正解なんて無いのにね

学校でどういう勉強をしているかというと
「正解」を出すための勉強ですよね。
「正解」以外は「間違い」で、評価ゼロです。

もちろんそれは、今に始まったことでは無く
そんなことを150年くらいやっているわけですが。

で、ですよ

じゃぁ、社会に出たら
正解を出すような仕事はどれだけあるんでしょうね?

今どきそんなのほとんど無いでしょう。

もし「正解」という到達点が存在していて
それができたらお終い
そんな仕事があったら
その仕事は価値が無いのではないかと思うんですよ。

正解を出そうとする思考方法でいくと何が起きるのか?
それは簡単

アイデアが出なくなる
チャレンジできなくなる

ダメかもしれないものを描けないでしょう?
失敗するかもしれないことはやれないでしょう?

夢工房の活動なんてしてると良く分かりますよ。
こんなことが起こります。

正解を出すために考えて考えて…

正解なんてそもそも無いのだから
延々と考えて…

締め切りギリギリになって仕方なく

1コ出す。

それは特に良いわけでもなく
不十分だったりするのだけど
もう時間も無いし仕方ないよね
ということになって

ブラッシュアップもできないものだから
次回も同じことを繰り返すしかない。

これを何とかするのが夢工房では一番タフなことです。

なんたって、大学に入るまでの18年近く
そんな風にやるトレーニングをされてきて
何も考えなくても、つまり無意識で
そういう風にやってしまう習慣が身に付いています。
正しいやり方として。

これ、絶対に開発の仕事に向かないやり方です。
開発に限らないだろうけど。

ただし、この呪縛から解放されてしまえば
後はグイグイ進むだけです。

そのためには、やはり…

好きでもない
面白くもない
そんなことをやっても習慣は変えられないので
魅力的なゴールが必要なわけですよ。

これは絶対でしょう!

とはいえ、本人の持つ価値観が最も重要なのでしょうけどね。
それ、どうしたら良いのでしょうね。
価値観なんて、そう簡単に変えられるものではないですから。

ま、色々考えたところで
全員に適合するものなんて無いですからね。
正解なんて無いってことです。

正解無かったらどうするの?

ベストを尽くすしかないでしょう。

「うわぁ、すげぇ!」たのめに

学校で授業で教えているお勉強
それらはツールとしては有用…かもしれません。

断言できないのは
ヘタすると
卒業すると
テストが終わると
ほとんど忘れちゃうから。

その知識を何かに使ったり活かしたり
ってことになると話は別なのですけど
覚えただけの知識なんて、そんなものです。

個人のパフォーマンスを向上させることは重要でしょう。
お勉強も頑張って下さい。

さらに

視野が狭くて利己的だったりすると
どうにもならんのですね。

夢工房で学生達を見ていると
そんなことが良く分かります。

良く考えてみましょう。

学校では個人のパフォーマンスのためのことばかりやってます。
加えて、知識に関することばかりです。

すぐに忘れちゃいそうなことを
個人レベルでやるのです。

で、次は社会に出るわけですが
そこでは…

知っていればなんとかなる
なんて仕事は無いし
個人で完結しちゃう仕事も
ほとんどありません。

特に企業でものを作るような仕事の場合
チームで力を合わせて
皆のために
お客さんのために
仕事をするのです。

個人のパフォーマンスでは勝負になりません。
だから組織があるのです。

そのためには
組織で強力なパフォーマンスを発揮できるよう
下地を作っておく必要があります。
言ってみればトレーニングですが。

なぜって、その方が絶対に面白い仕事ができるから。
なぜって、社会に出てからトレーニングなんかしてたら時間がもったいないから。

皮肉なことに
視野が狭く利己的な状態では
いくらやっても面白くなりません。

当然です。

チームで力を合わせて
個人では到底為し得ないことをやって
「うわぁ、すげぇ!」
が起きるから面白いのです。
それがチーム外からなら
なおさら嬉しいでしょう。

でも
「うわぁ、すげぇ!」
を起こすためには
壁にぶつかったり乗り越えたり
必要なことが沢山あるわけで

本人達は必死にジタバタやっているわけだけど
ふと気付くと、凄い成長をしていたりするんですよね。
本人は全く気付いていないところが、これまた面白いですけど。

そんな中で得た経験は
本やネットでは決して手に入らないし
ちょっとやそっとじゃ忘れたりしません。

ピンチはチャンス それは教育も同じ

大学へは、次のステージのために
つまり、社会に出て仕事ができるようになるために行くわけですが、果たしてそうなっているのでしょうか?

まず一つ。
社会に出て仕事をするというのは
他に提供するための価値を生み出すことなのだけど
そもそも、これはどういうことなのかが分かるようになっていない。

そして二つ目。
そのためには何が必要なのか?

それが問題です。
恐らく、これといった確実な答えは無い。
正確には、いつの世でも通用する恒久的なものは無いと言ったらいいのでしょうか。

特にインターネットが一般化して、実用的なAIが出現して、経済や環境やエネルギーなど
様々な問題が深刻化してきたらなおさらです。

今は過渡期で混沌としている渦中にいるのかもしれません。
これからどのような世の中になっていくのかを明確に言うことはできないでしょうが、今までと違う状況になるということは言えるのではないでしょうか。
ものごとの価値自体が変化してきています。

学校にいる人間として考えてしまうのは
では、何を変えるべきなのか?
です。

教える内容は、時代に沿ったものにする必要がありそうです

…って、本当にそうなのか?
教える内容の問題なのか?それだけで良いのか?
新しい知識さえあれば、新しい時代にマッチした新しい価値を創り出せるのか?

「教える」
という形そのものは、そのままで良いのか?

教える(言う) – 覚える(やる)

この方法(形式)だけで良いのか?

良くないです。
恐らく、頭の中に突っ込む知識の量とか質だけの問題では無い。

ものごとの価値だけが変化するのではなく、仕事の仕方そのものも変化するのだから、知識だけの問題では無いはずです。

ひょっとしたら、学校だけの問題では無く、学生の、家庭の、社会の問題でもあるかもしれません。
なので、学校だけで何とかなる話では無いのかもしれません。

とはいえ、学校は大事でしょうね。
人づくりから始めないと社会は変わらないから。

何にせよ、このままでは行き詰まるのは必至で、チキンレースの様相を呈してきたぞ…なんて思っています。
チキンレースはちょっと違うかもしれませんね。
そのまま行っちゃうと崖から落ちちゃうのだけど、崖までの距離は分からない。その状態から道を逸れて、何があるか分からない暗闇に突入できるかい?
みたいな感じですかね。

でも夢工房は、昔からどうなるか分からない暗闇で、「あそこに光があるぞ!」って信じて全力疾走してきたようなものなので、何を今さら…って感じなのですけどね。
ただ、時代に合わせた微調整と、コロナ禍のリハビリみたいなものは必要でしょうけどね。

ま、「面白くなってきたぞ!」ってことです。