どこまで考える?

我々の周囲には多くの「もの」がありますが、それらの多くは人の手によって作られたものです。当然ながらそれらは人が思って考えて作ったということです。
そして、それらは何かしらの目的に沿って作られているわけですよね。

作る過程では、「何のために」「どうする」という2つの考え方が必要になります。

「どうする」は手段です。いわゆる過去の経験をベースとしたノウハウなんかがこれに相当します。新しいアイデアだったりもしますが。

対して「何のために」は目的で、未来に関することです。
これは、未来を「どうしたいか」という想像力ということですよね。もちろん、色んなことが対象になるでしょうけど、最終的に行き着くのは「人」です。「何のために」をどんどん掘り下げていくと、最終的にたどり着くのは人の心だったりします。誰にどう思ってほしいか、とか。
一般的には、対象の大きさが価値の大きさということになります。

で、これらを実現するためには「行動力」が必要になるでしょう。
これはちょっとどういうものかというのを一口に表現するのは難しいのですが、勇気とか精神力とか、そういった気持ちの強さと持続力でしょう。

もちろん、これらは完全に独立したものではなく、それぞれの能力とか経験が相互に影響していて、ものを作った経験がなければ未来は予測しにくいということもあるでしょう。
もちろん、色々な経験がそれぞれの能力を育てるわけですから、経験の質とか数は何よりも重要でしょう。

社会において何かをするときには、これら3つをどのようなバランスで持っているかによって立ち位置が決まるということになるのだと思います。

今、目の前に現れた快楽を手に入れたかったり、不快を排除したいなんてことは良くあることで、そんな時は「今」目の前にあるものにフォーカスしています。すごく短期的な未来に焦点を当てているということです。

それは誰でもやっていることなので、別に良いとか悪いとかを言いたいのではなく、そういった「反応」的な行動で日常を埋めてしまうのではなく、どのくらい先の未来まで、どのくらい考えるかというのは自由なわけで、そのための行動も自由です。それによって、自分や自分が関わる人たちの未来が変わってくるわけですよね。程度問題ってのもあるでしょうけど。
だったら、少しでも望む未来に向けて、長い時間軸で考えて行動するというのをやってみても良いのではないでしょうか。
というのが今回言いたかったことです。
もちろん、日々の自身の課題でもあるわけです。