教育って何だ? バラしちゃダメでは?

技術系の教育では色々やります。
力学とか材料に関するものとか、製図や実験、実習、もちろん語学なんかも。
ただ、企画系のことはやりませんね。与えられたタスクを消化するためのことをやります。これはつまり、言われたことをやるためのことだけだったりするのですが…。

要は、ものづくりに必要な知識とか経験をバラしたのが各授業なわけです。
そもそもは、ものづくりに必要な知識や技術を効率よく習得するためのシステムだったはず。
そうやってバラせば、それぞれの分野に特化したレベルの高い教員を配置することもできるでしょうし。

しかし弊害もあるわけで、バラしてしまったがために、各科目間の結びつきが不明瞭になってしまうのは大問題。

例えば、図面を描くスキルは重要だったりしますが、そもそも図面って何のために、誰のためにあるの?ってところが曖昧になると、「良い図面」って何なの?という話になるでしょう。
物を加工するのだって、座学の知識も同様です。

何のためにそれをやるのかが明確でなければ、何をどこまでやるべきかも分かりませんし、そもそも動機が無いのに一所懸命やるのは難しい。
むしろ動機が曖昧のままで一所懸命できる人って珍しいのではないかと思います。

そんなことを考えると、レーシングカーとか惑星探査機を作って、コンペティションで勝つぞ!なんていうのは、とてもシンプルな動機付けとなります。

どうしてもそれを実現したいなら、そのためのことを考えて、必要なものを手に入れようとするでしょう。

企画したり、設計したり、作って試したり。
そのために必要なことを手に入れようとするし、各プロセスが何のためにあるのか、どうあるべきなのかを考えるようになります。

分かりやすいところで言うと、材料の選定や強度計算がプアな、ヘボい図面を描くと、作るときにどうなるか、使うときにどうなるかなどを身をもって知ることができるわけで、そうやって手に入れた知識や経験は、単品の座学の授業では得られないものですし、恐らく決して忘れません。
座学の授業は、テストが終わったら忘れちゃうもんね。

とはいえ、多くは大学に入ってくるまでバラバラな学びの経験しか無いわけで、大学に入ってすぐにやり方とか価値観がスイッチできるわけではありません。
加えて、今はコロナ明けで技術やスピリットを含めた諸々の継承が途切れた時期でもあって、色んな意味でリスタートの最中です。

なかなか厳しい時期ですが、だからこそ!ですね。