良い子のロジック 悪い子のロジック

学生を観察していると
色々分かるわけですが
今日の発見。

結構高いモチベーションを保っている
明るくて現張るタイプの学生が
何で斬新なことができないのか
何で同じことを繰り返しちゃうのか
(この場合は、もちろん繰り返すべきでないことです
同じ失敗を繰り返すと言ったようなことです)

この辺が分かりました。
というか、ロジックが見えました。

彼らはいわゆる良い子です。嫌みではなく。
明るくて人当たりも良い。
元気もあるし
恐らく勉強だってボチボチできるのではないかな。

問題は
「良い子」だということです。

何と!
「良い子」なのが問題!?

「良い子」って何でしょうね。

一般的には、評価者(学校の先生や親)
にとっての「良い子」です。

つまり、学校とか家庭での物差しで
レベルが高い
ということでしょう。

問題を起こさないとか
言われたことをちゃんとやるとか
頑張り屋さんだったり
その辺が評価内容でしょう。

ここで何が起きているかというと
良い子は、評価者を安心させるために行動して
良い評価を得ることによって自身が安心したいわけですよ。

欲求が「安心」であれば
そのための行動をします。
そうやって生活してきたなら
それは無意識に発動します。

この、家庭とか学校で褒められるための「物差し」に従って
自動的に行動してしまうから
その物差しに適合するように無意識で動いてしまうから
うまくいかんのです。

目の前のこと、手元のとことだけに集中して
周囲なんて見渡しちゃダメ。
今やっていることが終わるまで
先のことなんて見ちゃダメで
そういうのは集中力が足りないとか
余計なことをしているとか言われちゃう。
言われてもいないことをやるなんて論外!

真面目に言われたことに集中していれば
学校では褒められます。
安心ですから。
それがゴールです。

視野を広く持って
先のことまで考えながら
言われてもいないことをやる
これはダメな子。

キョロキョロしながら
今やっていることも終わっていないのに
「次は何?次は?次は?」
なんて言いながら
言われてもいないことをやり始める子供は
学校や家庭では、大抵は怒られますよね。
目に浮かぶようだ。

レーシングカーを設計していたりすると良く分かりますよ。

速く走ることが命題であるレーシングカーは
可能な限り軽くしたい。

構成する、あらゆる部品は力を受けるので
使用する環境において掛かる力を想定して
軽量でありながら壊れないような設計をします。

でも、使用中にイレギュラーなことも起きたりするので
ちょっと余裕を持った設計にしておくのです。

この余裕を「安全率」と言います。
この値が性能のカギだと言っても良いと思います。

この安全率が「1」だと
余裕がゼロということで
想定を超える力が掛かると壊れます。
が、部品は最も軽くなりますので
高性能と言えます。

もちろん安全率が大きくなると
想定を超える力が掛かっても
壊れにくいのですが
重くなって性能は低下します。

こういう矛盾を高い次元でバランスさせる
(と言えば聞こえは良いですが妥協とも言います)
のがレーシングカーの設計です。
こういうのは人の本質が出ます。

良い子は無意識に安全率を大きく取りたがります。
安心したいから

悪い子は最初からギリギリを狙ってきます。
勝ちたいから

多くの人は言います。

「まずはちゃんと動くものにしてから性能を上げなさい!」

でも無理です。

安心なものを設計して
ちゃんと動くことを確認してから
安全ではない方向に変えていくことなんて
言うほど簡単じゃありませんし
果てしなく時間が掛かります。

安心を求める心が邪魔をします。
「これで良いじゃないか」と。
楽をしたい心が邪魔をします
「この辺にしとけよ」と。

他にもありますよ。

良い子はレギュレーション(規則書)の隙を突いて
性能を上げるようなことはできません。

言われたことをやる彼らにとっては
「それは卑怯なこと」で「悪いことだ」
という先入観があるからです。
なので、彼らにはルールの隙間は見えません。
書いてある条文しか見えない。

他人と同じ土俵で戦わないと卑怯だ
とも思っているでしょうね。

レーシングカーは
「禁止されていないなら何やっても良いじゃん!」
で性能を上げます。
アイデア勝負です。

「言われたこと」は斬新ではないので
それをやっても創造性は育まれないし
そのやり方で、どんなにハードにプッシュしても
良い成果は得られません。

「良い子」ってのは、家庭とか学校の物差しでの評価あって
そんなの社会に出たら通用すんの?誰か喜ぶの?
と思っちゃいます。

まぁ、それで良い世界もあるのかもしれませんが。

そもそも彼らが欲しいのは
「安心」ではなく「喜び」でしょう。
その辺は勘違いしちゃいけませんね。

なので
目的を達成したい
欲しいものは欲しい
そういう彼らには
「キミら、こうなってるよ」
とロジックを説明して
日々の成長を楽しんでます。

悪い先生ですみませんね。

注意:
何も考えずに、むやみに安全率を低くするのは危険です。
設計時に、どこを壊すか、壊れたときにどうなるようにするかを考えておき、安全確保をしましょう。
できれば、前もって実走行で各部の負荷を計測しておき、その値を元に設計できると良いですね。そういうことをやるなら、安全率の高いマシンが最初に必要になるという考え方もあるかもしれません。

悩んだらどうする?

夢工房は
考えて実行するところなので
もちろん彼らも悩むことがあります。

誰しも悩むことがありますね。

理由はそれぞれです。

この場合の「悩む」は
「一人で悩む」
という状態を言ってます。

そんな時
何を考えているのでしょう。

具体的に何かというのは
これまたそれぞれなのですが
結局は
どうしたら良いか分からない
ってことで考えている状態ですよね。

そしてそれは多くの場合
自分以外の「人」が関わること
がほとんどではないでしょうか?
人が関わらないことでは
行き詰まるほど悩むことはあまりないのでは?

何のために悩むの?

それは「答え」が欲しいから。

こういう時
多くの場合は
長い時間を要します。

なぜかというと
自分の中に答えが無いから
です。

自分の過去の経験という器の中に
答えが無いのです。
で、問題に対してどうしたら良いか分からない。

問題に対して
「それにマッチした答えを出さなきゃ」
なんて考えれば考えるほど
ハマっていくのではないでしょうか。

だって答えが無いから。

はい。
考えても仕方ないんです。
答え無いから。

では、どうするか?

選択肢は2つしかありません。

  • 考える
  • やる

もう十分考えて答えが出ないので
前者は選べません。
では、後者ですね。
「やる」

じゃ、何やるの?

今までと「違う」ことです。
それをやったら何か見えますから
まずはやってみて
それから考えてみましょう。
で、また
やりましょう。

さて、ここで
なぜ「悩む状態」に
はまってしまったかを考えてみましょう。

これは夢工房で多いケースですが
参考になると思います。

自分が、あるやり方で、あることをやっていた。
(大抵は、自分で考えて、他に対して発するためのこと)
その時に

自分の置かれた状況や環境に対して(求められていることに対して)
やり方や考え方を最適化しようとしていたか?

自分が一方的に受け止めるだけでなく
他に対してアウトプットを十分していたか?

この辺が鍵になってくる場合が多いですね。

もうちょっと分かりやすく表現すると

黙って
言われたことを
今まで通りのやり方や考え方でやろうとすると
行き詰まることが多い

ということです。

特に、ビギナーの場合
価値観を更新していかないと
新しいことはできません。

もっと簡単に表現しましょう。

成長するってことは
変わるってことです。
今までと同じでは
成長したとは言いません。

なので
考え方や、やり方を変えない
自分の過去の経験という器の中に答えを探して
それで何とかしようとしている状態では
成長しないということです。

悩んで行き詰まるということは
成長を要する次のステージの問題
という壁にぶつかった
ということです。

ということは、その時こそ
今までと違うことをやらないといけない
のですね。

神様に
「お前、次の段階に進むときだぞ」
と言われたようなものです。

それ、チャンスなんじゃないの?

「普通」を捨てれば手に入るもの

人と同じことをやっていながら
違う成果が欲しいって無理だよね
というようなことを何度か記事にしていますが
大学生はもちろん
若者にとっては難しいことです。

たぶん、若者じゃなくても難しいことですが(笑)

夢工房に集まってくる学生達は
立派なエンジニアになりたい
と思っている者ばかりです。
希望するジャンルは様々ですけど。

まぁつまり
希望する分野で成功したい
ってことですね。

そうなるためには
色々と必要なものがあります。

知識や経験や勘どころ
それらを駆動する熱意やチームワーク

学生のうちに
可能な限り高いレベルでそれらを手に入れたい
そう思っています。

でも若い者だから
色々と障害があります。

車が好きなら車が欲しかったり
それがバイクだったり
そのためにバイトしたいなー
手に入れたら
もっとしょっちゅう乗っていたいなー
とか。

でも、そっちに軸足を置き始めたら
それはただの車好きやバイク好きです。

彼らが本当に欲しいものを手に入れるための
リソースを消費してしまいます。
時間とか熱意ですね。お金も。

なので優先順位が低いものを諦めます。
いわゆる
ストイックになる
ってことですね。

いわゆる「普通」の学生がやっていることや
持っているもの
そういうものを切り捨てていきます。

こんな風に
「諦める」
という側面から表現すると
何かネガティブな感じがしないでもありませんが
自分が重要だと思うものに対して
注力しているということですね。
こうして「普通」ではなくなっていきます。

それで
本当に欲しいものが手に入るならいいじゃん!
「普通」じゃなければ
「普通じゃないもの」が手に入るのは当然です。

私は日々、そんな学生達を見ているので
それが普通になってしまっていて
ちょっと基準がずれているかな?
と思うこともあります。

でも、たまに冷静になって彼らを見ていると
「凄いことやってるな」
と思います。

だって、普通の学生生活で
自分達の思いを遂げるために
部品を設計して、作って
車にして走らせる。
まして、それを海外に持って行って競う
そんな経験できませんよ。

そんな彼らは休み返上で
ずーっと、こんなことをやってます。

最近はコロナの感染拡大のせいで
色々と制限が多いのですが
それでも工夫して出来る限り頑張っています。
早く「天井」を外してあげたいものです。

本当にやりたいと思ってなければ
こんなの無理でしょう。
恐らく、私が圧力を掛けて
「休むな!」
と言ったところで
せいぜい続いて2~3ヶ月が限度じゃないかな。

そんなことをやっている彼らは
もちろん凄い勢いで成長します。
本人達は自覚がないことが多いですし
満足がいってないことがほとんどですが。

彼らが手に入れる知識や経験は
もちろん貴重なのですが
何より重要なのは自分の意思で
いわゆる「普通」じゃない道を
選べるようになっていることです。
私はそう思ってます。

工科系の学生といえども
多くは、自分の意思を入れた部品の設計すら
満足にしないまま卒業するでしょう。

普通じゃなきゃいけない
というような同調圧力は確かにあるでしょうし
「普通」を望む学生も多い。

もちろん、そんな者もいて良いのですが
それをたやすく捨てられる者も必要です。

今やレーシングカーを作って
毎回海外大会に出ている大学は
本学のみになってしまいましたが
日本の大会には90チームもの参加があります。
詳細な参加人数は分かりませんが
仮に1チーム15名とすると
全部で1,350人ですね。
実数はもっと多いのではないかな。
凄い凄い!
みんな頑張ってるな。