ものづくりはひとづくりなのですよ 本当に

授業で製図を教えたりしているのですが
常々思うことがあります。

描き方だけ教えたって片手落ちだよなぁ
と。

授業では描き方だけでなく
強度の計算などもやりますが
それでも片手落ちと言わざるを得ません。

なぜかというと

図面はものを作るためにあります。
なので、ものを作ってみないことには
どんな図面が良いのか
なんてことは分からないからです。

「良い図面」の定義を並べてみようなんて思ったら
色々出てきちゃって大変なので省略しますが

図面はなぜあるかというと
自分以外の誰かに
それを作ってもらうためです。
(そうでない場合もありますが
大抵はそのためです)

多くの場合
設計者は設計だけ
図面を描く人は描くだけ
作る人は作るだけ
となったりします。
設計と作図の両方をやる場合も多いですが。

でも、設計者、作図者がものを作ったことがあれば
それはもう間違いなく
良い設計ができて図面を描けます。

だって作ってもらうために
設計したり作図したりするのですから
どう作るかを知らなければ
良い設計、良い図面にはなりません。

製作者は
どういうふうに図面を見るか
どの寸法、形状を重視するか
どういう手順で作るか

指定した材料を
どのように加工するのか
加工すると何が起きるのか

そういうのは知識面だけでカバーすることが多いと思いますが
実際に手を動かして作った経験があれば
格段に良い情報(設計情報や図面)が作れるのです。

ものを作る経験が十分でない人が描いた図面は
ひどいものもありますからね。

「どうやって作るんだよ、それ」
そんなことが往々にして起こります。

結局、図面は他人のために描くものですが
授業では、その視点が手に入らないのです。

ついでに言えば
作ってもらう相手
使ってもらう相手
に対する気持ちや心の問題でもあって
そういうのが図面に現れるべきです。

だから、ものづくりって大事なのです。

そういう大事な経験を存続するために
夢工房は頑張っている
というのもあるのです。

技術者が良心を捨てたら終わりです。

技術は人なり

コロナ開けの難しさ

コロナ禍は今後どうなっちゃうのでしょうね。

恐らく多くの人類が免疫を手に入れて
風邪のように普通の病気になっちゃうのかな。
そもそも風邪だってコロナウイルスなんでしょう?

その辺は特に詳しくないので
あまり深入りしないでおきましょう。

いずれにせよ
いつかは平常化するのでしょう。
今現在は感染者が増えたり減ったりしていますが
ひと頃に比べればずっと平常な雰囲気です。

大学もほぼ平常と言っていいような授業内容になっていますし
街中も皆マスクをしていて
店舗はアルコール消毒やシールドがありますが
一時期のような緊張感はありません。

私が気にしているのは
学生達の活動なのですが
これはなかなか難しいところがあります。

もちろん、コロナ禍前の状態そのままに戻ることは無いでしょう。

やり方は時の流れに合わせて変えていく必要があります。
当然、学生達が経験する内容も変わります。

問題はその熱量なのです。

ひとたび「やらない」という選択肢を手に入れてしまうと
「やる」と「やらない」の基準が動きます。

2年間の自粛期間を経て
私も学生も
動いてしまった基準に対応して動いています。

ひと頃「不夜城」と言われた夢工房も
日付が変わる前には撤退しているのは以前書いたとおりです。
これはもう仕方ない。
短縮された時間内に何をどこまでどのようにやるか
そのへんが勝負所なのも分かっています。

夢工房に集まっているのは
比較的モチベーションが高い学生なのですが
やはり以前のようにはいきません。

やる気はあるのでしょうけど
以前のような突き抜けた動きは見られません。
日曜なんかは以前と比べると明らかに「休日」です。
ということは
彼らは「やらされるやり方」でやっているのですね。

「できるならやりたい」
ではなく
「できるだけ休みたい」
です。
恐らく意識はしていないはずですが。

これ、ある程度は仕方ないと思います。
コロナ禍で色々自粛とか中止とか
そういうのは全て外力で
彼らにはその外力に従わない
という選択肢はありませんでした。

恐らくこれ、慣性力みたいに効いてきている
というか
習慣になっていますね。

チャレンジしなければいけない立場なのに
考え方はフォロワーで消費者です。

もちろん、学年が上の連中はかなり頑張ってますが
彼らも動きに「強さ」が感じられません。
もちろんそれは後輩達にも伝わって
新たな風土ができあがりつつあったり
それに抗ってみたり
そんな毎日です。

時々卒業生が来てくれるのは
大変心強くて
大変助かっています。
これは夢工房の財産の一つだと思います。

こんなことを長々と書いてきて
なにも泣きが入っているわけではないのです。

この状態は避けようのない事実で
恐らくどこも似たような状況
もしくはもっとひどい状況なのかもしれません。

であれば、これが見えている我々にはチャンスだよね
という話なのです。

恐らく時間と労力はかかるでしょう。
どれくらいかというと
こういう形に変わってしまうのに要した倍くらい。
まぁ普通に考えればそんなもんでしょう。

それをいかにスピーディーにやっつけるか
そこがポイントです。

そして思いを一つに

ダサイフレーズですか?
こういうの最近流行りませんからね。

個人主義ですか。
そんな感じですね。

複数人での思いを揃えられたら
個人ではできない大きなことができます。
だから会社組織とかがあるんですよね。

ネットでの情報発信力を利用したりして
かつては個人レベルでは不可能だったことも
近年ではできるようになってきています。

しかし、やはり依然として
個人の力ではいかんともしがたい世界はあるわけで
いくら個人主義が幅をきかせても
できないものはできません。

クルマみたいな面倒な製品は
分かりやすい例だと思います。

近年の開発の現場がどうなっているか
詳細は分かりませんが

アサインされた仕事をこなすだけ
という現場より
各人がパッションを持って
チームで思いを揃えている現場の方が
いいものを作るに決まっているでしょう。

能力の高い個人が集まれば良い製品ができる
なんてのは
ちょっと信じられません。

数値的には良いものができたとしても
それは果たして人の心を動かす良い製品になるのだろうか。

そもそも、本当に重要な能力って
パッションから生まれるのではないでしょうか。

夢工房のチームは
志向が揃った学生達で構成されていますが
思いが一つの方向に向かって揃っているか
というと
意外とそうでもなかったりして。

その辺を何とかするために
ぶつかったり盛り上がったり凹んだりしながら
日々成長しています。

本当に良いチームって
そんなふうにしないと出来上がりません。