教え方って難しい

教え方って難しいです。

知識とか技術を教えたところで
それだけでは十分ではありません。

そもそも本人達が本気で何かを掴もうとしないと
大事なことは頭や心に入っていかないのですよね。
まぁ、つまり心の問題なのですが。

これ、外部からではいじれませんから
そこが最も難しい。

どうすれば良いかなんて答えは無いので
理屈でなんとかできるものでもありません。

理屈で学生達がやる気になって
うまく行くなら
彼らはみんな東大に行ってますよ。

でも、そうはなっていない。
何で?

心の問題だからです。

子供に
「勉強しなさい!」
「宿題やりなさい!」
と言っても、なかなかやりませんよね。

みんな経験あると思います。
もちろん言われる方で。

で、どう感じたか?

やる気が起きなかった。

渋々やって、手に入れたそれらを
最大限に活用して
何か凄いことができたかな?
というと
大抵そんなことにはなっていません。

だって、やりたくなかったんだから。
嫌なことを活用するなんて
そんなの無理でしょう。

もちろん中には
言われるまでもなくやる人や
言われたら素直にやる人もいるでしょうけどね。

そうそう
「やれ!」
って言われてもやりたくないんですよ。
心が動かない。

逆に、心が動いて
自ら掴みに行けるものや
継続できるもの
没頭できるもの
そういうのがあれば能力は伸びていきます。

その成果が人の心を動かせるほどのものになれば
それは価値を生み出しているということになります。

「そんなんで将来食っていけるのか?」
と思われるかもしれませんが
答えは簡単で
我々は心を動かされるものに対して
対価を払っているのですから大丈夫。

理論や数値に対してお金を払っているわけではありません。

例えば、凄い馬力の車があって
カーマニアが長期ローンを組んでまで
買ったりするとき

あれは、馬力という数字にお金を払っているのでは無く
凄い馬力を実現した
心を動かすエンジニアリングにお金を払っているのです。

似たようなボールペンが沢山並んでいる中から
1本を選んで買うときだって同じです。

いくら値段が安くても
「成立してるから良いじゃん」
みたいな製品は
価値を感じてもらえません。

なので、逆算していくと

お客さんの心を動かす製品を作れるエンジニア
になるには

言われたことをやるだけではなく
熱い心で大事なものを自ら掴みに行ったり
実現したりできるようになる必要があります。

そのためには
熱くなれることにチャレンジする経験が必要なわけで

そのための機会や環境を手に入れる必要があります。

幸いにして
大学は、ある程度方向性が定まっている者が集まっていて
その中でも
ものづくりでチャレンジしたい
という者が集まっている夢工房は
恵まれていると思います。

とはいえ、ただ人がいたり
物があるだけでは何かが起きるわけで無し
「やれ!」と言っても自発的なチャレンジになるわけで無し

どうしたら良いのかなー?
と常々考えています。

やはり環境を作る
空気感を作る
ってのが最も大事なんでしょうね。

まぁ、そんなこんなで
ウチの学生達は
夏休みは1日も休まずに
高いモチベーションを保ち続けて
好きなことを一所懸命やり続けてます。

やはり主体性を持っていると成長が違います。
「本気で自分から掴みに生きたい」
と思うようになるところまでは個人差がありますけど
そうなってしまえば後は早い。
そうなれば、ますます面白くなるし。

そんな感じで
気付けば20年も学生に付き合ってきましたが
毎年やり方は違います。
やはり答えなんか無いということです。

鉄は熱いうちに打て!

言われたことをやったりして
受け止めているだけでは
できるようにはならないよ
と言うお話しです。

ビギナーのトレーニングとして
言われたことをやる
というプロセスは大事なのですが
なかなかその先に繋がっていかなかったりもします。

古来日本では
職人の技術継承のプロセスは
守・破・離 (す・は・り とか しゅ・は・り)
と言われてきました。

「守」は、師匠にやっている通りにやる
「破」は、受け継いだやり方に、オリジナリティを加えて、ちょっと変えてみる
「離」は、自分の独自のものに移行する

こんな感じです。

昔の職人さんは
「技は見て盗め」
なので、お師匠様はあまり教えてくれず
弟子は「見よう見まね」でやったのですね。

これは結構厳しいです。
同じようにやっているつもりなのに
同じようにならない。
どうしたら良いか分からない時期が続くでしょう。

その時点で、頑張ったらどうにかなりそうか
ある程度の判断が付くので
見込みがなかったら進路変更となるでしょうね。
本当にやりたいと思っていなければ続きません。

見よう見まねと言っても
考えなければできません。
できるようになるためには工夫が必要です。
効率は悪いかもしれませんが
良い職人が育つやり方だと思います。

これ、現代なら
「言われた通りにやる」
ってのをビギナーのファーストステップにすると思います。

「見よう見まねでやる 」

「言われた通りにやる」
似ているようで大分違います。

「言われた通りにやる」
という場合は
あまり考えなくても良いのです。
工夫も必要ありません。

自分で考えて、やる
というのは
言われたことを、やる
の先にあって
シームレスに繋がっているような気がしますが
そうでもありません。

考えずにやっていると
その先のオリジナリティを加える
「破」の段階に繋がらないのです。

もっと良い物を作ろう
と思うと
今の自分が持っていないもの
が必要になります。

今の自分が持っている知識や情報だけでやったら
今と同じものしかできませんから。

これ、当たり前なことなんですが
学校で勉強していると
今まで学んだ基礎艇な知識を使って応用
ってなことをやるので
すでに知ってることで良いものを作ろう!
なんてことをしちゃうんです。

なので、本当は
色々調べたり、考えたり、試したり
ということをする必要があるのですが
言われたことしかしていないと
自発的に 調べたり、考えたり、試したり
その辺が上手にできません。

というわけで
言われたことをキッチリやるからといっても
その先のプロセスができるかというと
そうでもないのです。

マジメで勉強ができるコが
仕事ができるとは限らないってのは
この辺でしょうね。

では、逆はどうなのでしょう?

言われたことはキッチリできないけど
オリジナリティあふれたもの
良いものが作れるのか?

できる!
と断言はできませんが
やり方によっては何とかなる場合が多いです。

前提としては
本人が
「どうしてもやりたい!」
と思っていることです。

基本的な知識も無い人間が
高いレベルのチャレンジをしようとすると
「お前、基本的なことも知らないのにできるわけないだろ」
なんて言われることが多いと思いますが
それ、あまり正しくないです。
「できるわけない」
は、明らかに余計です。

それが本当なら
ビギナーはエキスパートになれない
という理屈になってしまいます。
どうせビギナーは基本的なことも知りませんので。

そういうのを鵜呑みにして
夢の実現を先送りにして
基本的なことを片っ端からやっていくと
時間も情熱も使い果たしてしまいます。
出口の無いトンネルを全力疾走して
途中で心が折れます。

どうしてもやりたいなら
何とかすれば良いだけの話です。
基本的な知識が無ければ手に入れれば良い。
鉄は熱いうちに打て!
です。

これが嘘なら
学生がレーシングカーや惑星探査機を
作ったりなんてできないでしょう?

夢を持てたり持てなかったり

夢があるのか?
それを実現する気があるのか?

夢工房の面倒を見ている身としては
大変興味深いところです。

私の手元にいる学生達の多くは
大なり小なり夢があるようです。
どちらかというと大きい夢が多いかな。
結構なことです。

彼らは、夢を叶えるために
色々考えたり、やったりしているわけなので
毎日ヒーヒー言いながらも
それなりにハッピーなのですが

このご時世、夢を持てなかったり
行動できなかったりする学生は多いようです。

これ、何でなんでしょうね?
というのが今回のお話しです。

この夢ですが
端的に言ってしまうと
将来の希望などですよね。

で、これは
往々にして抽象度が高いビジョンで
ぼんやりしてる、不明確なことです。
それで良いのです。
上位の概念だから当たり前です。

で す が

この、ぼんやりしていて不明確な状態に対して
「良くない」ものだと捉えてしまう 場合があるようです。
「はっきりしていないからダメだ」
と。

そんな風に考えてしまったら  
何も始められません。

いきなり明確なものを思い付かなきゃダメ
ってことになってしまいます。
そんなの無理ですよ。

この状態にあると
「夢はありません」
と言ったりすることがあるようです。

夢に対するアプローチも
ぼんやりしているものに対して
いきなり具体的な特定の手段を
繋げようとしたりする場合があります。

ぼんやりしている上位概念を実現するのであれば
目的や戦略を考えたりして
徐々に明確化していって
最下層の手段にたどり着かないと
どうにもならんと思います。

ちなみに
手段は最下層ですよ。
超現実的ですから。

もちろん、この過程においては
考えてるだけじゃどうにもならなくて
何かやってみて初めて分かることも多いはずです。

それをいきなり最小限の手数で
特定の手段に結びつけようとしたりするので
手段と目的が入れ替わっちゃったり
することも多いと思います。

乱暴な言い方をするなら
手段なんて何でも良いのですが
手段と目的が入れ替わっちゃうと
理由もなく、やり方に固執することになるわけで
そうなると何かと難しくなります。

すでにこの時点で
「何のために?」
なんてどこかに行っちゃっています。

でも、正直なところ
仕方ないと思います。

だって、学校では明確な課題を提示されて
決められた手段で解く
そういうことしか経験できませんから。
それが習慣化するのも当然です。

というわけで
夢工房の学生達は
抽象度の高いぼんやりした目標を立てて
それを実現する
そんなチャレンジを年がら年中やってます。

もちろん、今までの習慣から脱して
考え方を変えるなんて簡単ではないですけどね。

でも、これが習慣になって
楽しめるようになってしまえば強いです。

抽象的なものを明確化するプロセスを
楽しめるようになるってことですね。

ものづくりってそういうものだと思いますけどね。