夢があるのか?
それを実現する気があるのか?
夢工房の面倒を見ている身としては
大変興味深いところです。
私の手元にいる学生達の多くは
大なり小なり夢があるようです。
どちらかというと大きい夢が多いかな。
結構なことです。
彼らは、夢を叶えるために
色々考えたり、やったりしているわけなので
毎日ヒーヒー言いながらも
それなりにハッピーなのですが
このご時世、夢を持てなかったり
行動できなかったりする学生は多いようです。
これ、何でなんでしょうね?
というのが今回のお話しです。
この夢ですが
端的に言ってしまうと
将来の希望などですよね。
で、これは
往々にして抽象度が高いビジョンで
ぼんやりしてる、不明確なことです。
それで良いのです。
上位の概念だから当たり前です。
で す が
この、ぼんやりしていて不明確な状態に対して
「良くない」ものだと捉えてしまう 場合があるようです。
「はっきりしていないからダメだ」
と。
そんな風に考えてしまったら
何も始められません。
いきなり明確なものを思い付かなきゃダメ
ってことになってしまいます。
そんなの無理ですよ。
この状態にあると
「夢はありません」
と言ったりすることがあるようです。
夢に対するアプローチも
ぼんやりしているものに対して
いきなり具体的な特定の手段を
繋げようとしたりする場合があります。
ぼんやりしている上位概念を実現するのであれば
目的や戦略を考えたりして
徐々に明確化していって
最下層の手段にたどり着かないと
どうにもならんと思います。
ちなみに
手段は最下層ですよ。
超現実的ですから。
もちろん、この過程においては
考えてるだけじゃどうにもならなくて
何かやってみて初めて分かることも多いはずです。
それをいきなり最小限の手数で
特定の手段に結びつけようとしたりするので
手段と目的が入れ替わっちゃったり
することも多いと思います。
乱暴な言い方をするなら
手段なんて何でも良いのですが
手段と目的が入れ替わっちゃうと
理由もなく、やり方に固執することになるわけで
そうなると何かと難しくなります。
すでにこの時点で
「何のために?」
なんてどこかに行っちゃっています。
でも、正直なところ
仕方ないと思います。
だって、学校では明確な課題を提示されて
決められた手段で解く
そういうことしか経験できませんから。
それが習慣化するのも当然です。
というわけで
夢工房の学生達は
抽象度の高いぼんやりした目標を立てて
それを実現する
そんなチャレンジを年がら年中やってます。
もちろん、今までの習慣から脱して
考え方を変えるなんて簡単ではないですけどね。
でも、これが習慣になって
楽しめるようになってしまえば強いです。
抽象的なものを明確化するプロセスを
楽しめるようになるってことですね。
ものづくりってそういうものだと思いますけどね。