量が大きい方でもなく、書くことも苦手だったのですが、「見える化」というワードのお陰で、その重要性に気付いてずいぶん助かりました。

思ったことを書くってのは、もちろんそれなりに労力を要するのですが、頭の中だけで何とかしようとして、ダサイものを作り続けて成果が上がらない方が、よほど労力が要ると思いませんか。何よりそんなんじゃ面白くならないのですよ。

失敗しないことが最優先なら、それこそが失敗だ

失敗についてどう考えるか?
これ、やはり大問題だと思うのです。

何度も言っている通り、いわゆる「失敗」は、本質的にはネガティブではなく、重要な経験の一つだと思っています。

一般的には
やってみたけど、思い通りにならなかった
これを「失敗」と呼びますね。

でもこれ、見方を変えると
こんな風にやってみたら、こういう結果が出た
ということを経験したのですよね。
新しい何かを知ったのではないですか?
じゃぁ、良かったじゃないですか。決して皮肉ではないですよ。

「失敗」をどう捉えるかというのは、つまり価値観の問題ってことなのですが、それによって、得られる成果が大きく違ってきます。

NASAでは、ミッションの後にデブリーフィングと呼ばれる報告会をするそうです。興味深いのは、書籍などで見る限り、このデブリーフィングでは「失敗」というワードが見当たらないのです。

NASAは失敗しないということではありません。
いわゆる「失敗」に対して、「今回の経験から学んだこと、知ったことは何か?」という捉え方をしているようです。

それに気付いたとき、さすがだなぁ、と思いました。
いわゆる失敗をネガティブな経験としてカウントしてしまったら、それを隠したくもなりますし、その経験を有効に再利用するのは難しくなります。
そして、失敗による恐れを避けるための行動を取るようになる。ゴールがすり替わっちゃうのです。

逆に経験の一つとしてカウントすれば、共有も苦になりませんし、後の行動にも利用できます。

失敗しないことが成功ではありません。
設定したゴールに到達することが成功です。
その過程では、多少想定外のことが起きようが、欲しいゴールが手に入れば良いのです。

未経験のことにチャレンジして、思い通りにいかないとか、想定外のことが起きるなんてことは当たり前でしょう。
むしろそれ、新発見なのではないですか?